イスラーム地域研究5班
研究会報告

aグループ第8回中近東窯業史研究会報告

日時   : 2000年2月11日(金)〜2月14日(月)
場所   : 岡山市、佐賀県有田町、長崎市、福岡市、太宰府市

プログラム:

<2月11日>  岡山市立オリエント美術館
1.オリヴァー・ワトソン(ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館)
  報告:「Islamic Pottery and the Tradition of Lustre Decoration」
2.岡山市立オリエント美術館所蔵ラスター彩陶器の調査

<2月12日>  佐賀県立九州陶磁文化館
   常設展示の観覧

<2月13日>  長崎県立美術博物館ほか
1. 「オランダ東インド会社 海を渡った陶磁器展」観覧
2.出島出土イスラーム陶器の調査

<2月14日>
福岡市鴻臚館調査事務所
  鴻臚館等出土イスラーム陶器の調査
太宰府市文化ふれあい館
  1.山本信夫(太宰府市教育委員会)
    報告:「日本出土のイスラム陶器資料をめぐって」
  2.オリヴァー・ワトソン
    報告:「イスラムの錫釉陶器の発生と展開」
  3.太宰府市内出土のイスラーム陶器の調査
調査概要:

 今回は東京大学東洋文化研究所の招聘で来日したイスラーム陶器専門家のロン ドン、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館のオリヴァー・ワトソン博士の 参加を得て、岡山、九州で調査・研究会を行った。
 調査の概略は以下の通りである。岡山市立オリエント美術館では、同美術館所 蔵のラスター彩陶器についてラスター彩陶器の第一人者であるワトソン博士の知 見を披露して頂いた。有田・長崎では陶磁器交流史の展示の観覧・研究者との交 流を行った。近世における東南アジアおよびヨーロッパへの日本・中国陶磁器の 輸出の状況は、イスラーム地域におけるそれらの輸入とも深い関係があり、大変 貴重な情報が提示された。出島出土のイスラーム陶器片は17世紀以降のイラン産 陶器のようであった。詳しい分析については、同地の発掘報告を待つことにす る。鴻臚館、福岡市内、太宰府市出土のイスラーム陶器は9〜10世紀頃のものと 思われる青緑釉陶器であったが、個体数が少ないため陶器そのものが輸出の対象 ではなく、何らかの輸出品の容器と考えられる。また、ワトソン博士は太宰府市 出土品の中にフリット(人工)胎土のイスラーム陶片の存在を指摘した。

報告要旨:

オリヴァー・ワトソン「Islamic Pottery and the Tradition of Lustre Decoration」
 ラスター彩の技法は、1000年以上もの間、少数の特定陶工グループに独占され ていた点が、陶器史上ユニークである。ラスター彩の歴史はこれらの陶工グルー プの移住の歴史でもある。西暦773年に比定されるエジプト・フスタート出土の ガラス器が年代を特定できる最古のラスター彩作例であるが、ラスター彩はその 後陶器に用いられるようになり、アッバース朝の下、9世紀イラクで発展した。 初めは金属器の模倣であったが、輸入された中国磁器の影響を受けて器形が変化 し、白釉の上に描かれるようになった。10世紀末になると、陶工は再びエジプト に移住し、12世紀には白いフリット胎土に透明釉を用いるようになった。ラスタ ー彩技術は、12世紀後半にはイランのカーシャーンおよびシリアのラッカ、13世 紀にはスペインに移り、新たなラスター彩陶器の様式が生まれるが、カーシャー ンでの生産は14世紀半ば、ラッカでの生産は1400年までに突然衰えてしまう。そ の後は、イランで細々と17世紀まで、スペインではキリスト教徒の下で続けら れ、最終的にはイギリス19世紀のアーツ・アンド・クラフツ運動下のドゥ・モー ガンによる復興に至るのである。

山本信夫「日本出土のイスラム陶器資料をめぐって」
 山本氏は現在までに日本で出土した初期イスラーム陶器の作例を網羅的に紹介 した。初期のイスラーム陶器は9世紀後半〜10世紀初頭の青緑釉大壷片に限ら れ、そのほとんどが福岡県の官衙・邸宅趾で出土している。大壷そのものが貿易 品であったのか、その収納内容物に重要性があったのか、また、日本への搬入の 際にイスラーム商人の直接の関与があったのか、中国貿易を介した間接的なもの であったのか、更なる考古学的調査が待たれる。

(以上文責:桝屋 友子)

オリヴァー・ワトソン「イスラムの錫釉陶器の発生と展開」

 ワトソン氏の講演は、tin-glaze pottery、つまりイスラムの錫釉陶器の発生 と展開に関してであった。9世紀までのイスラム陶器は、粘土質の胎土を用い、 焼成温度も1000度を越えることはなかった。しかしその後、イラクのバスラで、 黄色の陶土に白い錫釉をかけ、中国の白磁に倣った器形のものが作り出され る。さらにこれに緑色やコバルト・ブルーで斑点状の彩色を施したものが制作さ れた。ワトソン氏は、この場合の彩色方法をin-glaze paintingと呼んでおり、 釉をかけ、乾かした表面に彩色すると、顔料が釉の中に浸透し、ちょうど色が釉 のなかに溶け込んだ状態になることを指している。この技法は東に移り、イラン のイスタフルなどでは、緑、黄色、そして黒色の彩色陶器が生まれた。そしてニ ーシャプール、サマルカンドへと東遷を続けた。その一方、この技法は西へも渡 り、シリア、そしてエジプト、また地中海沿岸の北アフリカでは、やはり粘土質 の陶土に白い錫釉をかけ、それに緑や褐色の線描を施した陶器が生まれ、10世 紀にはスペインへと渡った。この同じ陶土のものは、ラスター彩陶器にも使用さ れ、いわゆるイスパノ・モレスク陶器と呼ばれるものも、素地に同様の技法を用 いている。次にスペインからイタリア、フランス、オランダ、イギリス、ノルウ ェーと、9世紀のバスラで生まれた錫釉の技法が、ヨーロッパの陶器製法の基本 的技法として、およそ1000年間にわたって展開した。
 発表後の研究会参加者からの質問では、釉下彩色の技法の起源に触れたものが あり、それに対してワトソン氏は、12世紀ごろにイランで発生した可能性を指 摘し、1201年の銘の入った作例を挙げた。次に、ワトソン氏が使用したfritware という用語に関しての質問があり、ワトソン氏は、stonewareと全く同 じものであり、石英が90%、ガラスが10%、それに白粘土を10%加えた混合胎土 を指すと述べた。しかし、ワトソン氏は、この組成胎土の陶器は、むしろquartz wareと呼ぶべきものであり、粘土質の陶器に関しても、claywareと呼ぶほうがよ り適当であるかもしれないとの意見を述べた。

(文責:阿部 克彦)


戻る