イスラーム地域研究5班
研究会報告

aグループ第9回「中東の都市空間と建築文化」研究会報告

日時:2001年6月9日(土)13:30〜19:00
場所:東京大学東洋文化研究所・3階大会議室

 今回の研究会では、「インド西部地震とグジャラートの歴史的建造物」をテーマに4つの発表が行われた。30名近くの出席者を数え、興味深い発表に活発な質疑応答がなされた。以下にそれぞれの発表の要旨を抄録する。

 

「インド西部地震現地調査報告」

山根 周(滋賀県立大学)

 理化学研究所地震防災フロンティア研究センター(現 防災科学技術研究所)によるインド西部地震第二次調査団として2001.2.20〜3.4、現地の被害状況調査の報告である。調査はアーメダーバードからカーティアーワール半島を横断し(途中アンケワリ、スレンドラナガル、ラージコート、ジャームナガル)、その後カッチ湾沿いを北上し(ジョディヤ、バランバ、アーマラン)、小カッチ湿地を渡り、カッチ地方を巡回(バチャウ、ブージ、アンジャール、ガンディーダーム、カンドラ港、ラパル)するルートでおこなわれた。
 今回の地震では死者2万人以上、負傷者16万人以上、全半壊家屋130万棟以上という大きな被害が生じている。アーメダーバードにおいては新市街のピロティ形式の中高層集合住宅が多数倒壊した。旧市街および歴史的建造物に甚大な被害はなかったが、郊外にあるビービーのモスクのミナレット上部が倒壊するなどの被害が出た。スレンドラナガル県アンケワリという小村は震源から200km以上離れているにもかかわらず、ラージプート族小候の居館をはじめ、多くの住宅が大きな被害を被った。救援の手が回っていない上に、カーストや宗教等による伝統的意識やコミュニティ間の壁が再建を難しくしている側面がある。カッチ湾沿岸の村々や震源周辺のカッチ地方では、壊滅的な被害を被っている町や村が多数存在する。中心都市ブージでも被害が大きい。王宮地区では18世紀建設のアイナマハル、1865年築のプラグマハルの両宮殿、城壁などの損傷が大きい。ソニワラ地区では全体が壊滅的な被害である。ブージの南のアンジャールでも旧市街の伝統的住宅、木造ハヴェリが多数被害を被っている。住宅の多くがセメントモルタルでなく粘土モルタルによる組積造であることが大きな被害の要因と考えられる。一方で円形プランの土壁によるブンガと呼ばれる伝統的農村住居の被害が少ないことが注目される。
 今回の報告は歴史的建造物に焦点を当てたものではなく、被害の概要の報告にとどまった。歴史的建造物の被害についてはさらにインテンシブな調査が必要である。



「地震による歴史的建造物の被害」

花里利一(大成建設) 

 昨年夏に、UNESCO/ICOMOSのモニタリング・ミッションとして、フィリピンの世界遺産バロック石造教会『パオアイ教会』の構造調査を行った。ルソン島北部パオアイ市の旧市街にあるこの教会堂はサンゴ石やレンガ、モルタルを建設材料にして、約300年前に建てられ、現在でもカトリック教会として使用されている。しかし、正面のファサードが変形・傾斜し、側壁との間に大きな亀裂が発生し、耐震的な問題が生じていた。現地調査は、フィリピン文化省、国立博物館、歴史研究所や国立地震火山研究所等の協力を得て、建物変形の測量や常時微動観測、材料サンプリングなどを行った。その結果をふまえて、ファサードの変形の原因を検討し、ICOMOSのガイドラインを考慮して、今後の構造修復に向けてのRECOMMENDATIONを作成した。レポートは世界遺産委員会に提出した。今後もフォローしていく予定である。
 日高筑波大学教授を研究代表者とする国際学術研究に参加し、イスタンブールのハギア・ソフィア大聖堂の構造調査を行った。耐震性と構造モニタリングについて研究成果を報告した。耐震性に関しては、常時微動観測によって建物の振動特性を把握するとともに、活断層等の調査から構造修復設計用の入力地震動を作成した。さらに、歴史地震と中央ドーム崩壊の関係を調べ、6世紀、10世紀、14世紀に発生したドームの崩壊は、大地震の最中ではなく、その数か月〜数年後に起こっていることを示した。これは、被災建物の長期構造安定性の問題であり、構造モニタリングが重要である。1995年から行っている亀裂・温度・湿度のモニタリングの結果を紹介し、現状では安定していることを示した。大聖堂が将来発生すると予想される大地震を受けた後、構造安定性を評価するために本モニタリング記録が有用となる。
 1997年9月〜10月に発生したイタリア・ウンブリア地震では、多くの歴史的建築物が被災した。被災建物のひとつであるアッシジ・聖フランチェスコ教会で行われたICOMOS/ISCARSAH主催の構造修復委員会およびプレチ/セラーノで行われたミラノ工科大学主催の国際ワークショップに出席するとともに、震源地を中心に被害調査を行った。



「グジャラートのイスラーム建築」

深見奈緒子(東京大学)

 グジャラートのイスラーム建築の面白さは、インドのイスラーム建築の中にあって最もヒンドゥー色の濃い点にある。とりわけ、デリーのハルジー朝支配下の14世紀から地方独立王朝アーマッド・シャー朝が終焉を迎える16世紀中頃までの建築に顕著である。以下の諸点を取り上げ、その特色を延べた。
 インドの土着建築の影響が見て取れる点は、ワーウと呼ばれる階段井戸や、墓建築の周廊にある。  西アジアから直接影響を受けたと思われる点は、墓建築において中央ドームが巨大化していく点、1450年代と1480年代のスルタンとブハーリー教団に関連した人物の特殊な様式を持つ建築が指摘できる。
 以下の諸事象は、表現された形はヒンドゥー的ながら、その根底にはイスラームを表明しようという意図が汲み取れる。多くの人が集団礼拝を行うためのモスクでは、12本の柱の上に持ち送りドームをかけるユニットが並列される。イスラーム教徒の空間であることを表明するために正面に分厚いアーチ壁が構築され、その背後に高い吹き抜け空間が作られる。のファサードには、2基一対のミナレットが付き物となる。死者の死後の住まい、そして記念碑となる墓建築では、中央ドームの拡大の一方で、周廊が好まれ、多重の周廊を持つ例もある。そして、15世紀初頭に新しい首都として建設されたアーメダーバードの都市計画に顕著である。



「グジャラートの建築概説−仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教−」

野々垣 篤(名古屋大学)

 本発表では、グジャラート州の古代から中世にかけての仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教建築に関する概略紹介を行った。
 A.D.1〜5世紀支配したクシャトラパの時代の遺構としてはサウラーシュトラ地方のジューナーガル周辺や、ナーシク等の石窟に近い特徴を示すタラジャ、サーナの石窟があり、さらに北グジャラートのディヴニモリのストゥーパはシンド地方のミールプール・ハースやガンダーラのものとの類似が見られる点を指摘した。
 次にグプタ朝が5世紀に同地域まで支配を広げた後,同王朝のサウラーシュトラ地方の長官がヴァラビーを都とするマイトラカ王朝を6世紀以降興して支配し,次第に北グジャラート(例:ローダー)まで勢力を広げた。同王朝の建築遺構は,残存最古6世紀末のゴップの寺院をはじめ,カーティアーワール半島の西半分を中心に分布する。それらの外観上の大きな特徴はピラミッド状に水平に軒を積み重ね,その側面にチャイティヤアーチ (チャンドラシャーラー)装飾を水平に並べる点にあるが,それはより古いジューナーガルの石窟などでも壁面レリーフに見られることから考えれば,この地方における伝統的な建築意匠と考えられる。ただし同地域同時代にナーガラ・シカラと見なせる上部構造を持った寺院もあり,北インド寺院の上部構造デザインを考える意味においては興味深い地域であることも指摘した。その後の主要な王朝はチャウルキヤ朝(ソーランキー朝とも呼ばれる)で,その時代の遺構としてはモデラのスーリヤ寺院とアブー山のジャイナ教寺院群が著名である。それらはマンダパの持ち送り構造のドーム状天井を大きな特徴としている点を指摘した。

(文責:深見 奈緒子)


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