イスラーム地域研究5班
研究会報告

cグループ「回儒の著作研究会」第12回例会報告

日時:2001年5月19日(土)
場所:東京大学文学部アネックス・小会議室
訳注担当:黒岩高(東京大学大学院博士課程)

『天方性理』図伝巻五「万物全美図」
 ここでは、万物に備わる完全なる美について説かれる。前半部において劉智は、万物はみな、真一の変化したものであり、先天の理、後天の気、当然の用のすべてが備わっていると説き、それゆえ、物に大小精粗の相違はあっても、それらの完全なる美には違いはないとする。後半部は反駁者との問答の形で展開される。まず、「天 地間には一つとして完全なる美を備えた実体は存在しない」とする反論に対しては、「純陽の中の一陰」、「純陰の中の一陽」、「聖人の中の一塵」などの例とともに、不完全な部分が存在するからこそ、完全なる美が成り立つ と解説される。次に「不完全な実体が存在しなければ、不完全な用もあるはずがない。しかし、厳然として不完全な用は存在するではないか」とする反論には、「南を好むものが北に住み、北を好む者が南に住む」あるいは「冬に夏の薄物を用い、夏に冬の外套を着る」などが例にとられ、万物の用に不全不美があるように見えるのは 用いるものがしかるべき用い方をしないためであり、用に不全不美があるわけではないと論じられる。
 読解を進める上で特に課題とされたのは、対話形式で論が展開される場合の用語の概念である。この形式がとられる場合には、劉智は中国思想の常識に類する論法で解説を行うことも多く、対話中の語がそれまでに本文中で使われてきたものと同義か否かの判断が問われる。「万物全美図」中の語を例に挙げると、「聖人」である。 ここで述べられる「聖人」が至聖(ムハンマド)を頂点とするイスラームにおける聖人を指すものであるのか、堯、舜、禹などに代表される中国古代の聖人に該当するかについては、「万物全美図」の記述からは容易に判別し得ない。この点については、他の対話部分及び本文中に見られる各語についての解説を参照の上、慎重に検討 を進めたい。

(文責:佐藤 実)


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