イスラーム地域研究5班
文献短評

 
 
 
ペルシアの情景

ガートルード・ロージアン・ベル著/田隅 恒生訳
イスラーム文化叢書1 法政大学出版局、 2000


 本書は1892年5月から5ヶ月に渡ってペルシアを旅した女性の旅行記、Safar Nameh. Persian Pictures. Book of Travel(全20章)のうち14章分を訳出したもの である。一つ一つの章は10ページ前後とひじょうに短く、その中にテヘランの市街の 喧燥や、レイの歴史とそこにそびえる沈黙の塔、アーシュラーの受難劇にむせぶ人々 、コレラによって滅びゆく町々などが独特の流麗な筆致で描き出されている。ヨーロ ッパの社交界に飽き、新たな刺激を求めてやってきた24歳の女性の視線は、(ときに 古代ペルシアやアラビアンナイトの世界への憧憬によって、ずいぶんとロマンチック に脚色されてしまうこともあるが)ほとんどの場合、対象をまっすぐ冷静に見つめよ うとしている。こうして書かれた、日付や人名、地名といった固有名詞が極端に少な い旅行記の風景描写や人物描写の美しさは、まさにスケッチとよぶにふさわしい。
 これら一枚一枚の絵は、史料として用いるにはぼんやりしすぎているかもしれない 。しかし、輪郭や色彩が曖昧であるからこそ、時代を超えて共有することが可能であ る。確かに道端では、騾馬追いの代わりにサヴァーリー(乗合いタクシー)の運 転手が叫んでいるし、キャラバンサライは西洋風のホテルにとって変わられている。 マントを羽織りターバンで頭を覆った男性も、白い面被をつけた黒づくめ女性も今で はほとんど見ることはない。しかし、ガートルード・ベルの描き出したバーザール( とくに小ドーム型の屋根の丸い穴から差込む日光の描写!)や、庭園(プラタナスの 広葉を通って木漏れ日のさす庭園と、聞こえてくる噴水のしぶきの水音)など多くの 風景は、数年前にペルシアを旅行した評者にとっても、印象深いものである。こうし た意味で、本書は資料用の本棚ではなく、写真やアルバムとともに飾っておいて、時 折「心の小旅行」に携帯することをおすすめしたい。(『必携アラビアン・ナイト』 に続く「私の心の旅シリーズ」vol.2といったところか…。)
 美しいスケッチのページが終り、ホッとしているのも束の間、本書の終りの部分で は一転して、訳者田隅氏による壮絶な女傑伝が繰り広げられる。中東を旅した、ある いは中東に生きた4人の女性の人生は、女性読者にとっては啓蒙的、男性読者にとっ ては教訓的でさえあり、こちらもかなり読み応えがある。
 この本を読んだ日本人女性が、5人目の女傑として中東に君臨する日もそう遠くな いかもしれない。(後藤絵美)

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Narratives of Islamic Origins:The Beginnings of Islamic Historical Writing

Fred M. Donner,
Princeton, 1998.


 「ムスリムは何故歴史を書き始めたのか?いまある研究は、決してそう問うことは ない」。初期イスラームの歴史叙述については多くの研究があるにも関わらず(中世 以降の蓄積の極端な薄さとは対照的である)、いまだ根本からは問われていないこの 疑問に答えるべく、著者フレッド・ドナーは本書の目的として次の二点を挙げる。
 「なぜ、ムスリムは歴史を書こうとしたのか?」
 「どのように、ムスリムは歴史叙述の伝統を発展させたのか?」
 前者は本書第一部、後者は第二部に対応していると言って良いだろう。まずは本書 の内容を以下に概観する。

 第一部(第一章〜第三章)では、歴史叙述が現れる過程と背景が論じられる。第一 章では、クルアーンの成立は遙かに後代(A.H.二世紀から三世紀)だと主張する懐疑 論が批判され、遅くとも第一次内乱(656-61)までに纏められていたとする。第二章で はクルアーンの性質の主眼が、時間軸に沿った展開ではなく信仰心の類型的な表現に 置かれているとし、個別具体的な歴史性は無視されているが故に非歴史的な叙述内容 を持っていたことが論じられる。第三章では、クルアーンに見られるように元来非歴 史的な意識を持っていたイスラーム共同体が歴史意識を持つに至った経緯が検討され る。著者は、歴史意識発展の契機として従来指摘されていた「自然な好奇心」或いは 「外的な影響」を、両者を兼ね備えていても歴史意識を発達させない集団はあるから 決定的な要因とはいえないとして批判、それに代わって、イスラーム共同体がアイデ ンティティーを形成するため、そして支配を正当化するために歴史意識、歴史叙述が 発展したと論じている(670-80年代に起こったと推測されている)。
 第二部(第四章〜第一二章)では、歴史叙述が現れて後の展開が取り扱われる。ま ず第四章で初期イスラーム歴史叙述の概要が述べられ、続く各章では初期歴史叙述の 主要テーマ−prophecy(第五章)、community(第六章)、hegemony(第七章)、 leadership(第八章)−にそれぞれ検討が加えられる。第九章ではナラティヴの伝達 とそれに伴う変化やメディナやクーファ等の「学派」、続く第十章では年紀の問題、 第十一章では初期イスラームの歴史叙述の型として用いられたハディース的形式の性 格が論じられ、第十二章がまとめとなっている。

 本書では初期イスラームにおける歴史意識の萌芽とその発展、及び歴史叙述の主要 テーマ、形式などが分かり易く説明されており、専門とする時代が本書の取り扱う時 代より一千年ばかり後である評者にとっても非常に参考になった。中でも、非歴史性 をその特徴とする初期のイスラーム共同体が歴史意識を獲得していくに至る分析(史 料が少ないが故に推測が多くなるのは致し方ないとして)は、今まで自然発生説など いまいち釈然としない説明に満足せねばならなかった評者にとって、腑に落ちるもの であった。勿論、イスラームの歴史叙述では私撰が殆どを占める事実を考慮に入れる ならば、歴史意識の発展について正当化という要素を第一に置くのには慎重になるべ きだろうが。
 本書には既に幾つかの書評が寄せられている(註参照)が、そこでも焦点は初期イ スラーム共同体の「非歴史性」とそこからの歴史意識の発展に向けられているようで ある。書評に見られる批判の一つに、クルアーンの終末論的性格を強調して非歴史性 を主張する本書に対し、ムハンマドは共同体の形成や社会的法規にも関心を持ってい たから必ずしもそうでは無い、というものがある。確かに、終末論的な性格が濃いメ ッカ啓示に比較して後代のメディナ啓示は具体的な社会的規範を多く含んでおり、ク ルアーンの性格が全て「非歴史的」とは言えないとする批判は当を得ていよう。この 批判を考慮に入れると、歴史意識の萌芽が現れた時期を、本書の主張よりも多少古い 時代(ムハンマド時代の末期?)に遡らせる必要があるかも知れない。
 中世以降のイスラーム史学史研究の層の薄さに比して、初期イスラーム時代に関し ては類書が多い(それにしてもこのギャップは一体なんなのだろう)。本書はその中 でもスタンダードとなるべき良書であり、関心のある方は一読をお薦めする。

(註)本書には、Wilfred Madelung(Journal of the Royal Asiatic Society, third series, vol.9, part 2, 1999, pp.296-298)とMuhammad Qasim Zaman(The Middle East Journal, vol.54, no.3, 2000, pp.492-494)が書評を寄せている。な お、Middle East Studies Association Bulletin, vol.34, no.1, 2000にも書評が掲 載されているが評者は未見(網羅的に調査したわけではないので、他にもあると思い ますが)。

(小笠原弘幸 東京大学大学院博士課程)

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文士と官僚―ドイツ教養官僚の淵源―

西村 稔
木鐸社、1998


<はじめに>
 イスラーム地域に関する研究において、ウラマー研究を昇華する形で「知の獲得」「知の伝達」「知 の還元」といった、「知」をキーワードにして、社会との関連性を重視する「行為」の研究が見られる ようになってきた。「知」は、「蓄積」と「表現」というふたつの「行為」からなる。その際、「蓄 積」の形態と「表現」の座標を分析する上で、歴史的視点は欠かせないものと思われる。こうした研究 状況の中、近代歴史学の本流であるドイツ史研究の最先端から、文士と官僚の結合と分離という近似し たテーマで研究書(本書)が出された。本書を参照することは、イスラームにおける「知」の歴史的考 察においても決して無益ではないであろう。
 文士は知のアーティスティックな側面を、官僚はプラグマティックな側面を代表する。両者は対立関 係や共闘関係を結んだり、相手に対しコンプレックスを抱いてそれを記録に残すものであるが、文士と 官僚が同一人物であることがままある社会が、しばしば世界史の各局面に出現してきた。新刊紹介には いささか月日がたってしまった書物であるが、このテーマについて考えることは理解と実践という研究 の本質とも関わってくるので、議論の土台として本書が有益であると感じ、短評を書くこととした。特 に新しい史料があるわけではないが、ドイツ史の裾野の広さが判る、イスラーム地域を対象とする者に とっても触発されるところが大きい著作である。特に、マムルーク朝やオスマン朝などを志すものは切 り口が似てくるのではないだろうか。

<総評>
 本書は、H. U. ヴェーラーに代表されるドイツ戦後史学の成果に知的概念の社会史的分析を加えるこ とを試み、同時にウェーバーが図式化した「教養人」型官僚から「専門人」型官僚への普遍史的転換図 式を手がかりにして、ドイツにおける文士と官僚の結合の諸相を歴史的に考察した著作である。時代的 には後期中世から20世紀初頭までを対象としているが、特に啓蒙期から近代にかけての部分に重点が 置かれている。

<概要>
 本書は全4部で構成されている。第1部「学識」では、まず中世末期の聖職者官僚を経て、近世に成 立した、ローマ法を軸にして大学教育を受けた学識官僚が、17世紀後半以降に貴族による世襲の拡大 によって形骸化し、ライプニッツやトマジウスによって批判を受けるまでのドイツ学術史が語られる。  第2部「啓蒙」では、18世紀にアカデミーや結社、読書クラブの成立を紹介し、そうした活動の結 果として文芸の地位が上昇し、官僚と文士の「ヤヌス」状況が生まれるまでがプロイセンを中心に記述 される。匿名性と沈黙を文芸に対して強要する啓蒙的専制の下で、自由を守護する意味で書かれたカン トをはじめとする知識人による「公」と「私」に関する論考、及び啓蒙官僚の公的活動である法典編纂 をを著者は併せて検討する。
 第3部「大衆」では、18世紀末から19世紀初頭において、官僚及び文士が教育を受けた大衆の登 場にどのように反応したかが検討される。まず、カントやメンデルスゾーンの発した問い「啓蒙とは何 か」が登場した時代的背景を説明し、その上で文士(知識人)による「真の啓蒙」と「民衆の啓蒙」の 区別、ヘーゲル、フィヒテなどの思想家や、ヘルダーやシラーなどの文筆家などに見られる啓蒙批判と 知の高踏化、また官僚による(啓蒙思想家ではなく、大衆を規制の念頭においた)検閲などを紹介しつ つ、18世紀的な知のあり方の終焉としてカント=ニコライ論争、及びカント=フィヒテ論争を採りあ げる。
 最後の第4部「教養」では、大学改革論を比較し、サヴィニーの用いた「教養人」という概念が定着 し、学識が切り離されるまでが前提となる。フンボルトに代表される教養人としての官僚が、歴史法学 によって法科官僚、さらには専門官僚に至る道と併行して、文芸が教養と分離し、20世紀初頭に文士 と官僚の対立構図が「完成」する姿を紹介しながら、著者は最後にウェーバーの諸論をその構図への陶 治への道として提示し、本書を結んでいる。

<コメント>
 キー概念として、「学識者」Gelehrteと「教養人」Gebildteが設定されている。そのほか、旧学識を 批判する上での世間知としての「哲学(ヴェルトヴァイスハイト)」Weltweisheitや官僚を含めた啓蒙 知識人としての「フィロゾーフ」Philosophなど、幾つかのサブ概念が用意され、その間を歴史的経緯や 知識人のテキスト、枢密顧問官の社会構成や書物の出版点数などの統計的数値が埋めている。対象から 概念を抽出し、演繹的に分析を行うという意味で、著者の企図した「概念史的知見を取り入れた知識社 会史的、文化史的な考察方法」は一定の成功を収めたといえる。戦後ドイツ史学が歩んできた、政治 史・外交史偏重からの脱却という文脈も、1990年代までの先行研究をふんだんに利用することで生 かされている。
 著者の先行研究への批判としては、昨今語られる「教養」において、18世紀以前の状況に光が当て られていなかったという点が挙げられる。これについては、本書第1・2部における「学識者」や「哲 学」の分析によって補完されており、ドイツについては素人である評者もある程度著者の主張する歴史 性は理解できた。
 疑問点をあえて挙げるとすれば、サブタイトルにも冠せられている教養官僚の実像が、本書からはい まひとつ浮かび上がってこない点に評者は不満を感じた。彼らについては序章でひと通り述べるに留ま り、明確に人物像を窺い知ることの出来るのはフンボルトしかいない。概念史・知識社会史という本書 のテーマからは外れるが、類型論を避けるにしても、もう少し教養官僚の具体的な姿が判る記述を、別 の観点から提示して欲しかった。本書のままでは、特定の文士の論理に振り回される危険性を拭い切れ ない。釣り合いを取る意味で、官僚側の能動的な言動を素描することに成功すれば、より豊かな知見を 得ることができよう。また、紙数の問題はあるにせよ、先行研究に負う部分が大きい以上、文献目録は 必要であった。
 もっとも、そのような批判点はあるにせよ、本書はドイツ的な知の表出法について、特に近代に関し ては多くのものを教えてくれることに変わりはない。一見全く異なるテーマのようであるが、評者は、 イブン・タグリービルディーを除くマムルーク朝後期の年代記作者が、どうして武将以上に官僚にこだ わるのか不思議でならなかったが、本書を読んである程度合点がいった。隣の芝生は青いのである。  最後に、これは評者を含めた読者への課題であるが、「なぜドイツは民主主義ではなく帝政を歩み、 ワイマールの破綻後ヒトラーとナチスの政権を許したか」について、本書は沈黙を守っている。これに ついて現段階で論争することが解決的であるかについては評者の判断するところではない。しかし、ド イツ史学がこのテーマを引きずって現在に到っていることはG. イッガースらが明快に語っている。学部 時代に授業を受けたKPDを専攻する講師も、「知れば知るほど、何も言えなくなる」と自嘲気味に 語っていた。本書を手がかりに素人考えで言うならば、カントらが重視した知の公共性を、文士・官僚 の区別を問わず、知の担い手が意識しなくなった段階が危険水域であり、知を志すものは常に誰に向 かって語っているかを意識せねばならないのではないかと思われる。本書は語らずして、近代ドイツの 持つ意味の大きさを教えてくれる。言うまでもなく、近代日本も、位相は異なるにせよ、同様の重さを 抱えている。(鈴木 陵二 / 東京大学・院・西アジア歴史社会)

<参考文献>
G・イッガース、早島瑛訳「戦後ドイツの歴史家と歴史認識」『思想』848, 1995, pp. 43-62

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エジプト出版動向雑感:カイロ国際ブックフェアによせて

中町信孝
 


 2001年1月24日より2月6日にかけて、毎年恒例のカイロ国際ブックフェア( Ma`rid al-Qahira al-duwali li-l-kitab)が、カイロ北東ナスル・シティの見本市会 場(Ard al-Ma`arid)にて開催された。エジプト中の書店が集まるこのフェアも今年で 第33回めを数えるが、年々規模が拡大しており今やエジプト人家族の格好のレジャー の場となっていると聞く。むろん、国内のみならずアラブ各国からの出版社、小売店 の出店も盛んであり、アラブ地域を中心としたイスラーム地域研究に携わる者にとっ ては、カイロ・ブックフェアを見ずして結構と言うなかれ、との形容が相応しい。以 下に、ブックフェアを通して報告者が見聞した当地の出版動向をわずかではあるが紹 介したい。報告内容が報告者の専門である前近代アラブ史に著しく偏っている点、あ らかじめお断りせねばなるまい。

1.国立図書館(Dar al-kutub wa-l-watha'iq al-qawmiyya)の出版物
 最近になって、アラビア語古典の諸著作が多数、校訂・出版されている。ここには al-Nuwayri, Nihayat al-arab, vols. 32-33やIbn Taghri Birdi, Manhal al-safi, vol. 8(写真1、vol. 9も近刊予定)、`Ali Mubarak, Khitat al-tawfiqiyya al-gadida, vol. 14など、従来「全エジプト書籍公社」(下記)の名で出版されてい た続き物の最新版も含まれる。その他、al-Gabarti, `Aga'ib al-atharのような古い 校訂本のリプリントや、ムスタファ・カーミルやサアド・ザグルールの書簡集、パピ ルス文書、オスマン語写本カタログなども出版されていた。いずれも装丁が上等で、 その分値段は高めに設定されている。

2.全エジプト書籍公社(al-Hai'a al-misriyya al-`amma li-l-kitab)の出版物
 「エジプト人の歴史(Ta'rikh al-Misriyin)」と題するシリーズに注目。エジプト 国内の若手歴史研究者による著作が、このシリーズですでに200近く出版されている 。主に各大学に提出された修士・博士論文を活字化したものとのことで、それぞれ扱 うテーマはコプトの歴史からワフド党史までと多岐に渡り、エジプト歴史学界の最新 成果を知るには打ってつけである。なによりサンドイッチ代程度の低価格がうれしい 。写真2は`Adil `Abd al-hafiz Hamza, Niyabat Halab fi `asr salatin al-mamalik, 2vols., 2000. 「エジプト人の歴史」シリーズと銘打つだけあって、こ のような外国の地名が冠された研究は少数派である。

3.仏研とアメ大
 優れた研究書を数多く出版するフランス研究所(Institut francais d'archeologie orientale du Caire)の出版物は、カイロで売られている他の書籍に比べ非常に高価 であるが、ブックフェア期間中はすべて2割引で入手でき、お買い得である。Andre Raymond, Artisans et commercants au Caire au XVIIIe siecle, 2vols., 1999(再 版)を購入するつもりだったが、フェア会場における仏研のブースの位置が分からず 、結局買いそびれた。ただし、レイラ書店を通して購入すれば常時二割引であるとの 情報も得ている。一方、同様に高価なアメリカン大学(American University in Cairo)の出版物は、フェア期間中もほとんど割引がない。アラビック・レキシコンで おなじみE.W. Laneの未発表原稿を元に2000年に校訂・出版されたDescription of Egypt(Jason Thompson ed.)を、この機会に購入しようと思っていたのだがこれも断 念。

4.その他
 マドブーリ(Madbuli)書店の「エジプト史叢書(Safhat min ta'rikh Misr)」シリー ズは、その内容を概説書から個別研究書へとシフトしてきているようであるが、玉石 ある。写真3はMuhammad `Abd al-ghani al-Ashqar, Salar al-amir al-tatari al-muslim, 2000. 内容はさておき、マムルーク朝1アミールの伝記的研究が一冊の 本になるのだから、現地歴史研究者の層の厚さには驚くほかない。
 エイン(`Ayn)書店はカーセム・カーセム博士の著作を筆頭に、中世アラブ史の分野 で優れた研究を近年多く出版しており注目したいところ。写真4は`Imad Badr al-din Abu Ghazi, Tatawwur al-hayaza al-zira`iyya zaman al-mamalik al-jarakisa, 2000. 社会史的著作が多いのがこの本屋の特徴か。
 また近年、主にベイルートの出版社から、アラビア語古典史料の刊本が多数出版さ れている。確かな史料批判に基づく新校訂本は歓迎であるし、すでに入手不可能とな っている古い刊本の忠実なリプリントも許容できるが、中にはなぜこのような刊本を 出版するのか理解に苦しむ粗悪品を量産する出版社もあり、注意が必要である。

 以上。もとより報告者の能力では、アラブ世界全体における出版界の最新事情を概 括することなど及びも付かないのであるが、種々の情報が氾濫するネット世界におい てはつたない情報も無いよりはましと割り切り、このようなレビューを試みた次第で ある。読者諸氏のご参考になれば幸いである。(中町信孝・カイロ大学)

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Ketab-e Mah: Tarikh va Joghrafiya

 
37-38


 本書(正確には雑誌)はすでに、森本一夫氏に「森本一夫イラン旅での見聞」と題 した短評で簡単に説明されている。評者は森本氏から本雑誌を頂戴したこともあり、 折角だからもう少し、内容を説明するのも意味があろうと思って筆をとっている次第 である。この雑誌の性格は森本氏の説明を参照していただきたい。
 この号は「サファヴィー朝特集号」と題され、森本氏の説明にもあるように150頁 を越えている。収録されている論文等をあげると以下の通りである。

1,Monajjem Yazdi家とサファヴィー朝期の歴史記述 / `Ali Asghar Mosaddegh
2,仏人サファヴィー朝研究者Jean Aubin(1927-1998)の作品目録/ Jean Calmard, Jaquline Calmard, `Ali Asghar Mosaddegh訳.
3,世に稀である、気難しいそのタブリーズ人(サファヴィー朝期の芸術家、詩人、 文人であるSadeqi Bek Afsharについて)/ Ya`qub Ajand.BR> 4,サファヴィー朝期に於ける、イランの宗教構造の変化の歴史に関する研究文献目 録への導入/ Mansur Sefatgol. 5,Majlesi時代におけるイランの学問、文化の変化/ Ahmad Masjed Jame`i.
6,Ludovico di Varthemaの旅行記のイラン部分(910/1503)/ Mohsen Ja`fari Mazhab訳注.
7,イラン人歴史家と彼の作品についての覚え書き:Edris Bedlisi./ `Ata Allah Hasani.
8,過去二十年のサファヴィー朝史の校訂された文献資史料目録/ Nasr Allah Salehi.
9,サファヴィー朝期においてイランが社会的・経済的に危機を迎えた諸原因に関す る、ロシヤ人歴史家の研究/ Sayyed Hashem Aghajari.
10,『Arakol史』、11/17世紀におけるイランとアルメニアの歴史の合同期/ Shokuh al-Sadat-e A`rabi Hashemi.
11,Sholeh Quinn,“ The Dream of Shaykh Safi al-Din and Safavid Historical Writing,”Mansur Chehazi訳.
12,Rostam al-Hokama、その歴史記述についての覚え書き/ Gholam-hosein Zagharnezhad.
13,サファヴィー家の起源とそれに関する研究/ `Abd al-Rasul Khirandish.
14,羽田正『勲爵士シャルダンの生涯−17世紀のヨーロッパとイスラム世界』/ 笹 嶋健、Mansur Sefatgol書評.
15,Shah `Abbasの生涯/ Mohammad Hasan Raznahan. ・KrusinskiとHazin-e Lahijiの視点から見た、サファヴィー朝の最末期/ Nahid Behzadi.
16,写本『Tarikh-e Ilchi-ye Nezamshahi』への導入/ Nadere Jalali.
17,サファヴィー朝期におけるJabal Amelからのシーア派ウラマーのイランへの移 住/ Hoda Sayyed Hoseinzade.
18,ケンペルの視点から見たサファヴィー朝期のイラン/ Abu al-Hasan Mobin.
19,Homani著『ギーラーン史』のサファヴィー朝研究に於ける位置/ Feridun Shayeste.
20,『Safine Soleimani』、11/17世紀における、シャム(タイ)宮廷に使わされ た初めてのイランの政治使節による、最初のペルシヤ語使節記/ Amir Sa`id Elahi.
21,ヨーロッパ人旅行記から見たサファヴィー朝のイラン/ Mojtaba Khalife.
22,Savory『Iran under the Safavid』に関する一考察/ Parviz `Adel.

 このように数多くの研究が掲載されており、8のように実際有益且つ参考になるも のや、4のように興味深いものもいくつか見受けられる。また、欧米の研究成果を積 極的に取り入れようという意気込みも感じられる。また、外国人旅行記などを積極的 に活用していく姿勢も明らかになっている。
 しかし、上記の諸論文を見たところ、ただ「サファヴィー朝関係」というだけで、 特に他には何の共通点もないのはいささか引っかかった。雑誌の序の部分を読んでも 、編集の意図はよくわからないのである。また、いまだにサファヴィー朝史をイラン 人研究者が全ての分野で先頭になって牽引するというところには至っていない感もこ の雑誌からは読みとれる。もとより彼らは国際的な学界の牽引を意図していない(と いうより、外国の研究をあまり相手にしていない)可能性が高く、あくまでイラン一 国史の中の一こまとして、イランの国民を対象としている感が強いと、若手イラン史 大家の某氏より指摘された。
 しばしば、イランに於ける歴史研究の問題点は指摘されているが(例えば、必ずし も分析的な研究ではなく、知識の集積を目的とした研究が多いという批判など)、そ の傾向は修正されて来つつあるようにも思え、現地の研究にもしっかりアンテナを張 っている必要性があると言えるだろう。イランのイラン史研究も昨今の「グローバル 化」?の影響を受けると期待したい。そうなると、イランの学術雑誌をもっと日本の 大学図書館も収集することが、今後重要となるだろう。
 最後に、この雑誌では、外国の研究者事情にも一応配慮しており、日本人のサファ ヴィー朝史研究にイランの研究者も注目している、ということを述べておきたい。上 記の論考の中にも羽田正氏のシャルダンに関する著書の紹介が載せられていることか らも明らかであり、そのほか、雑誌の序文には、上述の羽田正氏の他、羽田亨一氏、 近藤信彰氏の名前も記されている。欧米、日本、現地イランの研究の三者に対して研 究者が、当然のように、常にアンテナを張り巡らさねばならない、そういう時代も案 外遠くないかも知れない(トルコなどと違って、未だそれがほとんどなされていない 、このこと自体がサファヴィー朝史のみならず、イラン地域史の遅れを示していると 思われるのだが)(阿部尚史、東大院)

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海のアジア 第1巻:海のパラダイム

尾本 惠市,濱下 武志,村井 吉敬、家島 彦一 編
2000年,岩波書店(シリーズ  海のアジア  第1巻)


 それにしても、かつてこれほどのスケールをもったシリーズがあったであろうか。 副題に「海のパラダイム」と付けられた本書は「海のアジア」と題されたシリーズの 記念すべき第1巻として、「海のパラダイム」「海のアジア史」「海から考える現代 」「海への感受性」の4つの視点から「海のアジア」に迫る巻である。
 今私の強調した本書のスケールの大きさは、この巻の目次を見れば一目瞭然である 。濱下武志氏、家島彦一氏と言った海をフィールドに歴史を描いてきた歴史学者と共 に、生態学、生態人類学、建築・都市史、中国経済史、東南アジア社会経済論、比較 文学、遺伝人類学、国際海洋法と言った日頃あまり接する事の無い学問分野で活躍す る当代一流の研究者、更には映像作家、詩人達が、様々な世界から「海のアジア」と いう、たった一言を 旗印に集い、そして本書を織り成している。そのスケール、ヴォリュームは感嘆の念 に尽きない。これら多様な学問分野、世界からそれぞれが、それぞれの視点で「海の アジア」についてそれぞれに述べ、そして巻末の座談会では家島、濱下両氏に加えて 、遺伝人類学者の尾本恵一氏、東南アジア社会経済学の村井吉敬氏らの海への熱い想 いが交錯するという形で本書は展開していく。
 このような超学問的な試み,しかも芸術分野までも含んだ今回の試みは本来非常に 難しいものなのであろう。しかし本シリーズはまさに「海のアジア」に全ての話し手 の視点が向いていて、学問分野、時間、空間が壮大なスケールで広がっているにもか かわらず、しっかりとした一体感が感じられた。
 1980年代以降の歴史学に於ける海への眼差しは藤本勝次、山田健太郎、三杉隆敏共 著『海のシルクロード』、川勝平太編『海から見る歴史 ブローデル地中海を読む』 など、共著、編著による著作が1つのメルクマークとなって潮流を形成、体現してき た。それらと比べても、今回のこのシリーズは分量、視点の多様さ共にかつて無い大 きさではないだろうか。先程「あまり接する事の無い」と書いた諸分野に関しても非 常に明快に書かれており、「歴史を学んでいるもので」と言ってそういう他の分野を 見てみぬ振りをする事はもう出来ないのではないかと本書を読んで感じた。そして座 談会を読んでも分かるように、本シリーズは海を通して諸学問間の境を越えた超学問 融合の1つの新しい形、態度を我々に提案しているのではないだろうか。その意味に 於いても、このシリーズは歴史学にとって新しいメルクマークとなるかもしれない。

 最後に、私はこの本の執筆者達に若大将よりも何百倍も熱い海への思いを感じた。  (鈴木英明)

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生埋め(zende be gur)---ある狂人の手記より

サーデク・ヘダーヤト
石井啓一郎訳
国書刊行会、2000年(文学の冒険シリーズ 48)


 イラン現代文学の巨匠、サーデク・ヘダーヤト(1903-1951)の処女短編集『生き埋 め』(1930)他より、1930年代に書かれた初期短編小説7編を集めた翻訳である。  ヘダーヤト文学の翻訳としては、これまでに中村公則訳による代表作『盲目の梟』、 奥西峻介訳による民俗誌『不思議の国』(岡田恵美子訳『コルスムばあさん』と併録 された『ペルシア民俗誌』平凡社東洋文庫、1999)がある。これらはいずれもペルシ ア語文学・イラン研究の専門的領域から出されたものであり、それとは少し異なる本 書の登場には、些か驚いたイラン研究者・学生も少なくないだろう。本書が出された 国書刊行会「文学の冒険シリーズ」は、欧米、ラテンアメリカ、東欧など広い地域を 対象に、特にユニークな現代文学を翻訳・出版する企画であるようだ。それでもまだ 日本で馴染みの薄いイラン文学の本書がこのシリーズに加えられたのは、私の想像だ が、訳者石井啓一郎氏のヘダーヤト文学に対する愛着と思い入れに拠るところが大き かったのではないか。
 サーデク・ヘダーヤトの生涯と文学については、本書末尾「解題」に詳しく、訳者 の思い入れのこもった作品解説もそこに附されている。文学には門外漢の私がそれに 下手な批評を加えることは避けた方が賢明であるが、歴史研究の方面から印象づけら れることを挙げるとすれば、カージャール朝末期からパフラウィー朝時代、一方で重 苦しい伝統社会に倦み、一方で西洋近代文明の圧迫に息詰まる、激変期のイラン人知 識人の憂鬱な精神風景だろう。「幕屋の人形」、表題作「生埋め」に登場する、ヨー ロッパ遊学を経験した結果、伝統と近代のいずれに対しても違和感しか感じることが できず、ついにはすべての現実から自己を遮断せざるをえなくなる若い主人公達は、 ヘダーヤト自身の肖像であるが、多かれ少なかれ時代の一つの普遍的な精神でもあり 得たのではないかと想像が広がる。伝統と近代の間でのジレンマ、などと言うと、あ まりに単純な図式に聞こえるかもしれないが、保守・伝統と改革・近代の精神的な選 択を迫られた過渡期の知識人の苦悩に触れた経験が、私たちにそれほどあるわけでは ない。近代化時代を主導した改革的・または保守的思想家達の明解な(ように見える) 言説を追うだけでは、見えてこない精神的混乱と疲労、停滞が、ここに集められたヘ ダーヤトの短編には窺われるように思われる。
 同時に、印象づけられるのは、豊饒とも言えるイランの伝統的民衆文化の力である。 もっとも、作品から窺われるヘダーヤトの伝統文化への意識は、決して明るく単純な ものではない。重圧的な伝統社会や因習に対する拭いがたい疎外感、倦怠、嫌悪は、 男性より強く伝統に縛られて生きる女性達の描写にあらわれてくる。収録された短編 の殆どの主人公は男性であり(「捨てられた妻」、「S.G.L.L.」の主人公は女性)、彼 ら男性の視線で描かれる作品の世界には、男女の精神的な断絶、女性への不信感が色濃 く表れている。その恐怖の混じった冷ややかな視線で描かれる女性像は、実際には男 性主人公達自身の中にある、伝統社会への恐れと嫌悪感の鏡像であろう。
 しかし、それでもなお、伝統的な民衆文化は強い力をもって蘇ってくる。ヨーロッ パに学び、迷信を嘲っていた男が妻の「幽霊」に対する恐怖によって発狂に追い込ま れる「ヴァラーミーンの夜」では、女性達が作る伝統文化の共同体が皮相的な合理的 理性を圧倒する。また、「捨てられた妻」は庶民の過酷な生活、特に女性を縛る結婚 の暴力的な因習を批判的に描く社会派リアリズムの作品ととれるが、子まで捨てて 「自分を鞭打つ夫」の幻影を追う若い妻の姿には、疎外感と孤独に疲労した男性主人 公達には見られない生命力が漲っている。ここに、一方で伝統社会に倦怠感、疎外感 を感じつつも、民俗学研究、古代文学研究を通して伝統文化の持つ生命力に回帰して ゆく、ヘダーヤトの意識の歩みが窺われるかもしれない。一方、ヘダーヤト時代のイ ランの歴史的遺産がどのように扱われていたか、その一端を窺わせるのが「タフテ・ アブーナスル」だ。サーサーン朝時代のミイラが呪文によって蘇る幻想物語だが、そ のミイラを発見し、怪しげな復活の儀式に熱中するのはアメリカの調査団である。イ ランの古代遺跡や古代文明は、多くが外国人によって再発見されてきた。蘇ったミイ ラは、一瞬だけ過去の愛の記憶を追い求めて生き、朽ち果てる。それを知らない外国 人達は、再びミイラの残骸と遺品の分類に熱中しはじめる。怪奇・幻想趣味の色濃い 作品の中に、一瞬差し挟まれたこの皮肉な視線が奇妙に味わい深い。
 全収録作品中、私が特に印象深かった作品を挙げさせてもらうと、それは 「S.G.L.L.」である。ヘダーヤトによるSF小説というのにも驚かされるが、紀元4000 年期、すべての問題が科学によって解決された未来において、オマル・ハイヤームが ルバイヤートで歌った厭世観、「目的も意味もない人生に対する疲労と倦怠」だけが 残り、ついに全人類が自殺を望み始めるという壮大かつ徹底して悲観的な構想は、 1930年代という時代において極めて珍しかったのではないだろうか。科学万能となっ た未来に、数千年前ハイヤームが見据えていた苦悩が蘇り、決して科学では解決され 得ない最後の問題として全世界を支配する、というアイディアには、イラン人知識人 としてのヘダーヤトの矜持が感じられるが、それはナショナリズム的な感情とは少し 違う。寧ろ、西洋科学文明が圧倒的な正当性をもって世界中の価値観を支配しつつあっ た時代に、イランからヘダーヤトが投げかけたかった問いなのではないだろうか。
 訳文中のペルシア語単語の表記は概ね正確で違和感はなく、作品ごとに附された註 も適切と思われる。本書末尾にペルシア語カナ表記規則についての説明があり、ペル シア語としての正確さ、日本で定着している読み、訳文としての読みやすさに留意し て表記をしたことが窺われる。
 イラン文学や歴史を専門としなくても、ただ小説を読むことが好きな人なら誰でも 手にとって欲しい本である。読んで関心を持つ読者が増えることが、これからもこの ような訳書が出される最大の動機となるだろうから。
(東京大学院 渡部 良子)

 先日、あるテレビ番組で2030年の生活を予想していた。科学技術はさらに進歩し、 自動車は空中を走り回り、各自が高性能の眼鏡型携帯電話を頭部に装着して交信する 。一切の家事から解放された主婦は、ヴァーチャル映像を使って家に居ながら「パリ 」のブティックでショッピングを楽しむ。同時通訳装置があるため、もはや語学の勉 強をする必要はまったくない…。
 外語大学出身の評者は(自らのアイデンティティの危機さえもたらしかねない)こ の台詞に非常な憤りを感じた。言語とは一体何のために学ぶのか。それを考えはじめ たとき、さらに大きな不安と疑問が脳裡をよぎった。科学技術がこのように「快適」 で「安易」な生活をもたらしたとき、人は何をして生きるのであろうか。何のために 生きるのであろうか。
 1930年代、決して科学先進国ではなかったイランにおいて、サーデク・ヘダーヤト はすでにこの疑問に捕らえられていた。さらに、彼はもっと先を見ていた。そして一 つの「結論」に達したのである。
 本書に収められている七つの作品の最後を飾るのが未来小説「S.G.L.L.」である。 紀元後4000年期、人間は科学の力によって、飢え、病、老いなどあらゆる困難に打克 ち、生活はすべての面で満たされた。しかし、それでもたったひとつの癒し難い苦悩 が残っていた。それは「目的も意味もない人生に対する疲労と倦怠」であった。自殺 が人々の心を捉え、人類根絶が提案された。そうした時代の救世主が、性に対する欲 求を奪い繁殖を阻止する「S.G.L.L.」と呼ばれる血清であった。
 「S.G.L.L.」という名の科学技術によって、最後の苦悩に対しても人類が勝利する はずであった。しかし、サーデク・ヘダーヤトの出した「結論」は人類の勝利ではな く、絶滅でもなかった。

知は酒盃をほめたたえてやまず、
愛は百度もその額に口づける。
だのに無情の陶器師は自らの手で焼いた
妙なる器を再び地上に投げつける。
  (オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』小川亮作訳 No.43)
 小川亮作訳『ルバイヤート』が、サーデク・ヘダーヤトによって選出・刊行された ものを底本にしていることを、(不勉強のほどが知れるが)本書の「解題」において はじめて知った。なるほど、本書の随所にハイヤームの四行詩と重なる部分があり、 合わせて読むとさらに味わい深い。誰もが天によって操られている人形であり、この 世で一くさりの演技をしているにすぎない、とハイヤームは言う。本書の表題作であ る「生埋め」の主人公は、さまざまな方法を用いて自殺を試みるが、死を選択するこ とさえも彼には許されない。すべては「運命」としてゆっくりと流れており、それは 止めることも、変えることもできないのである。本書に収められている他の二編、人 形を偏愛する男と彼を愛する女の悲恋を描いた「幕屋の人形」、妻と自殺してしまっ た親友との不倫に疑いを抱いたために起こる悲劇「深淵」は、どちらも意外な結末で ありながら、それでいて、冷淡な「運命」の正確で絶え間ない息遣いが感じられる。
 人類の「運命」も人間が変えることはできない、とサーデク・ヘダーヤトは言うの か。そして人類を操る天が存在する。天の陶器師が壊した土器は土に返り、そこから 新しい器が生れる。「S.G.L.L.」の最後の場面、人類の最終段階に現われた裸の男女 と白蛇は、運命の冷酷さを嘆きながら本書を読み終える者に一筋の光明をもたらすで あろう。…しかし、相変わらず一つの不安が残る。アダムは再び禁断の果実を口にし てしまうのであろうか。(後藤絵美)

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図説 科学で読むイスラム文化

ハワード・R・ターナー
久保儀明訳
青土社 2001年


 この書は日本では馴染みの薄い「イスラム科学」について、イスラムの諸科学が最 も発達した10世紀という時期を中心に概観した入門書である。また、タイトルにある ように、単に文章だけでなく、数多くの挿し絵や図版を収録することによって、その 理解を手助けしている。
 まず、この書を概観すると、第1章から第3章において、本書で扱う時代背景と科学 に関連した事件等を主に取り上げると共に、イスラムという宗教と科学の関係やイス ラム科学のルーツについての説明がなされている。そして、最も重要なことは、イス ラムに於ける科学はこの世の創造主たる神の御業を理解し、正しい信仰を行うために 追求された学問であったと指摘していることである。そして、その根拠としてムハン マドによるイスラム版「学問のすすめ」と見なすことができるハディースが紹介され ている。
 第4章以降は、「数学」「天文学」「占星術」「医学」「錬金術」「光学」などの 個別の学問についての章が9つあり、それぞれの章で、その学問がイスラム世界や後 の近代科学に寄与した様々な影響や個々の科学者と彼らの学問的成果の紹介がなされ ている。各章の終わりには、本文中で紹介された様々な書物や器具を示す図版が載せ られており、その章の内容を振り返ることができるようになっている。また、科学を 扱いながらも、文系諸子が苦手とする数式などを使用せずに、各学問の発展や科学者 が扱った問題をわかりやすく説明している点が非常に評価できる。
 そして、第13章以降に於いて、徐々に本書の主題へと入っていくのである。13章ま では、まさにイスラム科学の概説であって、そこには西洋が発達させた近代科学の基 を築いたイスラム科学の成果を賞賛するという姿勢が示されていた。しかし、そのよ うに偉大な成果をもたらしていたイスラム科学に翳りが見え始めた15~6世紀以降、イ スラム世界は科学の凋落と共に、軍事的・政治的・経済的に、西洋に圧倒され始める ことになる。そうした事態を招いたイスラム科学の事情について述べられているのが 、第13章以降の章である。
 この様に、「結局、現在の世界に於いて優位を誇る西洋文化を礼讃するというお決 まりの結論を導く書物であったのか」、と残念に思いながら読み進めていったのであ るが、最後にどんでん返しが待っていた。それは現在の科学が持つ問題に関わる著者 の指摘であった。
 周知の通り、我々人類の生活は様々な科学の成果によって豊かになり、便利になっ ている。しかし、その一方で倫理のない科学の発達によって、人類をはじめとする様 々な生物が、その存在の危機に晒されており、著者の示すように、核兵器や遺伝子操 作による人工生命などの節操のない科学の発展に対する批判が噴出している事もまた 、事実である。
 こうした状況をふまえて、筆者は「宗教」や「信仰」を第一の目的として追求され た、あるいはそう望まれたイスラム科学を見直すべきであると指摘しているのである 。すなわち、キリスト教という「宗教」と「理性」を分離させることによって、イス ラムをはじめとする他の文明に「勝利」した西洋文明の後継文明である現代社会の合 理的な考え方からは理解しがたい「宗教」と「科学」の混在していたイスラム世界の 状況を知ることこそ、現代科学の持つ様々な問題を解決する糸口を与えることになる のであり、その役目は歴史学者が担うべきである、と筆者は考えている。
 この様な考え方は、年代記史料とそこから導き出せる当時のイスラム社会の状況ば かりにとらわれていた評者にとって、新鮮であった。また、そこまで大げさに考えな くとも、政治や経済以外の事情にふれるためにも、是非一読をお勧めしたい書物であ る。

 なお、イスラム科学については、矢島祐利氏による二つの概説書がある。こちらは 、今回紹介したものに比べて、イスラムの科学者の著作や学問そのもの、また、「イ スラム科学」という分野を研究した人々についての紹介に多くのページが割かれてお り、裏話的なものも多数収録されていて、イスラム科学史の変遷が分かるのではない かと考える。併せてご一読をお勧めする。(慶應義塾大学修士課程 橋爪 烈)
 矢島祐利『アラビア科学の話』岩波新書1965年
     『アラビア科学史序説』岩波書店1976年

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森本一夫のイラン旅行での見聞

森本一夫
  


私は1月1日から15日まで2年3ヶ月ぶりにイランに行く機会をえた。そして例のごとく、この2年強の間に刊行された書物を中心に若干の買い物をした。それらの本のうちには日本にいたうちから出版情報を得ていたがなるべく安く買おうと我慢していたものもあった。同時に、「え、こんなの出てたの」と驚きながら買った本もある。以下は決して最新情報とは言えないが、そういったものの中から、興味を持つ人がいるのではないかと思われるもののみを紹介するものである。なお、現在イランではヒジュラ太陽暦の1379年が徐々に年末に向けてラストスパートを始めようかというところである。

1. 本

Miskuyah (Miskawayh). Tajarib al-Umam: 以前の知識では2巻までしか出ていなかったこの本が、未刊行の3巻を除いて完結していた。6巻で執筆されたこの作品の全体が同じく6巻で刊行されているものだ。同時にペルシア語訳も刊行されているが、こちらの方はまじめにチェックしなかった。Abu al-Qasem-e Emami ed. Tehran: Sorush. 1366-1379kh. ソルーシュは国営テレビ局の出版部。エンゲラーブ通りを本屋街から少しだけ東に歩いたところにある直営販売店で見ききした限りでは4-6巻はpaper backしかなかった。残念。

Adhar. Ateshkadeh-e Adhar (nimeh-e dovum). Mir Hashem-e Mohaddeth ed. Tehran: Amir-e Kabir. 1378kh.: 有名なタズケレ史料の後半部分の刊本。アミール・カビールからSadat-e Naseriの校訂で出ていた3巻本は前半部分だけのもの。

Hafez-e Abru. Joghrafiya-ye Hafez-e Abru: 3巻目まで刊行されていた。Sadeq-e Sajjadiの校訂でMirath-e Maktub刊。

Ghiyath al-Din `Ali Yazdi. Sa`adat Namah: Yaa Ruuznaamah-'i Ghazavat-e Hendustan dar Sal-ha-ye 800-801A.H. Iraj Afshar ed. Mirath-e Maktub. 1379kh.: ティムールの遠征記。1915にもザンクトで出ているもの。ロシア語訳も1958刊。

Jami. Nameh-ha va Monsha'at-e Jami. Urunbayef va Rahmanof eds. Mirath-e Maktub. 1378kh.

Budaq Monshi-e Qazvini. Jawaher al-Akhbar: Bakhsh-e Tarikh-e Iran az Qaraqoyunlu ta sal-e 984. Mohsen Bahram-nezhad ed. Mirath-e Maktub. 1378kh.

Bal`ami (attr.). Tarikhnameh-e Tabari. 5 vols.: Mohammad Rowshanはまずイスラーム部分を3巻で出し(Nashr-e No, 1366kh)、次いでイスラーム以前の部分を2巻(Sorush, 1374kh)で出していたが、今度はその両方をつないで5巻本にしたというもの。どうも完全なオフセットで、5巻が一貫してつながったからといって全冊対象の索引が付されたりしているわけではない。2巻目にイスラーム以前の部分関係の、5巻目にイスラーム以降関係の索引があるというわけだ。私はすでに以前の分を5冊持っていたので無駄な買い物となった。ソルーシュが出している。手持ちのタバリー史の表紙を揃えたいと思う人には好適。

Soltan Hashem Mirza (pesar-e Soleiman-e Thani). Zabur-e Al-e Davud: Sharh-e Ertebat-e Sadat-e Mar`ashi baa Salatin-e Safaviyeh. `Abd al-Hosayn-e Nava'i ed. Mirath-e Maktub. 1379kh. 副題にあるとおり、マルアシー家とサファヴィー家の歴史を書いた小品。

雑誌Daneshgah-e Enqelab. 112 (payiz-e 1378): 「イランにおける歴史と歴史記述」という特集号。特にイランへの留学を考えている人などは目を通すことができると、イランの大学での歴史教育のことやイランの歴史学のことがなんとなくわかり有用だろう。

Ketab-e Mah: Tarikh va Joghrafiya. 37/38 (1379): 「サファヴィー朝研究特集号」。この雑誌は毎月の新刊書を紹介する情報誌として出発し、いまもそのはずなのだが、新刊書リストは冊子の末尾に追いやられてしまっている。この号にいたってはページ数も150を超え、もはや立派な学術雑誌の観である。この特集号には過去20年の刊行史料の解説付き目録や、羽田正氏のシャルダンの伝記の紹介など多くの論文が載っている。

Ketab-e Mah: Tarikh va Joghrafiya. 32 (1379): 「書記手引書特集号」。こちらには渡部良子さんの長大な史料論論文が掲載されている。

Gholam-reda-e Fadayi `Eraqi. Moqaddame-ii bar Shenakht-e Asnad-e Arshivi. Samt. 1377kh: 大学での教科書を出すSamt (Sazman-e Motale`e va Tadvin-e Kotob-e `Olum-e Ensani-e Daneshgah-ha)から出ている本。前半は文書史料論、後半はいわゆるアーカイヴァル・スタディーズ、記録管理学系の議論。マシュハド大学で出ているよりアーカイヴァル・スタディーズがかった教科書も友人から見せてもらったが買い忘れた。

Sayyed `Ali-reda-e Sayyed Kebari (?). Howzeh-ha-ye `Elmiyeh-e Shi`e dar Gostareh-e Jahan. Amir-e Kabir. 1378kh: こういう本も出ている。世界の十二イマーム派ネットワーク研究に有用では?

ちなみにRasul-e Ja`fariyan. Maqalat-e Tarikhi. Qum: Entesharat-e Dalilは8巻目まで出ている。

2. CD-ROM

以前に『イスラーム世界』52号で紹介したNamayehは、その活動を拡大させていた。すでに毎月の新聞記事や雑誌記事・論文をテクストやPDFのかたちで収録したCD-ROMを二十数枚発行しているという。そのうち十二枚(だったか?)はIAS6班で購入済みで、東洋文庫に行けば閲覧可能だ。試用してみていただきたい。このCD-ROMは、こういった散発的なかたちではなくどこかの機関で継続的に購入される必要があるだろうと思われる。

同じく『イスラーム世界』52号で紹介したNurも発展しており、今回はNur al-Anvar 2(Qor'an, tartil, tarjome-ye Qor'an, tafasir)とJame` al-Ahadith (Noor 2: Qor'an, Nahj al-Balagha, Sahife-ye Sajjadiye, Kotob-e Arba`e, Wasa'il al-Shi`e, Mustadrak al-Wasa'il, Kotob-e Hashtganeh-e Rejali, Bihar al-Anvar, Manabe`-e Bihar al-Anvar.)を入手してきた。Nur al-`Erfanもおどろおどろしい表紙で発売中だった。これらのCD-ROMは、これまでに出ていたCD-ROMのソフトウェアを改良・発展させたものである。

その他、ペルシア文学の著名作品多数のCD-ROMなど、多数が売りに出ている。ネイティヴ・スピーカーの発音とペルシア語韻文の美しさをともに学習者に示せる教材として、ペルシア語教育に利用可能なのではなかろうか。

以上、はなはだまとまりに欠けるが、どなたかの役に立てば幸いである。(森本一夫)

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「イスラームの歴史認識」
『環 歴史・環境・文明』第一号

黒田壽郎
藤原書店 2000年 pp.174-193


 イスラーム史学史研究は蓄積が薄く、まして史料学・文献学的アプローチではなく歴史意識・歴史認識に関する研究はさらに乏しい。その意味で、この黒田氏の小論はイスラーム思想の専門家からのアプローチとして興味深い。
本論文は「一 タウヒードと三つの準則」、「二 伝承の集積から人間社会の構造的解明へ」、「三 民衆の優先性」からなる。第一章、第三章について評者は門外漢であるために論評する資格を持たないため、本短評ではイスラーム歴史叙述の具体的展開を論じた第二章を取り上げたい。第二章ではタバリー、マスウーディー、イブン・ハルドゥーンの三人の史家を取り上げ歴史認識、方法論の展開が論じられている。タバリーに代表される初期歴史叙述では、相矛盾する内容さえ含むハバル(伝聞情報)の集合体であったのが、マスウーディーにおいては方法論の先鋭化が見られ、歴史的情報の真偽を判断するために「タビーイー(本性)」の概念が用いられるようになる。そして「徹底的に観念性を排除し、現実凝視に終始したイスラーム世界の歴史家たちの著作の方法論的な集大成」がイブン・ハルドゥーンの『歴史序説』であったとする。
 実証的な見地からコメントしたい点も幾つかあるのだが、それはさておき二点だけ指摘しておきたい。氏は、タバリー、マスウーディー、そしてイブン・ハルドゥーンへ至る流れを一つの内在的発展として提示しているが、タバリー(839-923)とマスウーディー(ca.896-956。本小論で965年没とあるのは誤り)はほぼ同時代人であって、両者が発展的関係にあるというのは時系列上無理があるのではなかろうか。また氏は、主観を廃してひたすらハバルの蒐集につとめたタバリーの歴史叙述を、ミシェル・フーコーの提示した集蔵体(アルシーヴ)の概念に擬しているが、このフーコー解釈は不適切だと評者には思われる。
 フーコーは次のように述べている。

集蔵体とは、そのたちまちの逃走にも関わらず、言表の出来事を保護し、未来の記憶のために、その逃亡した戸籍を保護するものではない。それは、言表=出来事の同一の根元で、またそれが与えられる集成のうちで、その<言表可能性のシステム>を最初から規定するものである。集蔵体は、再び惰性化した諸言表のかけらを集めるものでも、それらの再活動の偶然的な奇跡を可能にするものでもない。それは、言表=事物の現実性の様態を規定するものである。それは<その作用のシステム>である。(Foucault,M.,Lユarch姉logie du Savoir,Gallimard,1968,pp.170-171;邦訳『知の考古学』pp.199-200)

 つまりフーコーの言う集蔵体は、氏が述べるように言表を没主観的に蒐集したものを指すのではない。むしろ集蔵体とは、言表そのものを成り立たせている作用のことなのである。イスラーム研究の文脈に現代思想を適用することについて、評者は決して批判的ではないが、その際には正確な理解が必要であることは言うまでもない。  なお、本小論の第二章は氏の論文「中世イスラームの歴史観と歴史叙述」(『中世の歴史観と歴史叙述』創文社、1984所収)の抄録であり、関心のある方はそちらを参照するのもよいかと思われる。

(小笠原弘幸 東京大学大学院博士課程)

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