イスラーム地域研究5班
文献短評

 
 
 
Historical Writing During The Reign of Shah
‘Abbas-Ideology Imitation and Legitimacy in Safavid Chronicles

Sholeh A.Quinn
Salt Lake City:The University of Utah Press,2000,x iv+197pp.


 90年代半ば以降、イスラーム史研究ではヒストリオグラフィー関連の好著が立て続けに刊行されている。一部を列挙すると、まずイスラーム古典期研究では94年のハリーディー、オスマン朝研究では94年のノイマンに95年のカファダル、そして内陸アジア研究では98年のフランクなどが挙げられよう。今や活況をなすヒストリオグラフィー研究における最新の研究が本書である。
 著者は現在オハイオ大学の歴史学科に所属するAssociate Professorであり、これまで一貫してサファヴィー朝時代の歴史叙述に関する研究を発表してきた。本書は、1993年にシカゴ大学に提出された博士論文を改訂したものである。
(著者の紹介ページ) http://www-as.phy.ohiou.edu/Departments/History/faculty/quinn.html
 本書ではサファヴィー朝初期からシャー・アッバース時代までに著された15の年代記が比較検討される。序と解題(第一章、第二章)の後、序文における形式の模倣と独創(第三章)、サファヴィー朝の起源に関する再解釈と改竄(第四章)、そしてキジルバシュ排除の記事の取り扱い(第五章)という三つの視点から各々の年代記の叙法と政治性が浮き彫りにされ、その後ムガル朝とアフシャール朝の史書への影響が論じられている(第六章)。特に、(「読みづらい」「内容がない」と研究者に不評の)序文を比較することによってサファヴィー朝年代記の序文に通底する伝統的フォーマットを導き出し、なおかつ各年代記における固有性と政治性を明らかにした第三章は、手法、内容ともきわめて刺激的であった。
 なお、評者は本書のより本格的な書評を行うことを計画中である。

(小笠原弘幸 東京大学大学院博士課程)

戻る

 
 
 
フサイニー師「イスラーム神学五〇の教理」タウヒード学入門

奥田敦訳/著
2000 年 9 月、慶応義塾大学出版会、228頁、2600円


   東も西もアッラーのもの。それゆえに、汝らいずこに顔を向けようとも、
   必ずそこにアッラーの御顔がある。 牝牛109(115)

 夜空に見える星の光は何億年も昔に放たれたものだと聞いたとき、自分の存在がい かに取るに足らないものかを感じ、かえって心が軽くなったことがある。上の聖句を 読んだとき、それと同じような感覚におそわれた。
 星の光と違い、アッラーの御顔は目に見えない。アッラーの御顔とは何か。アッラ ーとは。こうした疑問から手に取ったのが本書である。本書はアレッポのアーディリ ーヤ・モスクの長フサイニー師が著わした『イスラーム神学五〇の教理』の翻訳とそ れを用いて行なわれた師と訳/著者奥田氏との一対一のレッスンの講義ノートに依拠 した注釈が中心となっている。「五〇の教理」、つまり「存在」からはじまるアッラ ーの41の属性と預言者の9つの属性のひとつひとつが、啓示と人間の思考との両側か ら丁寧に証明されていく。それによってすべてを絶対にして唯一の御方アッラーに帰 する「タウヒード」学を理性的に理解することが可能となる。
 至高なるアッラーとはどのように捉えられているのか、それはイスラーム研究の根 幹を成す部分でもある。本書によって、現代のイスラーム神学の講義を日本にいなが ら、しかも日本語で追体験できる意義はひじょうに大きい。
 ともすれば信号を待つ時間さえ惜しいと思われるほど忙しい世の中である。その日 の生活に追われて過ぎてゆく日々の中で、ちょっと立ち止まって「人間とは何か」を 、そしてもっと大きな存在について考えることのできる一冊である。(後藤絵美)

戻る

 
 
 
The rise and fall of Swahili state

Chapurukha. M. Kusimba
London: Altamira Press. 1999


 本書はケニア人考古学者が先史時代から16世紀のヨーロッパ進出までのスワヒリ 社会の勃興、交流、衰退を描いた書である。本書の言説は、「ケニア人」「考古学者 」という2つのキーワードが大きく左右している。
 従来のスワヒリ学というものは、旧タンガニーカ、ケニアなどを支配したイギリス を中心とした、「外部からの視線」により構築されてきた。研究に利用されてきた史 資料もまた、アフリカ内部の文献史料、考古学調査の不充分さからギリシア・ローマ の地理書、イスラーム世界で著された地理書や旅行記、そして大航海時代のヨーロッ パ人の書き残した史料等、「外部の視線」により描かれた史資料であった。つまり従 来のスワヒリ史は描き手も、用いられる史料もアフリカの外部にあった。そのような 環境で長らく議論の中心となっていたのが現地人ではなく、アラブ人、ペルシア人の 活動であったという事はけだし当然ともいえよう。そして、アラブ人、ペルシア人が スワヒリ社会形成の主体であったという「外来起源説(external origin theory)」 が長らくスワヒリ研究の基礎に置かれてきた。
 本書の特徴の1つはそのような「外来起源説」に対する鋭い批判が80年代以降の 豊富な先行研究を用いて展開されている点にあるといえる。欧米人研究者が中心であ ったスワヒリ研究の世界でスワヒリ語を母語とする研究者が頭角を現し、Mark Hortonらがアフリカ大陸の内的発展に目を向けることで考古学分野を中心にして従来 の「外来起源説」に対する再考証を始めた80年代以降はスワヒリ研究に於いて一つ の画期であった。それらにより明らかにされつつあるアフリカ内部から様々な民族が スワヒリ海岸に集まってきた状況やアフリカ内部のネットワーク網の究明、更にそれ らの要素がスワヒリ地域に与えた影響に関する考察はスワヒリ研究の幅を広げた。ス ワヒリ史研究の新しい潮流とでもいえるそれらの先行研究を纏め上げたという意味で 、本書の意義は非常に大きい。
 しかしながら、考古学分野の研究成果を中心としてアフリカ内部での発展に焦点を 当て過ぎてしまったが為に、多少議論のアンバランスさが目に付いた。つまり、内的 な(internal)要素を強調しすぎたために、外的な(external)要素がスワヒリ社会 の形成に与えた影響を軽んじているきらいがある。この傾向は本書のみならず、現在 のスワヒリ研究の流れ全体にも見える点である。つまり従来の「外来起源説」に対す る批判が強すぎるあまり、現在の研究は「内部起源説(internal origin theory)」を 形成しているかのような印象を受ける。
 評者はこの点を強く批判したい。というのは、それが現代についてであれ過去につ いてであれ、スワヒリ社会を考える際に、インド洋に面する事でスワヒリに流れ込ん だ外的な要素の影響を軽んじる事は、この社会の個性、複雑性を軽視してしまう事に つながるのではないかと考えるからである。イスラームやシーラーズィー伝承(自ら の起源をペルシアのシーラーズに求める移民伝承)などはインド洋を介してスワヒリ 社会に入り込んだ外的な要素であり、アフリカ大陸の他の地域には見られないスワヒ リ社会の独自性を形成している。その様なスワヒリ社会の無視しがたい個性にもかか わらず、それらの持つ影響力を考えずにスワヒリ社会を見る事は、他のアフリカ大陸 の地域との差異を無視する事になるのではないだろうか。(外的な要素を否定する傾 向は本書の著者クシンバをはじめ、特にスワヒリ語を母語とする研究者に顕著に見ら れる。)
 しかしながら、本書は比較的理解しやすい英語で書かれており、且つ最新の研究動 向を中心にスワヒリ研究史を包括的に紹介しており、スワヒリ研究の入門書という観 点では非常に優れた書であるといえる。(鈴木英明 学習院大学文学部史学科4年)

戻る

 
 
 
現代ペルシア語の音とカナ表記

上岡弘二・吉枝聡子
『アジア・アフリカ言語文化 研究』60 (2000). pp. 169-235


 お調子者兼自惚れ屋の私にとって、そしてすぐ疑心暗鬼から落ち込む私にとって、 この論文は薄気味悪いものであった。これまでに上岡・吉枝両氏の前でペルシア語を 話していたことが何度かあった。大体において両氏は寡黙にしていらっしゃったので 、謙譲の美徳を知らぬ私はベラベラと話しまくったりしていた。しかし、今から思い 起こすと、確かに彼らの目はカメラのフラッシュがまたたくように、パッパッと煌め きを繰り返していたのである。この論文を読んでおそまきながらようやく分かったが 、彼らは日本人話者たる私を研究材料にして、発音の誤りに敏感に反応していたのだ 。私は相手が「心理学者」だときいただけで逃げだす臆病な人間なくせに、あまりに うかつなことをしていた。
 この論文は2つの顔を持っている。すなわち、(1) 現代ペルシア語の音についての詳 細な分析、および、(2)なるたけ正確なペルシア語のカナ表記法の提案、である。ペル シア語に存在するさまざまな母音・子音の各々について、まず、それがどのように発 音されるのかが、著者たち自身の調査に基づいて、従来の欧米での研究や日本語によ る文法・会話書に対する批判をも交えながら、明らかにされる。続いてその議論を前 提に、カナ表記の方法が提案されるというのが構成である。その過程では、日本人が 当該の音を発音する際の注意事項が書かれることが多い(ここの部分に私も反面教師 として貢献したわけだ)。
 残念ながら、こうして明らかになるのは、従来日本語で書かれてきたさまざまな文 献が、こと音に関しいかに信頼できないかということである。言語学的な見地からペ ルシア語の音に関心を持った人は、今後はなによりもこの論文を参照しなければなら ない。
 ただ告白するならば、私のように、自分の発音の矯正とカナ表記の問題に関心が集 中する(「にしか関心がない」のではない!)タイプの読者にとって、この論文を通 読するのは、(注を跳ばしてもまだ)辛いところがあった。カナ表記の提案を唱って はいるが、やはり著者両名の関心は音そのものにあったからであろう。その意味から 、一度がんばって論文を通読し議論に納得した非言語学者が、次から簡便に利用でき る転写ルール表のようなものが末尾に付されていれば便利だったのではなかろうか。 我々のような音に鈍感な者が転写法を採用するかどうかという問題には、当該のルー ルが簡単に参照可能かどうかも大いに関係すると思われるからである。この専門的研 究の成果が「社会に広く公開」されるためにも、そのような表が誰かの手によって作 成され頒布されることを望む。自分でも作れることは認めるが…。なお、この論文は あくまで現代ペルシア語を扱うものであり、11世紀のことをアラビア語とペルシア 語の文献を使って研究する者の転写の悩みは診察対象外である。(カーズーウー・ム ーリームートゥー)

戻る

 
 
 
Veil: Modesty, Privacy and Resistance

Fadwa El Guindi
Oxford /New York: Berg. 1999 (Dress, Body, Culture series)


 図書館を物色しているときに一冊の本を見つけた。1966年にラホールで出版された Islam and Modernismと題するやや古めかしい本だったが、何気なくページをめくってみてぎょ っとした。そこにはTHE AUTHORと題して女性の全身像を写したモノクロ写真が載っており、その女性は真黒な 布で身体だけでなく顔をも覆っていたのである。その黒い塊のなかで彼女のはめた手 袋の白さだけが際立っていた。さらに写真の下には「アメリカで生れた改宗者である 私は、この写真を通して、イスラームの教えに敵対する教育によって迷わされ、 間違った社会規範と理想とによって判断力を失ってしまったムスリムの兄弟姉妹たち に語りかけます。」と書かれていた。この女性はこの写真によって何を語りかけた かったのであろうか。彼女の背後にイスラームの歩みとともに様々に変化をしてきた 「ヴェール」の歴史の重みを感じた。
 イスラームの歴史と文化のなかでヴェールが様々な意味を持つのは言うまでもない 。それにもかかわらず、これまでヴェールは女性学や人類学の研究の中で部分的に触 れられるだけであった。そのことに不満と疑問を感じながら卒論に取り組んでいた筆 者は、本書の題名を見て飛び上がらんばかりに喜び、そのまえがきを読んで多いに共 感したことを覚えている。本書は「女性」ではなく「ヴェール」と「ヴェールをかぶ る」という行為そのものに焦点を合わせた初めての一冊である。
 本書は宗教・文学その他のテキストとともに、膨大な人類学の研究蓄積と著者自身 のフィールドワークを通してさまざまな角度からヴェールという現象を分析している 。本書の新鮮さの一つは、「男性のヴェール」に注目した点であろう。著者がエジプ トでフィールドワークを行なっていたときに起こった出来事(顔に覆いをかけた 男性が教室に入ってきて、片隅のカーテンの向こう側から女子学生たちにコーラ ンに関する説教を行なった)をきっかけとして、イスラーム以前から現代に至るまで 各地に見られる男性のヴェールについて分析し、「権力の象徴」としてのヴェールと いう新しい側面を提示している。また、これまで書かれた(とくに西洋的フェミニズ ムによる)ヴェール論を批判的に考察し、封建制やイスラームによる女性抑圧という 既存のヴェール観に挑戦している。
 ただ、まえがきで著者自身が断わっているように、本書はあくまでも人類学の枠組 みの中で個々の現象を考察したものであり、ヴェールの文化史を網羅的にたどったも のではない。それゆえオリエンタリズムや近代化運動とヴェールとのどろどろした関 係(筆者が最も興味のある部分)が抜け落ちてしまった感がある。著者のフィールド ワークの目的であったはずの現代エジプトでの(再)ヴェール化に関しても案外さらり と書かれているだけで、やや残念であった。
 「写真の女性」は相変わらず黒い塊のままこちらを見ている。彼女の語りかけるこ とが分るのはもう少し先になりそうだ。(東京大学 後藤絵美)

戻る

 
 
 
出島−異文化交流の舞台

片桐一男
集英社、2000年10月


 1600年(慶長5年)4月、リーフデ号がオランダ船として初めて、日本(豊後国臼杵 佐志生)に漂着した。本年2000年は、「日蘭交流400周年記念」として長崎をはじめ 東京などでも、様々なイベントが開催されている。出島跡地では、19世紀初頭の出島 の姿を復元する計画が進んでおり、この3月には出島西側の建物5棟の復元が完了し た。本書も、日蘭文化交渉史に独自の観点をもって取り組んでおられる著者が、 「400周年記念の機会に、あえてノート整理と、その公開に踏み切った」成果であ る。
 著者はまず、第二章「出島−その景観と営み」で、出島の(現在にいたるまでの) 変遷や出島に関わる人々、日蘭貿易を紹介している。おおかたは「出島入門」といっ たところだが、蘭船が長崎に入港する手順を、絵画資料と文献資料を駆使して詳細に 再現した箇所は、大変興味深い内容となっている。この作業によって、かの「フェー トン号事件」も新たな視点での解釈が可能になってくる。
 第三章から第五章では、それぞれ『蘭館図』、阿蘭陀通詞の商館長宛書簡、島原藩 主の長崎見廻り「勤書」といった資料から、出島を舞台とした日蘭の文化交流を具体 的に描きだす。評者の関心をひいたのは、阿蘭陀通詞から商館長ヤン・コック・ブロ ムホフに宛てられた、オランダ語の書状群である。ここでは、書簡40通の日本語訳が 紹介されており、通詞と商館長という、日蘭交流の両代表ともよべる人物間の、私的 な交流の様子を読みとることができる。特に、通詞本人あるいは通詞をとおして長崎 の町役人が、商館長から個人的に舶来物を購入していた事実は、出島貿易のシステム を考えるうえで重要な示唆を与えてくれよう。
 かくの如く、出島における多様な異文化交流は実に魅力的に再現され、依然しつこ く存在する「鎖国」のイメージを検討し直すよう、我々に促してくれる。専門研究書 ではないが十分読み応えがあり、この記念すべき時に手に取るにふさわしい読み物と いえるだろう。
 但し、本書で対象とされているのは、1825年(文政8年)頃の出島の姿である点 は、読むうえで十分注意されなければならない。この先、1854年(安政元年)に日米 和親条約が締結され、1867年(慶応3年)には大政奉還、と時代は大変革へ突入して いく。幕府による出島統制も、その当初に比べると影響力が弱まっていたであろうこ とは想像に難くない。事実、安政期の阿蘭陀通詞は、幕府の機密書類であるはずの 「風説書」を西南諸藩にも横流ししていたことが、史料にもみえているという。ま た、オランダ側にしても、1799年には東インド会社が解散したことにより、貿易ある いは商館員の統制に何らかの変化が現れていた可能性がある。体制が緩んだからこそ の活発な交流だったとも考えられるのではないだろうか。少なくとも、ここで語られ る出島の姿が、近世通じての様子だったとはいえないはずである。史料的制約によっ て、追究する時期を限定せざるをえないことは、筆者も断っておられるが、もう少々 補足的説明が欲しかった。長崎湾の地形図が載せられていない点、章立てのバランス に偏りが見られる点も、個人的には不満が残った。
 本書の内容は、イスラーム史に直接関わるものではないが、「イスラーム地域研 究」5班が研究テーマに掲げている、「地域間交流史」研究の一事例として、美術史 学と歴史学の連携の一事例として、また「比較史」の一題材として、あえてこの場で ご紹介した次第である。なお、もう一つの日蘭交流の場である商館長一行の「江戸参 府」について、筆者は既に『江戸のオランダ人−カピタンの江戸参府』(中公新書) を出されているので、興味がおありの方は併せてお読み頂きたい。(「イスラーム地 域研究」5班事務局 西園寺彩子)
 
この書物は私のように日本史を専門としない人間が読んでもよく理解でき、大変興味 深い。内容はすでに西園寺さんが的確に紹介しているのでおくとして、以下はイスラ ーム世界史研究者としての私がこの本を読んで持った感想である。
1)幕府の貿易統制、外国人隔離の政策があちこちで破綻をきたしている点が興味深 い。これは確かに「鎖国」などではない。ただし、そもそも江戸幕府がこのような統 制・隔離政策をとりうるだけの権力を有していた点が、私には驚きだった。これは、 3月に日本史研究者たちと鹿児島の港町をめぐり、そこここにある入り江に皆「番所 跡」があるのを発見した時にも思ったことだが、日本の前近代政治権力は、少なくと もイラン高原に存在した同時期のそれに比べると、相当に強力だったのではないだろ うか。当時イラン高原にあった政治権力がここまで徹底した統制・隔離政策を行った とは考えにくい。
2)イスラーム世界における交易史研究と比べてみた場合に一番奇異に思えるのは、 この本の中に関税についての記述が一切ないことである。オランダ船が運んできた荷 物には関税はかからなかったのだろうか。例えば中国船の場合、関税はどうなってい たのだろうか。イスラーム世界では、ムスリム、アルメニア正教徒、ヨーロッパのキ リスト教徒の間で関税の差異があったことはよく知られている。この点は、日本史と 外国史をつなぐ意味でも重要である。
3)オランダ人、日本人の双方の筆による出島の絵図がたくさん残っていることは、 うらやましく思う。イスラーム世界の港町については、このような文字以外の情報が 決定的に不足している。とくに現地の人による絵がないのは残念である。ただ、この 本では、本文で用いている絵が掲げられていなかったり、文章とは別の絵が掲げられ ていたりと、やや混乱があるのは残念である。
4)オランダ商館のカピタンが、遊女を一月に何度挙げいくら支払っていたかという ことまでが請求書によって分かるとは、正直に言って驚いた。このような書類は、イ スラーム世界やインドの商館についても保存されているのだろうか。いずれにせよ、 商館の日常生活の一こま一こまにまでこだわって過去の再現を試みた著者の執念に敬 意を表したい。(羽田正)

戻る

 
 
 
モンゴルのイスラーム化の諸相: イフティハールッディーン・カズヴィーニー〜改宗状況〜サーヒブ・キラーン審問〜アルパ招聘

岩武昭男
『関西学院史学』27 (2000). pp. 71-100


 京都にお住まいの著者、岩武氏が8月初めに上京された折りに、指導している大学 院生氏にも見せておきたいし自分も見ておきたいからと希望され、東洋文化研究所の 書庫をご案内し、写本のコレクションなどをお目にかけたことがあった。そのままベ ルギー・ビールを飲みに行くなどして、大変楽しい一日だった。この論文はその際に 頂戴した抜き刷りで読んでいたものだ。大変ショックなことにその岩武氏は去る10 月30日から31日にかけての晩に突然永眠された(享年38)。これから真に円熟 味を増し豪速球もひねり玉も冴えわたってくるという時の逝去は、氏にとってどれだ け無念なことであったろうか。残された我々はまだ、ただただ呆然とするばかりとい う状態だが、あの独特の愛敬(失礼)と「フォッフォッフォッフォッ」という笑い声 をもはや聞くことはできない。学界の大損害は言うまでもない。
 岩武氏はこの「文献短評」をよく見ていてくださり、「面白い」と言って下さって いた。そのお礼もこめて、ここでこの論文を取りあげ、岩武氏への追悼としたい。な お、刊行順から言えば岩武氏の最後の公刊論文は私の知る限り「ワクフ文書の形式」 (『歴史学研究』737)であろうが、内容に鑑み、こちらを紹介することにした。
 この論文の最大の狙いは、今後「モンゴルのイスラーム化」という大問題を本格的 に研究するために、この大問題を構成する諸論点を整理し、呈示することである。自 分の今後の研究の見取り図として書かれたものだ。「イスラーム化」と一口に言って も、それはもちろんさまざまな段階を経て生じる変化であるが、著者はまず、そのよ うなさまざまな段階のあり方をスケマティックに整理してみせる。その上で各々の段 階の様相を端的に表すような史料中の記述が紹介されている。著者のスキームには、 少々スパスパ割りきりすぎているのではないかという印象を持ったが、これは実際に 史料を読んでいる人が作業を進めるために作ったスキームなのだから、私が言いがか りをつける性質のものではないのかもしれない。また、引用されている事例はどれも 非常に興味深いもので、無知な私は「へえ、こんなことがあったのか」と思うことし きりだった(イル・ハン朝は預言者国家だった!など)。
 この論文はまた、イスラームという要素を視野から全く欠落させてきた(日本の) モンゴル研究への批判の文である。イスラーム化問題の諸論点が目の前で整然と整理 されると、私のようなイスラームかぶれにはまさにイスラーム化問題こそ研究上の至 上命題と見えるわけだが、そのような作業を踏まえて著者は、モンゴル理解の根幹に 関わるようなこの大問題をあくまで「見ない」という姿勢に異議を唱えている。
 正直言って私は最初にこの論文を読んだときには、「随分粗いものを出したなあ」 と思ったが、今読み返してみると何やら謎めいたものを感じる。著者がこのような、 その場での実証を必ずしも志向しない論点呈示の一文をものしたのには、なにかムシ の知らせが作用していたのだろうか。
 今ひとつ最初に読んだ時の感想を思い出す。それは岩武氏の研究スタイルについて であった。岩武氏は一件のワクフ文書群の読み込みから研究を始められたわけで、も ちろん史料の人であった。しかし私は、少なくともここ数年の岩武氏の発想法には、 欧米の最新研究動向の精緻なフォローから、そこで感知したインスピレーションの史 料研究への反映へという方向で流れる回路があったのではないかと思う。そのような 発想の順は単に個性の問題である。だが、この論文のような着想呈示型のものにおい ては、自分の主張の根拠として最近の研究動向をおいてしまっているというような少 々格好悪い行論を生み出す素となっており、少々気になったわけである。その点から も、この構想の実証作業の結果を、つまり岩武史学の最新動向をぜひ見たかったもの である。
 岩武氏は大研究の見取り図を残して去った。モンゴル時代の研究をイスラームにも 配慮しながら行っている私の友人たちがこの岩武氏の遺産を受け止め、この学界への 「永遠のワクフ」をますます栄えさせてゆくことを願ってやまない。私も、岩武氏の サイイドへの関心に励まされることが多かった者であり、岩武ワクフのファッラーシ ュ(用務員)兼受益者の一人である。心してやってゆきたいと思う。
 岩武氏のご冥福をお祈りいたします。(森本一夫)

戻る

 
 
 
『巡礼と民衆信仰』『社会的結合と民衆運動』

歴史学研究会編
青木書店、1999年


 「地中海世界史」シリーズ全5巻のうちこの2書は、以前にここで紹介した第3巻 とともに、個別テーマによる研究の部分を構成する。第3巻が物質文化を対象とした のに対し、第4巻は民衆信仰と内面の問題を、また第5巻は社会関係を対象とする。 評者の怠慢のせいで、刊行からかなり時間の経った短評となってしまったことをお詫 びしたい。
 第4巻『巡礼と民衆信仰』は、イスラム・キリスト教両世界各地における巡礼現象 から民衆の心性に迫る。まず何よりも、「巡礼」への注目は特筆すべきであろう。こ の言葉を分析概念として使うならば、地中海世界に共通する民衆信仰の特徴にアプロ ーチする視角が開けることになる。その一方で史料概念としての「巡礼」や「参詣」 に注目すれば、史料やフィールドに密着した叙述が可能となる。個別の論考のいずれ もが生々しい臨場感をもちながらも、本書が全体としてよくまとまっている印象を受 けたのは、そのテーマ設定の卓抜さにあるといえるだろう。
 本書がキリスト教世界とイスラム世界の2部構成をとらざるをえなかったことは、 地中海世界の「全体史」の構築(序論より)が、なお困難であることを示している。 序論の他に両世界それぞれの巡礼について総論が設けられるという、念の入った構成 がとられたところに編者・執筆者の工夫の跡が見られるが、この両世界をいかに総合 的に把握するかは、やはり今後の課題というべきであろう。
 第4巻が地中海世界の全体的把握を志向するのに対し、第5巻『社会的結合と民衆 運動』は、むしろ地域・時代の多様性を強調する仕上がりになっている。戦後の「地 中海人類学」の成果を吟味した序論は、地中海世界という枠組を否定するのではなく 、また地中海的特徴を性急に求めるのでもなく、社会的結合の歴史的な多様性をこそ 尊重することが本書の立場であることを表明している。パトロン・クライアント関係 などたしかに一定の有効性と汎用性を持つ説明はひとまずおいて、個々の歴史的文脈 から理解しようと努めるのが本書の読み方であろう。
 本書は、「親族関係」およびそれと密接に関係する「移民」、そして「社会運動」 の視点を中心に構成されている。古代ギリシア・ローマ、中世イタリア、中世イスラ ム世界、オスマン朝から近代まで、地域・時代的に広い範囲を網羅するように努めら ている。しかし全体としてのまとまりは、さほど感じられない。いいかえれば、簡単 に「地中海的」とは括れない、多様な論点が提出されているといえよう。そのぶんだ け、本書から多くの問題を引き出すことができる。例えば、近代を扱った論考が多い ことは本書の大きな特徴であるが、個々の論考において問題とされている点すなわち 山間部と平野部との間の社会発展の相違(南イタリア)、革命運動と国民統合(エジ プト)、農民社会における規範意識の継続(アンダルシーア)、「民族の英雄」の虚 像と実像(ギリシア)から、それぞれの地域の特殊性を見いだすこともできれば、こ れら全てを通じて地中海的特徴や近代一般を問い直す試みもありうる。読者が本書に 求める問題意識も、多様であるべきなのである。(堀井 優)

戻る

 
 
 
近代・イスラームの人類学

大塚和夫
東京大学出版会. 2000


 この書物は日本の代表的な「イスラームの人類学」者の博士論文改訂版である。十章 構成の各章の主題は、「序」に続いて、「時間」、「空間」、「都市」、「ジェンダ ー」、「音」、「祭り」、「ネイション」、「友と敵」、「近代」というものであり 、洗練とスタイルを感じさせる。また、それぞれの章頭に配されたエピグラフも、単 なる飾りで終わることなく、本文の内容と有機的に結びついたうならせるものが多い 。やはり人類学者は格好いい。その中で作品全体のタイトルだけは「スタイリスティ ック」とは呼びにくい感じだが、そこに表現されているという著者の「錯綜した思い 」(p. 284)は、あまりに格好よすぎるスタイルにちょっとした乱れを加えることによ って、読者にいやみな印象を与えない働きをしているようだ。
 様々な問題を扱うこの本を貫く大きなテーマは、イスラームと近代との関係を考える ことであり、その主要な結論は論述の過程で何度か顔を出した後に最終章でまとめら れている。大いに乱暴に表現するならば、その結論とは、ゲルナーの提出した宗教の C特性群、P特性群という概念を援用し、より儀礼重視で人格依存型で神秘に満ちてい た中世イスラームに比して、近代のイスラームは覚醒的で聖典重視で平等主義で…と いうものである。東長靖氏の「『多神教的』イスラム」(歴史学研究会編『地中海世 界史5』、堀井優氏による短評が待たれる)などもそうだが、「イスラームにおいて は信徒は平等」、「イスラームには聖職者はいない」などなど、確かに言いようによ ってはそうであろうがおおいに検討の余地のある言明が、現代イスラーム主義者の言 説に引っ張られてであろうか、概説書レベルでかなりなされてきた状況への根本的な 警告ともとれよう。
 各章は著者がさまざまな場所で発表してきた論考の改訂版であり、それぞれの章の間 には議論の精粗の度合いや「難易度」の差が感じられる。それが「論文集」という感 じを与え、少し残念だった。第9章などは、もともとの執筆の経緯から離れて本書に 収録するにあたっては、もっと根本的に改稿できたのではないかとも思われる。本全 体を通じた明らかなテーマもありまとまりのある本なのだから、10の章がひとつの 作品として融合しきっていたらばさらにどれだけ「スタイリスティック」だったこと だろう。
 最後に、これは著者の問題ではなく気にする当人が考えてゆくべき問題であろうが、 本書のさまざまな議論において「イラン」「モッラーたち」はどのように位置づけら れるのだろうと頭を捻ったこと、イランのことを考えると少し違った議論の設定も可 能かと考えたこと、が何回かあったことも記しておきたい。イランにも近代は来たは ずなのだが。(森本一夫)

戻る

 
 
 
Cairo Cats: Egypt's Enduring Legacy

Lorraine Chittock
Cairo : Camel Caravan Press, 1999


 研究者が各々の学問的関心に基づいて注目書籍を紹介・批評する場に、このような 「写真集」の短評を混入させることを、先ずはお許し頂きたい。
 愛くるしい 猫の写真に惹かれて何気なく手にした本著だが、序文を執筆するのがかの碩学アンヌ マリー・シンメル女史とあっては読み飛ばすわけにはいかない。わずか6頁ばかりの 小文だが、古代エジプトの刻文からナギブ・マフフーズまで、エジプトで著された猫 に関する文章の数々に言及している。イスラーム時代の猫の叙述も数多く集められて おり、預言者に帰せられた「猫愛好は信仰の一部なり」という言辞や、「猫愛好君 主」ことマムルーク朝スルタン・バイバルス1世が(ワクフとして?)設定した「猫 の園」の逸話など、いわばイスラーム猫づくしの観がある。本書の性格から、これら 情報の出典は必ずしもつまびらかでないことが悔やまれるが。
 むろん本書に 収められた、カイロの日常にとけ込んだ猫たちの自然な姿は、理屈抜きに楽しめる。 賑やかなカイロの町中で、物々しい撮影機材を持ち運ぶことを想像されたい。ひとた びカメラを構えれば、好奇心旺盛なカイロっ子たちが群をなし、肝心の猫たちは忽ち 逃げ去ってしまうことだろう。地域住民そして猫たちとの間に信頼関係を築いてこの ような撮影を可能にした、写真家の手腕には敬意を抱かずに入られない。
 一般にイスラーム世界では犬猫の類は邪険に扱われることが多いのだが、カイロの猫 に限っては人々に愛されているようであり、この点は評者も大いに同意するところで ある。そこに、エジプトにおけるイスラーム以前の伝統の残滓を見るのも面白い。ちなみに評者は、本書 26-27頁の写真が気に入っている。読者諸氏も本書を手に取り、猫たちとともにカイ ロの町を散歩する気分に浸ってみてはいかがだろうか。全72頁、60エジプトポンド= 約1800円。(中町信孝)

戻る