イスラーム地域研究5班
研究会報告

第 4 回研究会「市場の関係論的秩序」報告

日時 : 2000 年 6 月 25 日(日) 12:30-18:00
場所 : 東京大学東洋文化研究所・3 階大会議室
参加者: 28 名

  1. 報告
  2. 質疑および討論の記録
         2-1 原報告に関して
         2-2 桜井報告に関して
         2-3 坂井報告に関して
         2-4 全体討論
  3. 観戦記

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◎ 各報告の概要と討論の要旨は以下の通りです(質疑討論は研究会幹事の責任でまとめ、敬称は略しました)。

1. 報告(報告要旨および当日のレジュメを掲載します)

1−1 原 洋之介(東京大学東洋文化研究所、アジア経済論)
     「市場秩序に関する経済学の問題点」

     報告要旨 PDF ファイル「Pf_hara.pdf」
     報告要旨 PDF ファイル「Pf_hara2.pdf」

1−2 桜井 英治(北海道大学文学部、日本中世史)
     「室町幕府財政の発想:贈与・市場との関係」

     報告要旨 PDF ファイル「Pf_sakurai.pdf」
     レジュメ PDF ファイル「Pf_sakurai2.pdf」

1−3 坂井 信三(南山大学文学部、西アフリカ社会人類学)
     「西スーダンの市場(いちば):交易と政治権力の構造」    

     報告要旨 PDF ファイル「Pf_sakai.pdf」
     参考資料「Pf_sakai2.pdf」
     参考資料 2 「sakai_Map.JPG」

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2. 質疑および討論の記録


2-1 原報告に関して

岸本美緒:
・個人主義と集団主義を対立的に捉えると話がこんがらかる。中国知識人も民が法を守れば社会が良くなると思ったが、でも人は法を守らない。そこで結局、個人の倫理や関係・親族に頼るようになる。つまり、社会全体が個人主義的だから集団に頼ったのではないか。また広い地域を動き回るディアスポラ商人は集団主義的にならざるを得ないのではないか。
・市場が出現する最初の出発点として、何を持ってこられるだろうか。文化信念もまた形成されるものではないか。中国人だからこうだという説明ではおもしろくない。中国的信念といわれるものを、もっと普遍的なものから説明できないだろうか。
答:
 個人主義と集団主義は最初はちょっとした差かもしれないが、それぞれ制度を生み、機能し、文化的信念を強化する。これを破るには外からのビッグバンが必要となる。ヨーロッパは都市国家から国民国家へと言うモデルで考え得るのに対し、もっと広い地域ではどう考えたらよいか。まだ考えているところである。

吉田浤一:
 華人ネットワークと言うことについて質問したい。中国の農村に集団性・共同体性がなく、華僑が集団的とはどういうことだろうか。華人は力・信望のある人の周りに人が集まってくる。だからそれはフラットなネットワークではない。中国は春秋まで都市共同体で、それ以降専制国家に屈折して行くわけだ。
答:
 商取引で裏切りがあったとき誰が制裁するかが問題だ。それは第三者として公権力なのか、それとも集団なのか。ディアスポラ的な商業は集団的制裁に頼らざるを得ない。村八分的制裁である。一方、村人たちは個人の合理的選択の結果として共同体を作った。状況と場においてそれぞれ形態が違う。

吉田:
 集団があるところでは公権力が発生するというのが、私の前提である。もうひとつの質問だが、ジェノバ商人とマグレブ商人が交渉するときはどういう制裁があるのか。
答:
 グライフの説によれば地中海ではジェノバ型が生き残る。では東アジアでは華人ネットワークがなぜ生き残ったかを考えてみたい。華人の数が多いからだろうか。それともヨーロッパ人が入ってきてもジェノバ型を作れなかったからだろうか。どうも見たところ、ヨーロッパは単線的発展であるに対し、東アジアは循環的な発展である。

三浦徹:
 中東はジェノバ型と考えられるかどうか。昨年 12 月の「市場経済と資本主義」の研究会で、加藤博さんは、前近代の中東・イスラム社会は、市場社会としての性格をもち、それを支える制度としてイスラム法や信用システムをもっていた、と報告した。これでいけば、ジェノバ型ということになるのか。その反面、実際に行われる裁判はネゴシエーション型であり、またそこでは地域社会の制裁も加わる。その点を見てグライフ流に言えば、集団主義的と言うことになるのだろうか。
答:
 中東はジェノバ型、マグレブ型のちょうど中間にあるのではないか。グライフの言うジェノバ型もマグレブ型もモデルであって、現実そのものではない。加藤氏の著作を読むと中東はどちらかというとジェノバ型に近いという気がする。

岩崎葉子:
 異なる歴史的文脈にある経済秩序間の比較を論じるのは楽しいことだが、結果を見ると、ジェノバがマグリブに対し優勢になったことから、どちらがより効率的なシステムかという議論も出てくるだろう。経済学自身は、どちらがよりすぐれていると言った議論からどう抜け出せるのだろうか。
答:
 クロニー資本主義を認めるのかと言われると困るところもある。司馬遼太郎に言わせると、アジアはみな脱亜を目指している。役人の汚職をなくさないと発展できないと言うことだ。青木昌彦氏なら、東アジア型とアメリカ・ジェノバ型のいいところを合わせた妥協・異なるシステムの連結ができないかと言うところだ。自分自身は今少なくとも、IMF型の議論、経済の理論にあわせて現実を作り替えていけばいい、だから各地域の歴史の勉強をするのは時間の無駄だという議論を批判しておく必要があると考えている。


2-2 桜井報告に関して

岩武昭男:
 切符は民間では使われなかったか。
答:
 16 世紀になると民間でも使われていたことが確認できる。それ以前については史料が乏しいものの、使われていたことは確実だろうと思う。

岩武:
 モンゴルのイルハン朝がイランを支配する時に人頭税をかけたが、7-8 代で破綻する。そこで都市の売上税(タムガ税)に歳入源を転換したのと、ご報告の室町時代の例とはよく似ている。そこでイランでは支払い指図書(バラート)の乱発が問題となるが、室町時代の切符にはそのような問題は生じなかったのか。
答:
 室町幕府の官庫をつとめていたのは特別に指定を受けた少数の土倉であり、将軍からの預け金の額を超えた支払請求には応じなかったので、イランの支払い指図書のようにその乱発が問題となることはなかった。

岩武:
 商人資本の自立性はどのくらい強かったのか。
答:
 中世の商人は一般に座と呼ばれる同業者組織を結成し、特定の領主に営業税を納入する代わりにさまざまな保護を受けていたが、これはどちらかといえば零細な商人に多いケース。土倉や酒屋のような財力のある商人は、座を結ばないで一族経営でやっていた。

岩武:
 土倉は幕府と結びついていたと考えて良いか。
答:
 結びついた公方御倉は一部分にすぎない。

斉藤照子:
 自分が研究しているビルマと比べて、寺院からものが流れて輸出に回るというお話にびっくりした。寺社から権力にものが流れたのか。だとすればこれは日本史の中の特殊な事態だろうか。
答:
 五山禅院は室町幕府から特別の保護を受けていた。その保護の部分をかりに数量化すれば、寺社と権力の間の収支はトントンといえるのではないか。幕府は五山から借金もしている。五山は図抜けて豊かな集団だったし、金貸しもしていた。ただし中世の寺院がすべてそうだったわけではなく、やはりこれは五山の特殊性であろう。

古田和子:
 将軍は市場を統制したかったができなかったのか。それともその志向がなかったのか。たとえば清朝も市場の中で一個の行動主体として現れたことがある。
三浦:
 土倉と言えば銀行業である。貸したものが返らないとどういう処置があったか。
答:
 一応、幕府の政所が商人間のトラブルや債権債務問題を裁く法廷になっていたが、むしろ多くのトラブルは商人内部で座法などの慣習法に基づいて自立的に解決されていたと思われる。市場への統制は希薄だった。政治権力は、裁判そのものにも積極的ではなかった。裁判はめんどうくさい、したく無いというのが中世権力だ。古代以来の沽価法は実効性がないと考えていたらしく、市場統制という意識そのものが希薄であったように見える。


2-3 坂井報告に関して

吉田:
 お話に出てきた市の精霊とはどういうものか。
答:
 市場が開かれる土地の精霊である。その場所を人間が使うために祭祀が必要だった。

藤井真理:
・私が研究している 17-18 世紀のフランス・インド会社によるセネガル奴隷貿易では、会社のフランス人従業員が、各地の在地の役人に年一回貢献金を払う慣習があった。この金はどう地域社会に流れていったろうか。
・生態系が変わると運送手段が変わる。輸送途中で船が何度も変わる。上流ではピローグという船が使われた。船は現地調達だったろうが、川船を貸す集団があったのだろうか。
答:
・村落連合の役人のことを言っているのだろう。連合の長は土地の主であると同時に、多少の軍事力も動かせる。そして市場に役人を送って料金を取った。だが司祭的首長の場合は、送られた役人が貢納金を取っても酒を飲んでしまい、首長の所には届かなかった。
・バンバラ王国では、「商人は伸びてくる草のようなもので、ときどき刈り取るとよい」といって、税を徴収した。
・セネガル川流域に水運に専門化した集団がいたかどうか分からないが、ニジェール川流域にはそうした集団がいた。

岸本:
・市場での喧嘩両成敗と言うことに興味を引かれた。自力救済でもなく、権力による調停でもないそうしたやり方は、中国では考えられない。どこから出てくる発想だろうか。
・17 世紀以降、政治と交易が分離・乖離するのはどういう論理によるものか。
答:
・西アフリカにおける交易・交換には双子のイメージが重要な役割を果たす。喧嘩両成敗もこの対のイメージと関係しているだろうが、実際にどう機能したか細部のことは分からない。
・政治と商人が一体化する契機はたくさんあった。にもかかわらずなぜ分かれたかよく分からない。ただ 19 世紀末になると状況が変わる。フルベ系牧畜民が各地でジハードを起こす。その動機は不当な税を課す権力を倒すことで、政治と経済を一本化させようとする動きといえる。17-18 世紀は政治と経済の分離と乖離がエンジンになっていた時代だったろうが、そのシステムが力を汲み尽くしたのが 19 世紀だったのだろうか。

床呂郁哉:
 王権の外部性と言われたが、農民と王の関係はどうなっていたのか。
答:
 異人が王になる異人王の例もあるし、バンバラ王権のように地域社会の若者組から王が生まれた例もある。いわば愚連隊から発展したようなものだ。

床呂:
 それは王権と言うべきものか。ゲバルトだけでは王権とは言えないのではないか。
答:
 土地の主は、調停はするが裁判権を持たない。王は裁判・処刑を行っていた。生殺与奪の権を持っていたわけで、その背景には王が保持する呪物がある。

床呂:
 そうすると神聖王権のように聞こえるが。
答:
 アフリカの神聖王権は太陽、水など生のシンボルを農耕民と共有していた。それにたいしてこの地域の王は死のシンボルを持っていた点で、神聖王権と区別される。

原:
 奴隷を使って生産するとは何をつくっていたのか。
答:
 綿織物を作らせていた。この時期セネガンビアの奴隷輸出は落ち込んでいる。それは内陸での奴隷の需要が高まって、値が上がったからだ。

原:
 そのことと政治・経済の分離という話はどうつながるのだろうか。
答:
 そこにはアイデンティティーがどんどん分化していく過程があった。商人と戦士の間には、「商人は奴隷を使役しているだけ」「戦士は死ねば埃にすぎない」とお互いを批判するような、潜在的敵対関係が生まれてくる。このような分化が、エンジンになっていたのでないか。ジハードの部隊がやってきたとき、マルカの商人はバンバラの王をさっさと見捨てている。

黒木英充:
 王が市場に入ってはいけないと言う禁忌が破られたときには、どんな制裁があったのか。
答:
 それについてはよく分からない。ムスリム都市に王が入ってはならないと言う禁忌が破られたときには神秘的制裁があり、たとえば盲目になったりする。


2-4 全体討論

白川部達夫:
・坂井さんに伺うが、ものの取引で所有権が移動すると考えられているのだろうか(日本中世には、人と物との呪術的関係は売買では切れないという観念がある)。また、権力と市との関係にはいろいろなタイプが考えられる。たとえば、王の即位の際に市で特別のことが行われるとか、王が市でお触れを読むといったことはないか。
・また桜井さんに伺うが、富があるから徳があると考えるのか?
坂井信三:
 通貨であるタカラ貝は言葉であるとされており、ものの交換は言葉の交換である。所有権の移転ではなくことばのように交換されていく。一方、不動産は売ることができない。またニジェール川中流域では、王権と市の関係はむしろ疎遠である。だが、交易が遅れて入った地域では、王が市を開く権利を持っていた。それは戦士王権の制と市の制が一緒になって中流域から入って来たのだろう。

床呂:
 原さんに伺うが、文化的信念を独立変数としてしまうと、それ自体をどう説明するかという問題が残るのではないか。また、Greif のモデルでは、地域と文化を 1 対 1 に対応させているが、地域のなかで、複数のルールが併存することもありうるのではないか。
水島多喜男:
 原さんのお話はもっぱら交換の話であったが、生産はどう位置づけたらよいのか。

三浦:
 坂井さん、桜井さんのお話になった事例から、新しいモデルは引き出せないだろうか。坂井さんに伺うが、ムスリム商人との交易においては何がルールになるのか。桜井さんに伺うが、室町幕府が直面した危機は、同時期のマムルーク朝の財政危機や財政政策と近似しているが、江戸やオスマン朝では様相が変わる。16 世紀に国家や経済のあり方が変わったのではないか。

原:
・生産の話はもうやめよう。意図的にやめようと思う。日本の経済史は生産のことばかり言い過ぎてきた。土地にせよ、労働にせよ、その再生産は経済学では解けない。流通・人の結びつきが大事だと考えている。
・モデルは何かを排除しないと成立しない。私の話の場合、文化的信念を外におく。このやり方はかなり有効ではないかと思っている。
・室町将軍というのは、権力をもったヤクザな商人みたいなものではないかと感じた。
・地域によって権力とは何なのかが変わる。市場の競争は、だましあいでもあり、だましたときには罰せられるという安定感覚が必要で、そこで権力が関わることになるのではないか。権力の両義的な姿は、市場のなかからは説明できないので、経済学者はここでお手上げになる。

桜井英治:
・室町将軍はたしかにヤクザの親分のようなものだが、上品になりすぎたところがある。戦国大名はそれをやり直した。
・坂井さんのお話は楽市を思わせる。日本では商人とは外来者である。住民は、商人に来てもらう必要があり、そのための苦心があった。楽市令をもらうこともそのための工夫のひとつである。坂井さんの事例の戦士は、金を払うと守ってくれるという点で、日本の海賊のイメージとぴったりする。また、喧嘩両成敗の原理は、堺や桑名に見られる。

坂井:
 地域的交換では利益は表面には出てこない。ムスリムの商人活動を方向付けたのは、親族のネットワーク、クラン・システムであり、他方、戦士王の略奪を防ぐために、イスラム王が求められるようになった。  

(文責 関本 照夫・三浦 徹)

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3. 観戦記

 論点を豊富化するために、参加者から研究会後にいただいたコメントを掲載します。

  • 「第4回比較史研究会に参加して」
          藤井 真理(千葉大学、フランス商業史)

     二年度目最初の本研究会は、岸本氏が趣意書および当日の趣旨説明でしめした「市場の秩序を、経済学的(抽象的・理論的・普遍的)なモデルと歴史個性的(個別具体的)な類型との間に見出してみる」という目的に照らしてみて、有意義であったと思う。なぜならば、三報告とその後の議論から、経済学と歴史学との幸福な相互作用の可能性を実感したからである。
     原報告が、商人を市場経済の主体として位置づけ、彼らの多様な文化信念とその形成過程に着目したことは、経済学から歴史学への呼びかけに他ならない。では、歴史学はこの呼びかけに対してどのように反応できるだろうか。桜井報告は、室町期の財政再建策をとりあげて、贈答品市場に参与する幕府を、また坂井報告は、社会人類学の観点から、植民地化以前の西アフリカ内陸について、多様な交換システムをしめし、祭司的首長の権限と王権の外部性とを提示した。いずれの報告も、それぞれの時間と空間において編成される市場を解読するための重要な視座を提供したと思う。ただ、筆者のないものねだりが許されるならば、さらに詳細な情報が欲しかった。つまり、交渉手続き、換金方法、商品輸送手段、制裁など「個別具体的な」情報である。 筆者の研究テーマと緊密にかかわる坂井報告について言えば、同時代史料が決定的に欠落している事情は理解できる。ただし、西アフリカ沿岸部(セネガル川上流域までを含む)については、当該時期にフランス人が多くの記録を残した。同地域は、奴隷獲得のためにニジェール川上流域の商業圏と接合したので、ヨーロッパ側の史料から内陸市場の実態をひきだすことも十分に可能だろうと考える。非常に個人的な願いではあるが、今後ぜひ、フランス商業史(奴隷貿易)研究と西アフリカ社会人類学との交流をふかめ、欠落した情報を集めて、歴史を再構築していきたい。
     おそらくこうした作業が、「交渉するアクター」(商人など市場参加・関与者)の行動を観察するためには不可欠であろう。そしてその成果を経済学へ投げかえし、市場秩序の生成を問い直していくことこそが、本研究会の趣旨にこたえるための「手探り」ではあっても着実な道のりであると考える。

  • 「市場の秩序と構造 雑感」
              吉田 浤一(静岡大学、中国経済)

     3 本の個性的な報告関する印象風なメモを以下に列挙します。すべての領域でアマチュアである小生の即席の印象ですので、無知なところや非礼な文章があろうかとも思いますが、ご寛恕下さい。

    ( 1 ) 原氏の報告について、短時間でのやさしい言葉による解説は感動的でしたが、ゲーム論をはじめとしてむずかしい話はよく分かりませんでした。(今回の報告はどこに発表されるのでしょうか)。しかし、市場の秩序や構造を分析しようとする時、市場の失敗や紛争がいかにして回復されるのかに注目するのが有効な視点・方法だということはわかりました。これは一般的には、当該社会・国家において人権が守られているかどうかは、それが侵害された時(とりわけ社会・国家権力によって人権が侵害された場合)どのようにして被害者の人権が回復されるのかが決定的なポイントであって、憲法や法律の条文に人権の尊重がうたわれているかどうかではない云々という話を以前聞いたことがあったのですが、その話を思い出しました。もっともこれは近年の明清の裁判を対象とする法制史・法社会学的研究でも採用されている方法でもあるようでしたが。法・制度・構造を抽象的にのみ取り扱うことのもつ欠陥の指摘(新古典派ばかりではないようですが)と同時に、新たな経済史研究の方法の提起でもあるようです。そしてこの市場秩序の回復の形式(=市場秩序の形成)が市場構造と不可分の関係にあるという実例として、アブナー・グライフの研究による、ジェノバ商人型(「第 3 者規制者を媒介とする契約・合意形成の枠組み」)と、マグリブ商人型(「集団制裁システム」これには華僑ネットワークやカースト制が含まれるとされる)の二類型が紹介されました。
     斬新でかつ論理一貫性に富むたいへん興味深い話でした。ただ、小生が全面的に賛同できなかったのがむしろ残念でした。それは一言でいえば、この二類型の前提に置かれている西洋=個人主義的文化信念、アジア=集団主義的文化信念という図式です。当日の質問の繰り返しですが、小生は、西洋は古典古代は部族的都市型共同体、中世は「封建的」共同体、日本の近世は「封建的」共同体、中国は先秦は部族的都市型共同体、秦漢以降は共同体解体(=専制国家的二者間関係)、東南アジアの多くは共同体形成未成熟(=パトロン・クライアント的二者間関係)社会であろうと考えています。個人の経営的・政治的自立のためには共同体という枠組み(=集団形成=公共的権力形成)が必要であり、個人と集団とを機械的に対比する図式自体を再検討する必要があるのではないでしょうか。時代を遡るほど共同体が強固だという理論に対する批判としては、おなじみの足立啓二氏の一連の研究をご参照下さい。

    ( 2 ) 桜井氏の報告に関して、室町幕府の財政が生々しく描かれていて想像力が刺激されるお話でした。まず幕府が「独自の官庫をもたず、財産の保管から出納業務にいたるまでのすべてを民間の土倉に委託」していたことについてです。アジアの国家を家産制的支配とか家産官僚制国家などとして一くくりにしてきた立場からすると、家産を自己管理できない「国家」をどう位置づけたらよいのか分かりませんでした。ウェーバーによれば封建制も家産制の一形態だったはずです。少し違う角度から原氏が論評された「幕府は国家ではなくて暴力団にすぎない」(だったか?正確な表現は忘れましたが)という感想が奇妙に説得的でした。この「民間委託」というのは独立法人化が間近の国立大学教員としては切実なテーマです。幕府と「公方御倉」との関係をもっと説明していただきたいと思った参加者は他にもおられたのではないでしょうか。
     もう一つは有徳思想と徳政一揆についてです。門外漢の感想ですが、富者の施しとか社会貢献とかを「徳」と名づける思想は、西洋では古典古代、中国では後漢・六朝時代に出現したのではないかと思います(小生の思い違いかもしれませんが)。有徳思想は明らかに中国の農民蜂起の「均富」=平等思想とは異なっています。有徳思想が室町時代に特有なものとすれば、むしろ室町の歴史性がほぼ同じレベルではないかと推測できるかも知れません。貧者がそのような要求を富者に出してもよい=富者はそれに応えなければならないという相互関係が形成される史的環境(都市的共同体形成?)を知りたかったということです。現在のように「進んだ文明社会」でも富者は所得税の累進課税という国家的強制を除いてはほぼ「有徳思想」を拒否していますし、また「市場経済」にしても「資本主義」にしてもこのような富の直接的人格的再分配の思想とは敵対的な気がしておりますが、種々の「商業・流通課税」を重要な財源とする「国家」と「反市場的」な徳政を要求する庶民との同時的対比の論理がうまく理解できませんでした。このような際には、「市場を媒介とする共同体形成過程における外部王権の試行錯誤的な介入」というような「弁証法的な」論理がいるのでしょうか。

    ( 3 ) 一番楽しかった坂井氏の報告については、人間社会や文明の基本原理がまざりもののない姿が浮かび上がってくるようでした。まず交易という用語について、商業とか市場とかの概念でなく「交易」という用語に込められている意図は何でしょうか。「ソースの市」と「定期市」と「交易都市」という三層の交換システムのなかで第三層に「交易」商人、遠隔地「交易」という用語が区別されて使われているようですが、小生にはその意味がよく理解できませんでした。むしろ、貨幣や商人を媒介としない(これらの市場構成要素を生み出す必然性のない)直接的取引が含まれるから商業ではなく交易、交換という概念を使うほうが自然ではないでしょうか。蛇足ながら交易よりももっと抽象度の高い概念は交通でしょうか。
     地域社会が「土地の精霊」を祀る首長によって用益権を分与された地域と、同じ首長によってその場所で「定期市」が開設され「市場の精霊(市場の開設された土地の精霊)」の祭祀によって秩序が維持される限定された地域とに二分されているという話は、二つのことを暗示しているようです。一つは占有された大地(狩猟・採集地であれ農耕・放牧地であれ他部族の立ち入りを排除するテリトリー?という生産的労働の場所)と、他者に開放された交易場所(市場)との分化がほとんど本原的に古い起源をもつということです。ただ市場・交換がものを生み出すと意識されるのか、生産とは次元の異なる行為として意識されるのかが知りたかったのですが、狩猟であれ農耕であれ本来は呪術的行為におおわれていたようですから、交易もまた呪術的行為なのでしょう。双子の精霊のイメージをもっと分析してほしいと思います。多分この研究会の意図は生産と交換をともに人間社会の形成の根源的分野として位置づけることにあるのでしょうから、坂井報告はもっとも直接的にこの課題に接近していたようです。二つは市場は他者の参入を前提とした存在であり、「地域社会」(この意味がもう一つはっきりしませんが部族的社会あるいは一首長=「土地の王」の管轄範囲を指す?)を超える間地域社会を前提とし、かつそれを結合するところの空間的にも時間的にも構造的にも明示される存在であること、共同体や集団を本来的に超える「機能」であることです。個人主義的にせよ集団制裁型市場類型にせよ、同一の文化信念をもつ商人同士あるいは同じ民族であることを前提とした閉鎖的交易秩序*であるのに対して、「西スーダン」ではラクダでサハラ砂漠を超えて来る遠隔地商人と熱帯雨林の定期市参加者とが「矛盾なく接合していた」とすれば、あるいは「委託販売」や「延べ払い」などの高度な信用が異なる宗教を信仰する異なる民族商人間で平和的に機能していたとすれば、それはどのようにして可能だったかは大切な問題だと思います。やはりエスニックに特殊化した閉鎖的商人集団化が遠隔地商人の自己規制的公正さ=商人モラルを保証するのに役だっていたのでしょうか?それともソースの市や定期市の「双子の精霊」が商業規模の拡大とともに呪的能力を成長させていたのでしょうか?ここにはゲーム理論にもとづく「個人的懲罰戦略・多角的懲罰戦略」という二つのパタンとは別の第三の文化信念にもとづく市場形成があるかもしれないという気がしました。
     *ただし個人主義的文化信念をもつ商人たちによる、取り替え可能な司法権力という構造は、公共性の確保と市場への参入障壁をもたないということとをどのように可能とするか、換言すれば閉鎖的共同性がないところでどのようにして公共的権力が成立しうるのか、やはり原氏にお聞きしたいなと思っております。

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