イスラーム地域研究5班
研究会報告

aグループ第7回「中東の都市空間と建築文化」研究会報告

日時 : 2001年1月27日(土) 13:30〜18:00
場所 : 東京大学東洋文化研究所・3階大会議室
今回の研究会では、中国をテーマに3つの発表が行われた。激しい吹雪にみまわれながらも、20名を超える出席者を数え、興味深い発表がなされた。以下にそれぞれの発表の要旨と当日の議論を抄録する。

「中国のイスラーム建築について」  柘 和秀(建築家)
 中国におけるウイグル族と回族の説明からはじめ、両者のモスク建築の違いを明らかにした。中華人民共和国には約2万棟のモスクがあり、内半数はウイグル自治区にある。立地に関してはウイグルでは街の大多数をムスリムが占め、バーザールの近くに大モスク、細い街路に多くの小さいモスクがある。銀川など、西北の回族自治区の都市では、ムスリムは人口の半数で、回族が住む街区の大通りに面して大モスクが建てられる。一方、北京や西安などムスリムが少数の街では、細い路地裏に門を構える。回族の歴史的モスクにおいては中国木造建築の伝統が根強く、西に礼拝殿、南北に講堂、東に門を備える四合院式、四合院式を東西軸の上に反復し、最奥に礼拝殿を設けることによってより空間の序列を強化した障景式が目立つ。一方、ウイグルのモスクは煉瓦を用い、多柱礼拝室を中庭のキブラ側に設けるアラブ式が多い。また、双方の現代モスク建築の傾向として、大きなドームを頂く建築が、イスラームを表すために意図的に用いられている点を述べた。
 発表の後、ウイグル地区以外の地域における清時代の木造モスク建築の均質性はなぜなのか、木造モスク成立の経緯、南北の講堂の使い方、礼拝殿前の列柱吹き放し空間についてなどの質問があった。現地調査に基づく研究で、図面とスライドをまじえ、ムスリムの住空間にも言及した。近世の回族モスクは民族、建築ともに興味深い対象である。

「中国中世の都市と建築―『清明上河図』解読作業」  高村 雅彦(法政大学)
 1100年頃に張択端の描いた都市絵巻について、当時の建築制約文書と描かれた建築の細部を比較し、この図が農村、水辺の商業地、都市における建物を大きく描きわけていることを指摘した。この図が当時の開封のどの部分を描いたものかという議論は無意味で、むしろ皇帝に献上する目的から、古代の条坊制都市が崩れ、都市化の進んだ先進的都市の情景を描きだしたと見るべきであろう。都市変容および建築術の変化の様相は、街路に下屋を張り出す侵街がかなり見られる点、酒楼本店が五品以上の人物に許された建築形態をとる、すなわち五品以上の土地所有者による店舗経営の実情が見られる点、描かれた他の住宅や商店は門の有無や屋根形態からみると六品以下の庶民の建築である点、建物が木造掘立柱と瓦屋根という建築の過渡的状況を示している点、虹橋に画期的な木造構法が見られる点などに現れる。
 発表の後、この地図から都市空間を読むことは可能なのか、開封の考古学的資料との照合、官僚の店舗経営の禁止とその実態、楼門外の街の経緯とその意味など多くの質問がなされた。フィールド・サーヴェイを定石とする発表者が、文書と絵巻の建築的比較という新たな可能性を提示した。今回言及されたこの時代の都市変容が伝統的中国都市の中でどのように作用していったのか、より研究を深めていただきたい。

「如何に『東アジア建築世界の200年』を描くか?」  村松 伸(東京大学)
 建築史には物語としての通史が必要であるとの観点から、加えて見られる建築の分析ばかりでなく見る側の目の分析を通して、東アジアの19世紀、20世紀の建築を一体化して描きなおすことを試みた。それ以前の「近世」においては、東アジアに共通する成熟した中華建築文化圏が存在したことを前提として、近世の建築文化圏がイギリス商業帝国の波に如何に馴化していったかを捕らえるべきである。建築文化圏が遷移していく過程において、材料や様式のように早く変化するものと空間認識や美意識のようになかなか変化しないものをとらえることが必要である。INAX出版の『10+1』に2000年22号から連載予定の目次を示し、「他者の発見」、「軍事文明」、「商業殖民都市」、「建築・都市の帝国化」、「建築家の誕生と建築史の発見」、「日本における地方と植民地」など、東アジア建築の200年を描くためのキーワードを提示した。しかしながら、建築進歩観の呪縛、政治経済史への依存、近世建築の実態、東南アジアや清朝藩部の位置付け、都市と建築の線引きなど描ききれない点を指摘した。イスラム世界の建築や都市において近代が問題とされない点、イスラムの現代建築を如何に評価するかを考えねばならない点を指摘した。
 発表の後、宗教と建築文化圏との関わり、近代というフェイズと通史との矛盾、現代を踏まえた上で200年間の通時性などの質問がなされた。建築とは何かを考えるときに、物理的な存在を超えて歴史的な建築の背景、意図を読みこみ、時空を繋げて描くことがひとつの通史になりうる可能性を示したといえよう。 中国の建築史について、イスラーム宗教建築、中世の都市、近代建築というひろがりの上に、フィールド・サーヴェイ、絵画史料の解読、論理性の構築とさまざまな研究方法が提示され、短い時間ではあったが、充実した研究会となった。

(文責:深見 奈緒子)


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