イスラーム地域研究5班
研究会報告

aグループ第10回中近東窯業史研究会報告

日時 : 2001年3月24日(土)〜25日(日)

プログラム : <3月24日> 愛知県陶磁資料館
1.愛知県陶磁資料館所蔵のイスラーム陶器およびローマンガラス、サーサーンガラ スの調査
<3月25日>愛知県陶磁資料館
1.森 達也(愛知県陶磁資料館)
報告:「愛知県陶磁資料館所蔵のガラス資料の来歴について」  
2.真道 洋子(中近東文化センター)
報告:「ローマ、サーサーン、イスラーム・ガラスの変遷と東西交流─愛知陶磁資料
館収蔵品および個人コレクションを中心に─」
3.岡野 智彦(中近東文化センター)
報告:「キシュ島とホルムズ島のイラン隊発掘調査報告について」
4.阿部 克彦(上野学園大学国際文化学部)

調査概要:

 今回は愛知県陶磁資料館の所蔵する先史土器やイスラーム陶器、寄託資料である ローマンガラスやサーサーンガラスの調査を行った。特にガラス資料に関しては、イ スラームガラスの専門家である中近東文化センターの真道洋子研究員の参加を得て、 極めて質の高い資料であることが指摘された。

報告要旨:

森達也「愛知県陶磁資料館所蔵のガラス資料の来歴について」
 森氏は、愛知県陶磁資料館所蔵や個人の寄託資料であるガラス資料の来歴を紹介す るとともに、中国の法門寺や張叔尊墓(西安)の出土品、上林湖窯採集品の越州窯青 磁八稜瓶の器形がイスラームガラスの長頸瓶の器形を写した可能性を指摘した。また 同様の例として汝窯系の青磁盤口瓶や龍泉窯の盤口瓶がイスラームカットガラス長頸 瓶の器形と類似することも指摘した。しかし森氏は問題点としてイスラームガラスと 中国陶磁器には年代差がある点をあげた。出席者からは金属器の器形の影響なども考 慮すべきであるとの意見が出された。9世紀から13世紀にかけての東西交流を物質文 化の面から考証する上で新たな視点であり、今後の研究の進展が期待される。
(文責:岡野 智彦)

真道洋子「ローマ、サーサーン、イスラーム・ガラスの変遷と東西交流─愛知陶磁資 料館収蔵品および個人コレクションを中心に─」
 紀元前1世紀における吹き技法によるガラス成形法の開発は、ガラスの膨張性性質 の発明であり、これによってガラス器の形態、機能、用途に大きな変化を与えた。東 地中海地域沿岸部で開発されたこの技法は、その後、ローマおよびサーサーンそれぞ れの文化圏で発展を遂げ、7世紀に成立したイスラーム圏に吸収され、融合され、近 代ガラスへの礎を形成した。この時代、陶磁器が東方世界から大量に流入したのに対 し、ガラス器は西方世界で発展し、東方世界に輸出された。中国の法門寺、静志寺な ど、王朝と深い関係をもつ有数の仏教寺院には、イスラーム世界からもたらされたガ ラス器が、中国製の金、銀、磁器とともに奉納されており、唐、宋 代におけるガラス器の価値の高さを語っている。これ以外にも、これまでに知られて いる以上にガラス器が東方世界に流入していることは、近年の東南アジア地域の発掘 調査の進展によって徐々に解明されてきている。中近東地域のガラス器の詳細な検討 に基づき、ガラスの東西交流の問題をクローズアップした。
 国内では、中近東文化センター、岡山市立オリエント美術館などが中近東地域のガ ラスのコレクションで有名であるが、この他にも、これまでに公開されていない国内 の他の美術館、個人コレクションがある。とくに、正倉院の白瑠璃碗と関連したサー サーン・ガラスは、良品が存在している。今回は、愛知陶磁資料館収蔵品と個人コレ クションの資料に基づき、検討を加えた。
(文責:真道 洋子)

岡野智彦「キシュ島とホルムズ島のイラン隊発掘調査報告について」
 イラン・イスラーム共和国のペルシア湾の遺跡、キーシュ島とホルムズ島は14世紀 から18世紀にかけての貿易陶磁器出土遺跡として古くから知られている。同じペルシ ア湾岸の遺跡シーラーフが、デヴィッド・ホワイトハウス氏により調査され、その概 要が発表されているのに対し、キーシュ島とホルムズ島での発掘調査の状況 は、従来明らかにされていなかった。しかし最近イラン隊による1991-92年のキー シュ島の発掘調査の概要と1966-68年および1993-95年のホルムズ島の調査で出土した 中国陶磁器に関する論考がイランの学術雑誌に掲載され、実測図や写真も添付されて おり、両遺跡出土陶磁器に関する貴重な情報を提供している。本報告では、
・Mahmoud Mousavi, Excavations at Historical Town of Harireh , Kish Island, Archaeological Reports of Iran , Vol.1,Iranian Cultural Heritage Organization, 1997.
・Danespurparvar, Fakri. Yafteha-ye zoruf-e cini-ye jazire hormuz va naqs-e in jazire dar bazargani-ye iran va cin, Yadname-ye gerdhama i-ye
bastansenasi-sus,25-28 farvardin mah 1373 samsi, Jeld-e 1, Sazman-e miras-e farhangi-ye kesvar,1376(1997-98).
両報告の内容を紹介するとともに、出土中国陶磁器に関して検討を加えた。

阿部克彦「ケルマーンにおけるサファヴィー朝陶器調査の報告」
 2000年夏期に阿部氏がイランのケルマーンで行ったサファヴィー朝陶器の調査報 告。ケルマーンはサファヴィー朝時代にはイランでも有数の陶器製産地として知られ ているが、遺跡が現在の町の下に存在するため発掘調査や考古学調査により窯址が発 見された報告はなく、ケルマーンのサファヴィー朝陶器の実体についてはほとんど知 られていない。しかしケルマーンには、古い家屋が倒壊したり廃墟と化した状態で放 置されている地点が何カ所かあり、その敷地内にはサファヴィー朝時代の陶器が散布 している。阿部氏は、陶器散布地点を市内地図にマッピングし、地点ごとに散布資料 を収集し写真撮影を行った。その結果、散布資料の中には窯で焼成した時点で破損し た焼成不良品が存在した。この資料は、ケルマーンにおける陶器製産の可能性を示す ものとして注目される。そしてさらに重要な点は、それらの焼成不良品中の白地藍彩 陶器(青花)には、コバルトブルーの文様の輪郭を黒線で縁取りした陶器と縁取りし ていない陶器の両者が存在することである。従来黒線で縁取りした陶器は、マシュハ ドの製品であるといわれており、ケルマーンでこの種の陶器、しかも焼成不良品が散 布していたことにより、黒線で文様の輪郭を縁取りした陶器は、ケルマーンでも製作 されていた可能性がでてきた。今後の詳細な調査と研究が期待される。

(文責:岡野 智彦)


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