イスラーム地域研究5班
研究会報告

b グループ第 3 回「地域間交流史の諸相」研究会報告

日時 : 2000 年 6 月 17 日(土) 14:00〜18:00
場所 : 東京大学東洋文化研究所・3 階大会議室
参加者数 : 26 名
 インド洋における歴史上の港町の実態に迫るため、また、研究手法の多様化を図るため、今回は地域をインド洋北岸に限定し、考古学と文献史学の専門家から二つの報告を頂戴した。どちらの発表もスライドを用い、熱の入ったもので、参加者は報告やその後の議論から各自の研究に多くの示唆をえたはずである。


「ジュルファール遺跡の発掘」

佐々木達夫(金沢大学文学部)

 アラビア半島がペルシア湾に突き出した角のような部分の突端から少し入った西側にあるジュルファールは、佐々木氏が 1988 年以来発掘調査を続けてきた遺跡である。当日はスライドを適宜織り交ぜながら、発掘成果の報告が行われた。以下に報告の要点を掲げる。

  1. ジュルファールはアラブ首長国連邦ラッセルカイマ首長国に位置している。低い砂丘上に、海に面して幅 100 メートル以内の遺跡が約 4 キロほど続いている。
  2. 7 層からなる遺跡や出土品から考えて、14 世紀後半から 16 世紀にかけて栄えた港市遺跡だと考えられる。文字資料がほとんど残されていないので、町の名前や歴史については不明な点が多い。
  3. 出土品の大半は陶磁器であり、そのうちではイランの土器が 3 〜 4 割を占める。また、中国産の染付も多く見られる。
  4. イランからの土器やタイ、ミャンマーの陶磁器、それに中国産の陶磁器や永楽通宝は、この町と東方諸地域との活発な経済的交流の一端を垣間見せてくれる。
  5. この遺跡が港市であったことは間違いないと思われるが、特別な港湾施設の跡は見られない。
  6. 海岸沿いの隅の部分に気になるマウンドがあり、発掘したところ墓を伴った小さなモスクの跡だった。

<主な議論>

  1. ペルシア湾の北(イラン側)と南(アラビア半島側)の遺跡数と規模の相違:北は数が少なく規模が大きい
  2. アラビア半島内陸ネットワークとの関係:ネットワークの重要性をどの程度と見るか
  3. 町の宗教施設の種類と分布:モスクと聖者廟
  4. 港市機能の多様性:中継港と荷揚げ港
  5. 干満差の大小と港湾施設:英仏海峡はきわめて大きい


「16-18 世紀インド・グジャラート地方の港市と商人−スラト市を中心に−」

長島弘(長崎県立大学経済学部)

 インド西部グジャラート地方の港市スラトは、16-18世紀にかけて大いに繁栄した。この発表では、スラトの盛衰史、交易先、商人コミュニティー、貿易量や関税、歴史地理などの諸点が総合的に論じられた。主要な論点は以下の通りである。

  1. スラトの繁栄には、後背地の産業や幹線交通路との結びつきが関係している
  2. カンバーヤ湾の浅瀬化と大型船の良好な停泊地スワリの存在も重要
  3. スラトの船商の大部分はムスリム(その内実はシーア派、アラブ系、トルコ系など様々)
  4. 多数のバニヤ商人、アルメニア商人の存在
  5. 関税は 40 分の 1、貴金属は 3 %。シャーバンダルにはムスリムが任命される
  6. 1700 年頃のスラトの貿易量は、1632 万ルピー。ヨーロッパの貿易量はこのうち 8 分の 1
  7. スラトの衰退に関する通説(タプティ川の浅瀬化、マラーター軍の略奪、海賊、ボンベイの発展)はいずれもあたらない。3 大ムスリム帝国の同時的衰退、スラトの商業的後背地の破壊が大きいのではないか
<主な議論>
  1. タプティ川沿いにあるホダーワンド城の歴史と役割
  2. 関税徴収に関するムスリム・非ムスリムの区別
  3. 港市における市外壁の有無とその意味
  4. 報告者の言うスラト衰退の原因の当否について

(文責:羽田 正)


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