イスラーム地域研究5班
研究会報告

第 5 回「中東の都市空間と建築文化」研究会報告

日時: 2000 年 6 月 24 日(土)13:30〜19:00
場所: 東京大学東洋文化研究所・3 階大会議室
 6 月 24 日(土)、東京大学東洋文化研究所大会議室において、インドをテーマに 3 つの発表が行われた。前回に引き続き、雨天にみまわれながらも、20 名近い出席者を数え、興味深い発表に活発な質疑応答がなされた。以下に、それぞれの発表の要旨と当日の議論を抄録する。


「インドの都市における街区構成とイスラーム−ラホール、アーメダーバード、ジャイプルを事例として」

山根 周(滋賀県立大学)

 都市構成におけるヒンドゥーとイスラームの関わりをテーマに、イスラーム勢力が大きく関与した二つの都市と、ヒンドゥーの理念に基づいたジャイプルを比較、考察した。 それぞれの都市の歴史的概要、段階的街路システム、街区空間の施設配置や名称による特性、住居の構成とその集合形態という風に、都市をマクロな視点からミクロな視点へと掘り下げた。ラホールにおいては、市門から通じる主要街路と通り抜け可能な二次的街路によってブロックが形成され、ブロック内部への細街路によって、街区の最小単位の Kucha、Gali、Katra が存在する。より上位の概念としての Mohalla、Guzar は、ムガル朝に遡る。アーメダーバードにおいては、ヒンドゥー、ジャイナ、ムスリム一居住区を取り上げ、それぞれの街区の特性を説いた。ジャイプルにおいては、ヒンドゥーのコスモロジーを反映したグリッド状の都市計画がなされたため、整った両側町を形成する Rasta や Marg という単位が混入したことが説かれた。インドの都市にイスラームが加わった場合に何が異なるかという点に関しては、街区および街路の構成における重層性において共通性が見られ、細街路を単位とした住区構成も共通する。異なる点は都城思想の有無、バーザールの形態の違い、キャラヴァン・サライの有無という点であろうと結論した。
 発表に関しては、提示された資料の年代および作成法などから始まり、調査区域の選定法、名称調査法などが問われた。また、キャラヴァン・サライについては、都市内にあるジャイナ教徒の宿泊所やカースト毎の旅館の存在も問われた。詳細な調査に基づく比較研究で、デリーも準備中とのことで今後の発展が期待される。


「アーメダーバード、パタンの空間構成」

根上 英志(神戸大学)

 根上氏は、山根氏報告中のアーメダーバードのジャイナ居住区(マネック・チョウク)を、パタンのフォファリア・ワドと比較し、さらによりミクロな住居類型と住まい方を検討した。アーメダーバードにおいては、街区構成の概念がきれいな3段階の樹形図を描くのに対し、フォファリア・ワドでは街区 3 段階は共通しながらも、通り抜け街路に向かってすべての概念がぶら下がるという点が異なる。これは、パタンの町形成の古さに起因し、ジャイナ教徒が少数派であるために、より閉鎖的街路形態を持つにいたったのではという推論がなされた。マネック・チョウクの住宅形式は、中庭(チョウク)の有無により二大別され、さらに規模により 5 つに分類することができる。これらの住宅に対して、住民が靴を脱ぐ境界点、公的空間と私的空間などについての調査を行い、各部屋の使い方や位置付けを比較した。中庭を持たないタイプは、細街路としてのカドキに数棟が集合する例が顕著で、農村部のカドキ(広場)を囲む住宅の集合形式が原型になっていることが推察される。中庭を中心とするタイプは都市の必要性から発生したもので、ハヴェリへの発展へとつながる。
 発表の後、調査の方法や図面の問題から質疑が始まり、アーメダーバードのポルの概念とパタンのワドの概念について、住居における東西南北方向の嗜好について、なぜ無計画な街路内に細長い敷地割がなされるのか、などの質問が上がった。


「インド建築と仏教」

野々垣 篤(名古屋大学)

 インド仏教建築について、その流れの中で研究対象たる西マールワーの建築の興味深さを紹介した。インド仏教建築に関して言えば、紀元後 2 世紀頃に「哲学」から「もの」への変化の時代を迎える。これはちょうど、仏陀像の出現時期とも合致する。この時代までの仏教建築はストゥーパを守るための空間であり、僧院(居住空間)にも装飾化がなされ、「哲学」すなわち空間を重視した時代であった。紀元後2世紀頃からは、まず柱の形が変わり記念柱が好まれ、記念建造物を作る方向へと向い、僧院は無装飾化する。「もの」すなわち、建築物の時代へと入るのである。その後、4 世紀頃にも第 2 の転機が訪れ、前時代の石窟寺院から、地上に構築された石造寺院建築の時代へと転換する。インド仏教建築の貢献は、石という素材を介して木造建築のモチーフを石造建築へと形式化した点、ヒンドゥー寺院へと通じる永続的なスタイルを確立した点が上げられる。西マールワーの仏教建築は、多様であり、ストゥーパは本来中実であるにもかかわらずストゥーパに内部空間を持ちこんだ例や、祠堂が僧院に取り囲まれた例など、仏教建築からヒンドゥー建築への過渡的状況を表している。
 発表の後、「もの」と空間という相対する概念のうち、インド建築の基層文化に何を求めれば良いのか、木造建築のモチーフをなぜ石造に踏襲したのか、インド建築とは一言で言うと何であるのか、など難問が飛び交った。


 それぞれが充実した発表で、発表終了時ですでに午後 7 時になり、全体の議論に費やす時間は残されなかった。ただし、インド建築がストゥーパやシカラなどのものに固執したのに対し、イスラーム建築は空間に固執したのではとの意見に対し、中国の建築は王権の秩序を、インドの建築は宇宙のコスモロジーを、イスラームの建築は神と向かい合う個人の祈りを造形に現したかったのではないかなどと議論が進み、充実した研究会となった。

(文責:深見 奈緒子)


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