イスラーム地域研究5班
回顧 <Beyond the Border>

Islam and Politics in Russia and Central Asia

河原弥生


 去る10月13・14日に東京日仏会館において、<Islam and Politics in Russia and Central Asia (Early 17th - Late 20th Centuries)>をテーマに国際シンポジウムが開催された。これに先だって京都で行われた国際会議への参加者も含め、シンポジウムには旧ソ連、日本、そして欧米諸国から研究者が集まった。シンポジウムはロシア、中央アジアの幅広い地域と時代を対象にしたものであり、二日間に13人の報告とそれに対するコメントが行われたが、その内容も非常に多彩なものとなった。1日目は17世紀から1917年のロシア革命までを対象にした歴史的な問題について、一方2日目はソヴィエト政権樹立以後、現在に至る政治とイスラームの問題について議論すべくプログラムが組まれていた。また、地域という点では、タタールスタン等ロシア領内のイスラーム地域から東西トルキスタンまでを幅広くカバーしたものとなった。
 以下、簡単にその内容を紹介すると、まず、第1セッションのCommunity Building in the Russian Dar al-Harbでは、3人の報告者がロシア革命以前のタタールスタン及びシベリア地域のムスリム・コミュニティーに関して報告した。それらは、ムスリムとしてのアイデンティティーの形成、ロシア帝国宗主権下でのムスリムによる自治活動、またムスリムの経済活動とそれに関わる徴税、といった様々な側面から上記のテーマにアプローチしたものだった。
続く第2セッションの、Towards an Restoration of the Dar al-Islam? State Building in 20th Century Muslim Central Asiaでは、今世紀初頭の東西トルキスタンにおいて、いかにして国家が形成されていったかを検証する試みが行われた。すなわち、ブハラ、カザフスタン、東トルキスタンのそれぞれの地域での近代的国家樹立に向けた運動が取り上げられ、その運動において何が重要なファクターだったのか、果たしてイスラームが何らかの役割を担ったのかという問題が論じられた。
 翌日の第3セッションの、The Role of the Religious (`Ulama) and the Literati (Udaba)においては、ウズベク文学の作品に現れる「イスラーム」を取り上げた報告、今世紀前半の東トルキスタンのスーフィー・ネットワークについてフェルガナ地方からのスーフィーの移入をトピックとして論じた報告、そして現在のタジキスタンにおけるイスラームについてソ連崩壊以前のタジキスタンの国内政治の問題点から具体的に説明した報告が行われ、内容は多岐にわたった。とりわけ、現在でも完全に終息したとは言い難いタジキスタンの内戦について、ソ連時代から顕著だったこの地域特有の官僚機構の地方主義、植民地支配を受けた被抑圧の歴史、近年における「伝統的」、「現代的」と分類し得る2種類のウラマー層の顕在化、ソ連時代にも根を絶やすことのなかったスーフィズム等の要素と、民族、社会、政治といった潜在的な問題の複雑な絡み合いから検証したMullojonov氏の報告に関心が集まった。
 続く第4セッションの、Contemporary Issues: Islam and Political Mobilization, from Tajikistan to the Suburbs of Moscowでは、ロシアからの参加者がクルグズスタン(キルギスタン)の北部、中部地域の緩やかながらも確実に進みつつあるイスラームの拡大とその脅威について報告したのを始め、アメリカからの参加者が現代のフェルガナ盆地のイスラームの様相に関して、最近の日本人拉致事件にも触れながら、原理主義運動の実態とその脅威について言及した。それに続いて、90年代の旧ソ連崩壊後のタタールスタンやロシアにおけるイスラームの動向が報告された。このセッションにおいては、前半2名の中央アジアの「外部」の研究者が現地の実情について報告、提言したのに対して、現地からの参加者による少なからぬ反響があった。日本に留学中である中央アジア出身の留学生からは、イスラームのある特定の側面を取り上げて、それを中央アジア全域に、或いは各国における「イスラーム」というものに、一般化することに対する反論が寄せられ、或いは報告者が現地の実情を正確に把握していないのではないか、といった厳しい指摘もなされたタw:ぢ。このような論争は、中央アジア関係の学会に限らず、現地の研究者と、「外部」の研究者が一堂に会した場合、容易に起こり得ることではある。とりわけ宗教に関わる現代的な問題に関して、双方が共通の現状認識や研究上の基盤を持って更に掘り下げた議論に進むことの難しさを改めて痛感させられた一こまだった。
 当シンポジウムはこのように、ロシア、中央アジアのイスラームという極めて限られたテーマを追っているようで、実際には内容は実に多岐にわたっていた。この2日間の報告を全体として眺めてみると、様々な地域、時代、歴史的局面において現れるイスラームを、ある一つの現象として捉えることの問題点が浮き彫りにされたように思う。とりわけ、直接、間接に話題となるスーフィズムについてどのように理解すべきか最後まで議論が尽きなかった。
 周知のように、中央アジアにおいてはソ連政権樹立に至るまで、スーフィー教団は歴史的に政治と分かち難い関係であり続けた。とりわけ、この地域で勢力をもっていた、そして今も持ち続けているナクシュバンディー教団では、教義として、統治者や政治と積極的に関わりを持つことを奨励してすらいる。ロシア革命とそれに続くソヴィエト体制の中で、スーフィズムは一見、その活動に終止符を打ったかのごとく思われるが、今回のシンポジウムにおいても様々な形で報告されたように、実際には現代においてもなおその影響力を失ってはいない。アラブ圏など、他のイスラーム地域を専門とする参加者からは、アラブ地域ではスーフィズムは飽くまで「個人的」なレベルの問題であるのに対し、中央アジアではそれが極めて「政治的」であることに驚かされたとのコメントが提出された。近年の中央アジア研究においてスーフィズムに関する研究は飛躍的に発展しており、中央アジアを専門とする研究者たちはそのようなこの地域の特異性をいわば自明の理として見過ごしがちになってきている感がある。さらに、個々の歴史的事件や、あるいは様々なスーフィー教団の分派の存在形態、特,定の聖者や聖者廟に関して詳細な研究が進展していく一方で、スーフィズムをひとくくりに何か一つの実態、現象として捉えてしまうという危険も生まれている。実際、イスラームにせよ、スーフィズムにせよ、様々な歴史的局面、多様なバックグラウンドを持つ様々な地域において、多彩な様相を呈しており、ひとくくりにそれを捉えようとすることが無謀であるのは言うまでもない。シンポジウム初日の最初の報告者、Noack氏がムスリムとしてのアイデンティティーの形成を国家形成時の一段階としてのみ捉えることに疑問を投げかけ、むしろ進化し、変化し続けるアイデンティティーが様々な政治的発展段階において、様々な民族運動を起こしたことを具体的に指摘した点は、非常に的確であると同時に、このような問題を考える上で重要な論点を提示したと言えよう。
 中央アジアの歴史研究及び、現代の地域研究において、スーフィズムと政治の関係について、またスーフィズムと社会の関係についてどのように捉え、再考してゆくのかが今後の重要な課題の一つになるであろう。
 ところで、余談であるが、今回のシンポジウムは英語とロシア語で行われた。会は報告の直後にコメントが行われるという形で進められたが、旧ソ連からの研究者が報告者やコメンテーターである場合は、それをロシア語で行う例が多かった。これは、旧ソ連での研究活動はロシア語を共通語として行われてきたという経緯があり、英語が不得手な参加者も多かったためである。幸い、報告、コメントの両方がロシア語で行われるというケースはなく、また、質疑応答も英・ロ両言語を解する参加者が適宜通訳を行い、柔軟に対応したので、予想されるよりはるかにスムーズに議論が進んだ。京都での国際会議で、旧ソ連やマグリブ諸国からの参加者の報告、質疑応答に困難が生じたことを思い起こし、このような柔軟さの必要性を改めて認識した。


戻る