イスラーム地域研究5班
研究会報告

bグループ国際商業史研究会第10回例会報告

日時   : 2000年11月4日(土)13:30〜17:30
場所   : 神戸大学文学部・文化学棟大会議室
参加者数 : 17名

<プログラム>
はじめに研究会メンバーの近況報告と参加者全員による文献情報の交換をおこなった あとで、藤井真理・水井万里子両氏による報告がなされた。各報告につづいて質疑応 答がおこなわれ、藤井報告については植民地経済における作付け転換(タバコからサ トウキビへ)と労働力形態の変化(年季奉公から奴隷へ)との関連、貿易商人による 官職購入と中央権力との結びつき如何、いわゆる婚姻戦略における性差、貿易成長の 因果関係の説明方法などについて質問が出された。イタリア史・オスマン帝国史の研 究者からは、とくに中世地中海における奴隷制・奴隷交易との比較が論じられ、ジェ ノヴァやラグーザ(ドゥブロヴニク)の事例が紹介された。年季奉公契約の形態との 比較が試みられ、さらに奴隷を売買する商人が良心上の問題に悩むことはなかったか どうかについて議論した。15世紀のラグーザでは、少なくとも表向きは人道的理由か ら、奴隷貿易が禁止された。つぎに水井報告については、採鉱・精錬の生産システム と企業形態・輸出貿易事業との関係について、スウェーデンの場合との比較が論じら れ、Tin Farmerと明記のない錫輸出人の性格や、錫輸出先の特定について質問が提出 され、たとえば輸出先がLow Countriesとある場合は、実際にはアムステルダム経由 でドイツ・中央ヨーロッパ方面に再輸出された可能性が高いなど、史料の整理と解釈 をめぐる諸問題が論議された。全体として西ヨーロッパ、バルト海地域、地中海世 界、イスラーム地域の各研究者のあいだで有益な情報交換と討論がおこなわれ、「地 域間交流史」の研究はまた一歩前進をとげた。


藤井真理氏の報告要旨
「18世紀ナント商人による奴隷貿易」


本報告では、18世紀のナントが如何にしてフランス第一の奴隷貿易港になったのかを 明らかにしようと試みた。ヨーロッパ沿岸交易の中継港として古くから発展したナン トは、1635年のアンティル諸島植民地化を契機に白人年季奉公人の輸送事業を始め た。その後、大農園での労働力需要の高まりとともに黒人奴隷貿易に参入し、18世紀 初頭にはすでにこの商業分野での頭角を現した。この時期、同事業に携わった貿易商 人は、二つのグループに分けられる。第一は、フランス国内からナントに移入した商 人であり、とくにパリとオルレアンの出身者が多い。第二のグループは、国外からの 移入民であり、アイルランド・ジャコバイトはその典型であった。18世紀半ばに両グ ループは姻戚関係を結び、豊かな資金と実業界内での信用を確保しながらナントを代 表する有力な奴隷貿易商人家系を形成した。また彼らは、奴隷貿易のための商事会社 を設立し、パリの銀行業者やインド会社関係者を取りこみながら、事業拡大の素地を 整えた。インド会社は西アフリカで貿易特権を行使し、より効率的な奴隷取引を展開 していたのである。中央からの豊富な資金提供と、特権事業への参入は、ナントが他 の追随を許さない奴隷貿易として発展することを保証した。


水井万里子氏の報告要旨
「17世紀前半のイギリス産すず輸出とロンドン商人―レヴァント・アジア貿易とすず 先買・輸出独占権―」


イギリス南西部コーンウォル半島産出のすずは、中世以来鉛と並び、毛織物に次ぐイ ギリスの主要輸出品目であった。中世のすず産業を生産、加工、流通(国内・国外) という幅広い観点から個別に検討したハッチャの諸研究に示唆を得て、本報告ではま ずすず産業の構造を概観した。ここに、17世紀初頭に導入されたすず先買請負制度に より、すず産業の新利益集団として先買請負人が登場した。1607年から1643年までの 4期にわたる請負には、当時ロンドン商人の社会で台頭しつつあった、レヴァント会 社および東インド会社のメンバーが多数含まれていた。特にその閉鎖性を指摘される レヴァント会社が、1616年以降すず先買請負人をその新規メンバーとして受け入れて いった事実が同社議事録により確認された。上記のすず先買請負人にはすずの輸出独 占権もあわせて与えられたことから、イギリスのレヴァント、東インド会社の貿易と すず輸出の関係を検討することが本報告の次の課題となった。ロンドン、およびイギ リス南西部各港湾の関税台帳(ポートブックス)より抽出したデータは、4期の各請 負人を主としたすず輸出が主にレヴァント地域(リヴォルノ経由を含む)に向けられ た傾向を示している。また、東インド会社のすず輸出、特にペルシア向けの輸出が上 記のデータや同会社の議事録分析によって明らかとなりつつあるが、同地のすず市場 が1620年代後半にはオランダ商人やインド商人によるすずの持ち込みによって飽和状 況に達し、短期間に同地でのすず取引が困難な状況に陥った事例も指摘した。

(文責:深澤 克己)


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