イスラーム地域研究5班
研究会報告

a グループ「中東の都市空間と建築文化」
第4回研究会報告

 5 月 20 日(土)、東京大学東洋文化研究所8階において、イランをテーマに 3 つの発表が行われた。雨天にもかかわらず 20 名近くの出席者を数え、興味深い発表に活発な質疑応答がなされた。なお、ご案内当初発表を予定していたソレマニエ貴実也さんの体調が悪く、急遽、東洋文化研究所の桝屋友子さんに発表をお願いした。以下にそれぞれの発表の要旨と当日の議論を抄録する。



「要素と配置構成から見たイラン建築水空間秩序及びカナート水路との関係」

小林由佳

 イランの庭における水を用いた軸性の創出を手がかりに、イランの都市空間に対する迷路都市という概念の再考を試みた。まず、26 の単一の囲われた矩形空間において、水路、水盤、噴泉、園亭、建築部位(イーワーン、ターラール、ドーム、ニッチ、ミフラーブ)、通路、樹木等の配置によって、四種類のパターンを抽出した。次に、単一の矩形空間を複合した 19 例について検討した結果、それぞれの場合の囲われた空間の関係は直交・平行を原則としている。さらに、都市的空間レベルとしてヤズドとイスファハーンを検討すると、カナート・水路が下敷きとなり、直交グリッドが重層して有機的都市を作り上げている。以上から、イランにおける空間設計は、単一の建築から都市に至るまで直交・平行を旨とする水動線を基本としていることがわかった。付言ながら、少数ながら検討実例に現れた90 度以外の角度(45 度、36 度、18 度、9 度)がすべて 9 度の倍数である点は興味深い。なお、現在竣工中である恵比寿のマンションのエントランスに水路、水盤、噴泉を盛り込んだ水空間を計画した。
 会場から、イランにおける庭園文化の発達した理由について、軸の決定に際して東西南北軸、キブラ軸、地形軸等の相互関係について、イスファハーンの水路の年代と街路網との関係、取り扱った複合建築の時代、複合建築や都市においてなぜ直交基盤がありながらそれを感じさせない空間となるのか等の質問があがった。
 建築計画の手法を用いてイランの空間を考えるという斬新な研究で、複合建築への応用に対する個々の歴史的位置付け、都市への応用に際するより詳細な水路の調査が今後期待される。



「ケルマーンのタイル」

阿部克彦

 ケルマーンのマスジディ・ジャーミとマスジディ・マリクにのこる他に類例のない白地藍彩タイル、白地藍・赤彩付けタイル等について、サファヴィー朝期にケルマーンの工房において産出された特殊なタイルであろうという論証を行った。その根拠は以下のとおりである。窯跡の確認はいまだなされていないながらも、17 世紀のヨーロッパの文献にはケルマーンが上質な陶器の生産地であったことがたびたび記されている。ケルマーンのモスクに残るタイルと、白地藍彩の 1640 年代の陶製墓碑およびサファヴィー朝陶器に関して、明代中国陶磁に現われる文様と酷似するものが共通して用いられている。また、ケルマーン市内の廃屋から焼き損じの陶器を発見することができた。同じくケルマーンにある 17 世紀初頭創設のガンジャリ・ハーンの貯水槽やハンマームにみられるスタッコ装飾や種々のタイルとの類似性も指摘できる。
 会場から、タイル技法の時代特性について、ケルマーン特産のタイルであるとするならばなぜ限られた場所にしか用いられなかったのか、ケルマーンがなぜサファヴィー朝時代に焼き物の主産地となったのか、赤色の発色についてイズニク・タイルとの関係、白地藍彩タイルの広がりなどの質問がなされた。
 発表者は、ケルマーンが良質の粘土を産し、しかもバンダレ・アッバース港に近いことにより、サファヴィー朝時代に東インド会社との関連を説いた。タイルと陶磁という関係から建築と工芸品との関連を考究し、さらにデザインを媒介として建築が絵画や絨毯にまでつながる可能性を指摘した。



「イールハーン朝宮殿建築に見られる中国=モンゴル的要素とイラン的要素」

桝屋友子

 イールハーン朝とモンゴル大ハーンとの関係を鍵に、第二代アバカの夏の宮殿として再建されたタフテ・ソレイマーンにみられるイラン的要素とモンゴル的要素、中国的要素を指摘した。ササン朝建築を再利用した建築の構成においては、中心軸上の正門、イーワーン及び 4 イーワーン建築はイラン的要素であり、テントに由来する 8 角形のパヴィリオンおよび点在する宮殿配置はモンゴル的要素である。このモンゴル的要素(遊牧的プラン)は元の上都や大都にも伝播する。一方、建築装飾においては多様なタイル装飾がタフテ・ソレイマーンの特色で、中でもラージュヴァルディーナ技法への過渡的な中絵ラージュヴァルディーナ技法に注目できる。タイルにおけるイラン的要素はイラン古典からの詩の引用や場面の描写に、モンゴル的要素はモンゴルの聖なる色である青の多用に、中国的要素は龍、鳳凰、他さまざま動物文にみられる。タフテ・ソレイマーン以後、青を多用したタイル、中国の龍と鳳凰の図像はイランの芸術に定着することとなった。なお、遺蹟保存のために当初の形態が失われつつある現状も指摘した。
 会場から、敦煌など西域の建築装飾との関連性、中国工人のイールハーン朝への移動の可能性、セルジューク朝におけるトルコ・ブルーのタイルの使用とモンゴル以後の青との関連性、多角形建築に関するイスラーム 8 角形墓廟との関係などが問われた。
 イラン、モンゴル、中国という異なる文化圏を建築構成や建築装飾が伝播した事実を指摘した興味深い発表であった。また伝播したものが、あたかも生来の姿のように定着する点については、注意深い研究が大切であることを実感した。



 3 人の発表がそれぞれ充実していたために残された時間はわずかながら、イランに関する討議も行われた。イスラーム建築においては「イラン」と「アラブ」との違いを勘案することが必要で、特に緑と水を用いた庭園、装飾性についてはイスラーム建築として同等に扱っていまいがちであるが、お互いに異なるのではないかという指摘がなされた。「アラブ」においては、建築装飾が切石を素材とするためか生地の色目が重要視され、ことさら着彩を求めない。「イラン」においては、人工的な色が重要な役割を果たしている。また、マグレブにもタイルは見られるものの流麗な植物文はない。イランでは脆弱な煉瓦を使用するため、被覆材としてのタイルを必要としたのではないかという意見、イランにはより古くから着彩に対する傾向があったのではないかという意見などが出された。
 なお、準備の不手際から、当初の会場を変更し、会場の設営に時間がかかり、ご出席の皆様にご迷惑をおかけしたこと、まことに申し訳ございませんでした。

(文責:深見 奈緒子)


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