イスラーム地域研究5班
研究会報告

aグループ第9回中近東窯業史研究会報告

日時 : 2000年12月3日(日)〜12月4日(月)

プログラム :

12月3日 岡山市立オリエント美術館
1.プリシラ・スーチェク(ニューヨーク大学美術研究所)
  報告:"Yuan and Ming Ceramics in the Near East: Model or Trophy"
2.阿部 克彦(上野学園大学国際文化学部)
  報告:「2000年夏期イラン調査の報告」
12月4日 広島大学文学部
1.古瀬 清秀(広島大学文学部)
  報告:「広島大学のイラン調査の経緯と概要」
2.広島大学のイラン調査採集資料の調査
報告の概要 :

プリシラ・スーチェク(ニューヨーク大学美術研究所)"Yuan and Ming Ceramics in the Near East: Model or Trophy"
 中近東の陶器と中国の陶器との間の影響関係について、僅かな数の作例に見られる 特徴を一般化することによって得られたこれまでの定説を、東アジアにおける最新の 発掘結果を積極的に取り入れて見直そうという試みである。東アジアと西アジアの陶 器の類似点を見い出すだけでなく、どのような状況の下でそれらが 生産・使用されたためにこうした類似点が生まれたのかも検討しなければならない。
 例えば、いわゆる9世紀後半にイラクで生産されたとされる「サーマッラー陶器」 は、イスラーム陶工が輸入された無地の中国白磁の器形を模し、装飾として独自にコ バルト・ブルーの着彩を加えたと今まで考えられていた。しかし、最近の中国での発 掘によれば、器形の手本となったらしい中国白磁は10世紀以降の作品であり、また、 同じように青い着彩が施された中国製陶器が港町揚州から出土しており、今までの通 説は覆ってしまった。
 13〜14世紀には中国には元、イランにはイル・ハーン朝というモンゴル王朝が成立 し、景徳鎮の染付と龍泉窯の青磁を始め、多くの中国磁器が明代まで多く中東にもた らされた。陸路で伝えられた中国磁器は定窯のもので、中東のいわゆる「スルター ナーバード」下絵付陶器はその浮彫装飾を化粧土の盛り付けやハイラ イトによって模倣し、中国的なモティーフを取り入れた。
 同じ時代における海路による陶磁器の東西交流の様子はアルダビール(イラン)の シャイフ・サフィー廟コレクション、イスタンブルのトプカプ宮殿コレクションに よってうかがわれる。アルダビール・コレクションでは染付けが、トプカブ・コレク ションでは青磁が大多数を占めるが、総合すれば青磁が圧倒的に多い。青磁は実用品 として大量に輸入されたが、珍重はされたものの、中東陶器の手本とはなっていな かったようである。他方、元代のごく初期の染付は、その器形について中東の金属器 が影響を与え、いくつかの中東の文様が取り入れられた との説がある。しかし、最近の発掘成果によれば、実際に中東の金属器の器形が忠実 に中国で模倣され、逆に中国の文様が中東陶器においてよく再現されたのは、明代初 めの永楽・宣徳期の景徳鎮官窯の染付である。
 このように、東西の陶磁器交流においては影響関係は相互的なものであり、取り入 れられたことと拒絶されたことの2通りがある。今後の研究においては個々の作例に 注目するよりも、もっと広い視野で各々の窯業の伝統を顧みる必要がある。

阿部 克彦(上野学園大学国際文化学部)「2000年夏期イラン調査の報告」
 イラン、アルダビールのシャイフ・サフィー廟西側の壁と道路に挟まれた、イル・ ハーン朝時代の遺構のあった地点で、1995年以来ムーサヴィー氏を中心とする発掘隊 によって発掘された陶器片について、この夏阿部氏が行った調査と整理作業を報告し た。中国染付の他、15世紀のティームール朝、トゥルクメン王朝時代、17世紀サファ ヴィー朝時代、近代ロシアなどの様々な陶片が発見されたが、いわゆる「クバチ様 式」やイズニク陶器は発見されなかった。今後の更なる整理が望まれる。

古瀬 清秀(広島大学文学部)
「広島大学のイラン調査の経緯と概要」および広島大学のイラン調査採集資料の調査
 広島大学イラン学術調査隊が1971年、1974年、1976年の3次に渡って行った、イラ ン東北部の考古学的研究についての概要が紹介された。その際採集された数多くのイ スラーム陶器片のほぼ全体像が研究会メンバーに呈示された。とくにニーシャープー ルで採集された陶片が最も多く、いわゆる「ニーシャープール陶器」の他にも様々な 様式の陶片が採集されていた点、窯で使用された陶製の用具類が含まれていた点が興 味深かった。

(文責:桝屋 友子)


戻る