イスラーム地域研究5班
研究会報告

「知識と社会」研究会第 4 回例会報告

日時 : 2000 年 5 月 28 日(日)

場所 : 東京大学東洋文化研究所・3 階第 1 会議室

子島進「読み書き能力の向上と宗派アイデンティティの変容:
            パキスタン、イスマーイール派の事例から」

 今年度最初の例会報告は、昨年度の 3 本の報告全てが歴史系のものであったことへの反省もこめて、人類学専門の子島進氏(民博・外来研究員)にお願いした。
 子島氏はまず、「イスラーム復興運動」の特徴として、指導者層の脱伝統ウラマー化を指摘し、その背景として識字率の向上を挙げた。また「聖典重視」も顕著に見られる特徴であるとした。その上で氏がとりあげるのは、識字率上昇による指導者交代を経験しながら、イマーム(アーガー・ハーン)を戴く特殊な少数派であるゆえに「聖典重視」には向かわなかった、パキスタン北部山間部のイスマーイール派の事例である。
 北部山間部イ派の伝統的組織の中心は世襲のピールたちであった。神秘主義的な言葉でイマームを語る彼らは、血統と奇跡によって宗徒の尊崇を集めていた。しかし、そのようなピール制も 60 年代に廃止され、ピールたちはイ派系の学校教師がイマーム任命の「ボランティア」で運営する「仲裁パネル」(司法組織)や、宗教教育委員会にその役割を奪われたのであった。同時に宗派組織はカラーチーの連邦評議会など、よりイマームに近いレヴェルに連結されるようになる。
 子島氏はこのような指導者層の変動と宗派組織のイマームとの直結化を「強固なイマーム制が堂々と復活」したものととらえ、その背景に、識字率の上昇による若いリーダーたちの台頭と特に 80 年代以降重要となった開発言説の役割を見る。
 イ派は新しい組織を動員してめだった NGO 活動を展開している。それは植林、道路建設、灌漑水路の設置など、幅広い分野に及ぶ。そしてこのような活動は、イマームによってその時々に優勢な開発言説に応じた形で、国連本部などで「住民参加による開発」として提示されているのである。その中で、若いリーダー達にとってのイマームは、もはや「開発指導者」のモデルと化している。ここではイマームの指導にしたがうことが重要となり、もはや「イマームの教えるイスラーム」はあまり問題とされていない。そして同時に、そうした開発の言説は宗派の内的維持に役立っているだけでなく、西側の資金援助や国際機関の支援をひきつける「力」ともなっているのである。ここに、開発言説を核にしたイマーム中心の体制の強化というイ派独自の復興を見いだすことができる。

 概略以上のような子島氏の議論に対して、宗派アイデンティティの捉え方とのからみから、宗教儀礼の現状、教義の変化の有無、識字率上昇による脱イマームの動きの有無などについての質問がでた。また、そもそもイスラームと NGO 活動に深い親近性があると考えられるか、イ派の NGO のような市場原理を離れたところで作動する組織は「統治」という機能を内包するという説があるがそれに関する見解はどうか、というような疑問も提出された。概して議論は「識字率向上」という知の側面にでなく、「開発言説」という知の形に集中したように思われる。
 今回の発表では、宗派の教義にとっては本来周縁的(あるいは無関係)な言説が宗派結合の核になる現象など、この個別事例をはるかに超えた大きな問題が明らかにされたと言えよう。フィクフの社会との相関やマドラサ建設とウラマー名家層の動向の相関などを検討したこれまでの研究会とはかなり異なったアプローチにより、知識と社会という問題の領野の大きさが再確認されたと思う。そのような異なったアプローチの安易な統合は戒められるべきであるのみならずそもそも不可能であろうが、しか し常に達成目標として忘れてはならないことである。

(文責:森本 一夫)


戻る