イスラーム地域研究5班
研究会報告

aグループ「知識と社会」研究会第5回例会
ワークショップ「地域社会における知の在処」報告

日時 : 2000年10月28日(土)12:30〜17:30
場所 : 東京大学東洋文化研究所・3階大会議室

 第5回例会は、知識と社会研究会にとって初の試みとして、複数人の発表者をたてた ワークショップ形式で開いてみた。主催者としては、この研究会過多のご時世に聴衆 が集まってくれるかと少々不安だったが、佐藤健太郎氏作成の美しいポスターを事前 に配布していたことなども奏功し、色々な専門分野を扱うさまざまな方々の参加を得 ることができた。主催者が面識のない人のたくさんいるようなオープンな会であっ た。
 「地域社会における知の在処」と題した今回のワークショップの趣旨は、特定の地 域社会においてそこに「知」があると認識されている施設なり人間集団なりが、まさ にそのような知の存在(独占)から生じてくる権威をどのように操作・利用してゆく のかという問題を考えようというものであった。ただしそれは、西欧、中国、イス ラームを扱う3発表を併置するに当たって、直感的に共通の理解を持ちやすいような 議論の土台を設定しようとしただけのもので、議論がこの枠をこえ、展開することは 願ってもいないことであった。そして、現に討論は「知識と権力に関する比較史的考 察」へと進んでいったのである。以下、諸発表とコメント、議論を手短に紹介する。


足立孝「宴と地域社会:11世紀アラゴン地方における土地売買文書の検討」


 足立氏は、西洋史におけるいわゆる紀元千年変動説を批判するという立場から、話 の折々に「知の在処」に関する知見を織りまぜながら、11世紀アラゴン地方の諸修道 院が作成した買得者としての立場からの土地取引契約の覚書史料を検討し、そのよう な覚書に現れる「アリアラ」なる宴の機能を論じた。紀元千年変動説をとる人びとの 中には、"public"なる観念はこの時期に廃れ(共同体の衰退)、"private"な権利関 係の集積が社会を律する原理になる(領主制の成立)といった議論を行う者があり、 その論拠のひとつとしてそれまでは証書(carta)と呼ばれる類型の文書のみが効力を 持ったのに対し、この時期以降には覚書(notitia)という類型が十全な効力を持った 文書類型として立ち現れてくることが指摘されている。これに対して足立氏は、検討 対象である契約の覚書類とその作成に際して行われるアリアラが、実は買得の主体で ある修道院と、当該修道院の庇護を受ける特定の保証人・証人たち、そして必ずしも 困窮によって仕方なく土地を売ったわけではなく、そのような取引をよしみとして修 道院との庇護関係を樹立しようと選択した売主らが、 内的には共食によって互いの関係の強化を図りながら、外的には文書の公的通用力を 増させようとしていた、いわば腹芸のようなものであったと主張し、"public"から "private"への単線的転換説に反対した。氏の議論はそこに留まらず、"public"に "private"を対置するような二元論的思考の批判、より関係論的なアプローチの必要 性の主張にまで至った。「知の在処」という問題については、ラテン語を用いた文書 を用いたこのような操作ができたのが実質修道院だけであったことなどが指摘され た。


岡元司「中国宋代地域社会における知の在処:イスラーム社会との比較のために」


 岡氏の発表は副題にある通り、イスラーム社会との比較を強く意識したものだっ た。それはレジュメでの最初の引用が当日のコメンテーター三浦徹氏からのもので あったことにもあらわれていた。氏はまず中国宋代において教育の場と呼びうる施設 を、州県学、書院、その他の私学にわけて紹介し、それらが地域社会で持ちえた権威 を示すものとして、種々の学礼、皇帝からの賜額を挙げ、「進士」「挙人」身分の持 つ権威的側面を指摘した。また「知」それ自体に関しては、漢字の性格を取り上げ、 単にこの文字体系が習得困難なものだっただけではなく、それを用いて書かれる文 語、すなわち「文言(ぶんげん)」を使いこなすことがいかに至難な業であったかを 説いた。したがって、士人たちとは、いかに彼らの間では社会的流動性を伴ったネッ トワーク的な関係を持っていようとも、漢字が使えるか否かで他の人々とは決定的に 切り離されていたと考えられるわけである。そこで今度はそのような士人の人間関係 に着目して再び彼らの教育の場を照射すると、先の施設類型論的な展望では見えてこ なかった非公式な知の伝授のあり方が見えてくる。住宅での知的交流などはその最た る例で あろう。また、「朋友」関係や、士人の間に成立していたと考えることが可能な「公 共圏」の問題へと議論が進むことにもなるのである。このような議論を背景に岡氏 は、イスラームにおける知の伝達・形成(Chamberlainがその儀式性と模範性を指 摘)と中国におけるそれ(文字・書物の暗誦、作文・作詩、講義・討論を柱とする) に共通性を見るべきか相違を見るべきかという問いを発して発表を終えた。


谷口淳一「マドラサと地域社会:ザンギー・アイユーブ朝時代のシリア」


 発表は従来の諸研究においてマドラサをめぐって提出されてきたさまざまな論点の 整理から始まり、続いて表題にある時代のアレッポにおけるマドラサの状況が同時代 のダマスクスとの比較を交えながら論じられた。アレッポの状況の分析においては、 君主によるマドラサ創建が王朝初期に集中する事実や、有力家門による特定マドラサ での教授職の独占という現象が実はかなり後になってはじめて見られたものであるこ となど、興味深い発見が報告された。また、ダマスクスとの比較が行われたことによ り、このシリアの両都市におけるマドラサ建設がシーア派の勢力をそぐ目的で行われ たと考えることはできないことも明らかになった。谷口氏は次に地域社会における知 の在処という観点からマドラサを検討した。確かにマドラサは学者・学生を養う教育 の場であり、図書の収蔵される場であった。しかし、氏は従来本格的に利用されるこ とのなかった史料類型、聴講認定書を用い、マドラサだけを特権的な知の在処と考え ることには反対する。聴講が行われた場所は確かに特定のマドラサとジャーミーに偏 りが見られるとはいえ、住居や庭園なども含む多用なものだったのである。教育シス テムの中で施設よりも人物が重視されたことも鑑みた結果、氏はマドラサに他施設と はちがった一定の「知の在処性(?)」を認めるものの、それのみを重視する立場は とらなかった。また、マドラサのワクフ施設としての側面に注目すると、ワクフ財を 確保してマドラサを繁栄させようとする努力が、マドラサの知の在処としての権威の 創出に結びつかないことがわかる、という新しい視点をも呈示した。


 これらの発表に対して三浦徹氏が大変熱のこもったコメントをつけた。3発表に共 通して現れた、言語能力独占の問題、行政官であり宗教者である知の独占主体の問題 などを指摘した後、やはり3発表に陰に陽につきまとった現象、つまり知識の占有が 権力に結びつくという問題につき、そのような構造を理解するためのいくつかの対に なったキーワード(public vs private; hierarchy vs network; 実学(統治技術) vs 虚学(教養・修養); 教条的な知の継受 vs 議論の風、などなど)を呈示した。 ここにいたって討論は「知の在処」の範囲をはるかに越えることになった。この討論 の中では特に、儒学やイスラーム法といった直接統治の技術に関るわけではないと思 われる知がどうして統治と深く関わる士人やウラマーの要件となるのかという問題に 関して充実した議論が行われたように思う。ある中国史研究者が述べた、 個々の案件に技術的に対応するスキルは 身につかない にしても例えば儒学の古典を学ぶことによって「勘」がつくのだという説など、面白 くきくことができた。会の設定の仕方が少々まずく「知の在処」をめ ぐった討論を期待されてこられた参加者の中には失望された方もいらっしゃったかと 懸念するが、私としては有意義な午後を過ごすことができた。

(文責:森本 一夫)


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