東洋文化研究所の自己点検・評価

2013年度の自己点検・評価

1. 研究所の活動全体についての自己点検・評価(6年に一度)。
2. 研究所の准教授が教授に昇任する際の業績評価ならびに昇任理由
3. 研究所の教授が55歳となった年度の 業績の総括、本人の自己点検・評価、評価委員会による評価

 


2.研究所の准教授が教授に昇任する際に、その業績評価を行ない、昇任の理由を公表します。

名和克郎准教授の教授昇任 (2013.10.16付)

昇任理由

本文

名和克郎(なわかつお)氏 教授昇任評価
  名和克郎氏は、文化人類学を専門とし、ネパール連邦民主共和国(旧ネパール王国)を中心とする南アジア、およびヒマラヤ地域を研究対象フィールドとしている。具体的には、ネパールの極西部の高地地帯に位置するビャンス地方、およびその周辺地域においてRangと自称する人びとへのフィールドワークの成果を主たる基盤として、「民族」、「カースト」といった用語で論じられてきた社会範疇の構成や儀礼の変容過程、それに対する慣習的行為や語られる規範の関係、多言語使用、翻訳、言語イデオロギーといった言語使用に関する問題系の広範な課題について、民族誌、および理論の両面から研究を行っている。
  名和氏は、2000年4月に本研究所に着任してから今日までの13年間に、単著1点、編著5点(うち単編著1点、共編著4点[うち英語著作2点])、論文19点(うち英語論文4点、さらに印刷中等4点)、書評論文10点、報告・小論等21点(さらに印刷中1点)、辞典項目等5点という多くの研究成果を発信している。質的にも、本学着任後、極めて優れた研究を積み重ねてきたと判断しうる。
  これまで名和氏は、文化記述のための方法や概念について、徹底的に精密な批判作業を行ってきた。Rangの集団としての輪郭、生業、言語、儀礼等の分析を積み重ね、従来、常態化してきた近似的な民族誌的記述を反省的に批判し、そこで用いられてきた方法や概念について再検討を行い、さらにその学史を検討してきた。この検討を通して、精確な民族誌作成に利用することのできる緻密に設計された分析のツールを採用して、さらに詳細な民族誌データの読み直しを行い、そのデータのもつ深い意味を解き明かそうとしてきた。
  名和氏は、現在、Rangの人びとの言語、通常「母語」と呼ばれたものが、彼らの日常のなかのさまざまな場における言語使用でどのようにあらわれるかを詳細に検討する一方で、一般的に多言語使用といわれる状況のビャンス的特徴を明らかにし、ふりかえって、言語人類学や社会言語学の学史を検討し、さらにもともとは用いられることのなかった文字使用の現状にも論及するという具合に、言語についての追究を進めている。こうした細部にこだわる徹底した実証的手法による検討は、生業の歴史的変化から現在の変動への対応、儀礼の歴史的変遷やその現代的変化、そこで用いられる口頭伝承のもつ役割や近年の変動といった問題にまで伸展され、優れた論文として結実している。それらは、本研究所に准教授として着任してすぐに出版された単著書『ネパール、ビャンスおよび周辺地域における儀礼と社会範疇に関する民族誌的研究―もうひとつの「近代」の布置』を発展させる重要な業績であり、多様化する現在の文化人類学研究のなかで、多くの可能性をはらむ最良最新の研究であると評価できる。
  さらに名和氏は、ネパールの民族誌のみならず、広く文化人類学の理論、学説史、方法論研究についても最新の知見を集積し、多くの学会、研究会において主導的役割を果たしている。適確で誠実な学会運営、指導、査読や編集等についても信頼が厚く、日本文化人類学会や日本南アジア学会で理事を歴任し、多くの海外誌を含む学術誌、ジャーナルの編集委員を務めている。こうした研究の外延においても、大きな実績をもっていることも特記しなくてはならない。国際的な研究活動にも積極的に取り組んでおり、今後、世界的な視野のもとで文化人類学研究をリードすることが期待される。
  2004年には、優れた若手文化人類学研究者に与えられる澁澤賞(第30回、澁澤民族学振興基金)を受賞するなど、その研究者としての資質と能力は、すでに社会で高く評価されている。以上のような業績から、名和克郎氏は本研究所汎アジア研究部門文化・人類研究領域の教授に昇任する要件を十全に満たしていると判断する。

 
名和克郎(なわかつお)氏の代表業績一覧
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/faculty/prof/nawa.html

 

3.研究所の教授が55歳となった年度に、それまでの業績を総括し、今後の展望を語る会合を持ち、本人の自己点検・評価と評価委員会による評価を公表します。

高見澤 磨 教授 (2014.1.16付)


研究履歴と今後10年の研究計画

 本 文 

研究履歴と今後10年の研究計画

東アジア第一研究部門 高見澤 磨

【研究履歴】

1,主たる研究領域

  法史を含む中国法研究を行ってきた。これまでの研究は紛争・法源・近代法史及び共著『現代中国法入門』(有斐閣)の更新のための研究(中国固有法史及び刑事法を中心に)の4つの領域を中心としている。

(1)紛争研究

  中国にはいかなる紛争があり、それらはいかに解決され、また、解決されないとどのようになるのか、についての研究である。これまでに得られた知見は以下のとおりである。
①中国において紛争は調停的に解決される傾向があり、理を説いて紛争を解決しようとする説理者と理を説かれて心から服する役を演じる当事者とからなる説理心服劇として展開する。但し、真に心から服しているか否か、理を説かれていると感じているか否かはは別のことがらであり、説理心服の役回りによって一時的にしても紛争を解決する型を示す。
②説理心服の型を示すことは、儒家思想や毛沢東思想だけからは説明がつかない。
③判決・強制執行を軸とする紛争解決を支えることができない司法・立法の力量不足や暴力的展開の可能性を有する紛争形態にその原因を求めることができる。
④また、司法が統治の一環であり、調停的解決が統治術のひとつとして認識されているという面があり、そのことは「案結、事了、人和」(制度上取り扱う事件としては終結し、社会的に存在する紛争そのものとしても解決し、そのことによって人間関係も修復される)という言葉に現れている。
⑤広義の司法の力量が向上し、紛争形態も変わり、政治制度も変われば、説理心服型も変わる可能性がある。

  以上の知見を示す業績としては、別紙1のものがある。

(2)法源研究

  中華人民共和国においては、何が裁判規範なのか、また、それらの形成過程はいかなるものか、についての研究である。これまでに得られた知見は以下のとおりである。
①地域や分野での試みから、共産党による政策決定を経て、国家法体系が形成され、それに関係する人々が慣熟するまでの政治過程及び歴史として理解することができる。以下がそのモデルである。
   地域や分野において、既存の法令や共産党の政策に適合的か否かは不明な段階での試みが行われる→共産党中央での認知→共産党の政策→国家の政策→試点工作(地域などを限定しての試行)→行政機関による立法→全国人民代表大会(及びその常務委員会)の立法(「法律」)→関連法令の整備→慣熟
②本研究の副産物として、中国法の調べ方の作法を提示できる。

 以上の知見を示す業績としては、別紙2のものがある。

(3)中国近代法史

  清末から中華人民共和国成立までの中国近代法史の研究である。清末より前の法制史研究や中華人民共和国法研究に比して相対的に研究の蓄積が薄い分野であるが、清末より前の固有法に見られる法現象と中華人民共和国に見られる法現象との相似性を考察する場合に必要な研究分野である。これまでに得られた知見は以下のとおりである。
①近代法史は条約時代、万国公法時代(一般国際法を学び始めた時代)、近代西洋型法整備を行った時代ー不平等条約改正後の時代に区分可能であり、日本・タイとも同様のパターンを示す(このうち条約時代、一般国際法の時代という区分は王鉄崖の授業(北京大学)を受けて得られたものである。
②固有法や現代法と相似性を示すことがらもあるが、必ずしもそうではなく、むしろ西洋近代に対するまじめな学習者として側面もある。法学・法務の内外で異なると考えられる。

 以上の知見を示す業績としては、別紙3のものがある。

(4)共著『現代中国法入門』(有斐閣)

  共著である『現代中国法入門』の改訂作業は、すでに6版に至り、重要な日常的な研究・教育活動の軸となっている。とくに、中華人民共和国成立前の歴史部分と刑事法の部分とは主たる担当であり、近代法史以外にも固有法史の研究動向に注意し、また、刑事法も研究対象としている。研究的側面について得られた知見としては以下のことがある。
①固有法と現代法との間には相似性が見られる。近代法史においては、法学・法務に限って言えば、これらとは異なる西洋近代への傾斜が見られる。社会実態に関して言えば、今後の課題としたい。
②刑法においては、律に見られる罪の客観的評価(罪と罰の数量化)の傾向が見られる。
③このことは民事的制裁や行政罰においても見られる。
④刑事司法においては、被疑者・被告人の権利が十分に守られているとは言い難いが、それでも一定の進展は見せている。

 以上の知見を示す業績(『現代中国法入門』を含む)としては別紙4のものがある。

  なお、以上の業績のうち2003年8月1日の教授昇進以降のものは『現代中国法入門』(4~6版)を除き、共著書1点、論文28点、翻訳2点である。


【今後10年の研究計画】

(1)上記の主たる4分野の研究を継続するとともに、さらにこれらを通じた中国法の型とでもいうべきものを抽出し、仮説として提示して学界の批判をあおぎたい。単著として出版する計画である。

(2)本研究所未整理資料を整理しつつ、近代法史研究を進める。とくに我妻栄関連資料を整理し、『中華民国民法典物権編下』は可能な限り早く出版したい。また、404号室の未整理資料も早期に利用可能としたい。すでに基本的な目録作成作業は済んでいる。 

 


業績評価

 本 文 

高見澤磨教授の業績評価

評価委員会は、2013年10月10日に開催した自己点検・評価セミナーでの高見澤教授の報告を聞き、教授昇進(2003年)後の氏の主要活動を検討した結果、高見澤教授が研究、教育、所内・学内における各種活動の各分野において東洋文化研究所の教授としてふさわしい業績を挙げており、今後も十分な活躍が期待できることを確認した。以下にその概要を記す。

1.研究活動の評価
教授昇進後の約10年間に、主要な研究業績として、共著書1点、論文28点(すべて単著、うち中文4点、英文1点)、翻訳2点を公刊している。1998年に刊行された木間正道・鈴木賢との共著『現代中国法入門』が第6版まで改訂を重ねていることも特記に値する。主要な論文が中国語に翻訳され、中国の学会で招待報告を行うなど、その研究成果は国際的な学界にも大きなインパクトを与えている。そのことは、2007年より中国政法大学・法律史研究院(中国・北京)の『海外中国法研究訳叢』の編集委員をつとめていること、2013年9月から始まった「上海市海外名師項目」(上海市が上海の大学を対象として始めた外国人研究者招聘プログラム)による第一回招聘者として華東政法大学から招聘され「客座教授」(客員教授)をつとめていることなどによっても知られる。
なお、研究発表は、海外で6回(うち招待3回)、国内で6回(うち招待3回)にのぼっている。

2.教育活動の評価
高見澤教授は、大学院・法学政治学研究科において、法曹養成専攻では講義科目及び演習を持ち、また、総合法政専攻では演習を持ち、学生を指導している。特に、総合法政専攻では副専攻長(基礎法学担当)をのべ3期(計3年)つとめている。その指導学生数は、教授昇進後、修士課程7名、博士課程7名であり、そのうち博士号取得者は1名、博士論文審査の主査(総合法政専攻においては、指導教員は副査となり、主査とはならない)をつとめたもの1件である。また、この10年間に1名の日本学術振興会特別研究員及び1名の日本学術振興会外国人特別研究員を受け入れ、3名の国際交流基金による若手研究者、3名の中国政府・国家留学基金による若手研究者、1名の台湾行政院ポスドク海外研究プログラムによる若手研究者を受け入れ、指導している。また、海外からのべ24名の訪問研究員を受け入れている。

3.所内、学内各種委員会などにおける活動
高見澤教授は所内・学内において、大きな功績を挙げている。なかでも、全学における情報公開制度の立ち上げにあたっては、その準備段階から関与し、長く情報公開委員会の委員をつとめ、また2011年度には総長補佐をつとめた。総長補佐としては、多くの作業に加わったが、なかでも東京大学ではじめて編集されたファカルティー・ハンブック作成の編集長をつとめたことは特記するに値する。研究所内においても、財務委員長をつとめた。

以上


<参考資料:高見澤磨教授の主要研究業績>

別紙1

 

●学位論文
(1)  「中国に於ける人民調解制度」(法学修士学位論文。1983年12月提出、1984年3月学位取得。未刊行。要旨は『社会主義法研究会会報 社会主義法研究』1985年4月1日1頁)。
(2)  「中華人民共和国における紛争と紛争解決」(博士(法学)学位論文。1993年9月提出、1994年3月学位取得。

 

●単著
(1)  『現代中国の紛争と法』(東京大学出版会、1998年9月24日初版)(平成10年度科学研究費補助金「研究成果公開促進費」1998年10月30日確定額140万円)はしがき・目次8頁、本文229頁、索引・レジュメ9頁(書評:鈴木賢「なぜ中国の紛争解決では調停が好まれるのか?」東方書店『東方』275号、1999年3月5日、26-29頁。易平、『北大法律評論』2巻1輯、1999年、329-336頁。王亜新、『法制史研究』49号、2000年3月31日、234-238頁。鈴木賢「変わらぬ中国法の「からくり」ーー高見澤磨『現代中国の紛争と法』」、『社会体制と法』創刊号2000年6月1日109-113頁)。
(1-2)  『現代中国的糾紛與法』(何勤華・李秀清・曲陽訳、法律出版社、南京大学亜太法研究所叢書、2003年3月、叢書出版説明2頁、訳者序2頁、中文版序2頁、目録(目次)4頁、前言2頁、本文224頁)。(書評:盧栄栄「調解何以為中国糾紛解決之軸―評《現代中国的糾紛与法》」、徐昕主編『司法 第一輯 糾紛解決与社会和諧』法律出版社、2006年12月、295-301頁)。

 

●論文等
(1)  「罪観念と制裁 中国におけるもめごとと裁きとから」(岩波書店、シリーズ世界史への問い、第5巻『規範と統合』、301ー328頁、1990年6月5日)。
(2)  「中華人民共和国における紛争と紛争解決(一)~(八)」(立命舘国際研究8巻1号、1995年5月19日、89ー102頁;2号、同年10月19日、33ー38頁);3号、1995年12月19日、44ー68頁;4号、1996年3月19日、307ー326頁;9巻1号、同年5月19日、40ー61頁;9巻2号、同年10月19日、48ー72頁;9巻3号、同年12月19日、71ー90頁;9巻4号、1997年3月19日、209~228頁。また、『中国関係論説資料』37巻第4分冊増刊に(1)~(3)、38巻第4分冊増刊に(4)~(6)。
(3)  「中華人民共和国における紛争と紛争解決」(比較法研究57、1996年2月20日、134~142頁)。
(4)  「中国における契約紛争ーー伝統の文脈と現代的制度的要因ーー」(財団法人産業研究所、委託先、社団法人アジア社会問題研究所、国際政治経済動向の調査研究7ー7、『アジア経済におけるアジアの法と近代法に関する調査研究』1996年3月、第三章、22ー28頁)。
(5)  「中華人民共和国的糾紛及其解決」(『南京大学法律評論』1999年春(総11期、155~160頁)(2(1)、3(28)(33)の紹介)。
(6)  「中国の法と社会」(河合隼雄・加藤雅信編著『人間の心と法』(有斐閣、2003年9月9日)243ー261頁、本書第10章として)。韓国語版(2012年11月10日)。
(7)  「1990年代における中国法イメージ 鎌倉会議を中心に」(東京大学東洋文化研究所『東洋文化』84号、2004年3月26日、57-73頁)。
(8)  「1990年代末以降の中国司法の人的力量の向上」(『専修大学社会科学研究所月報』494号、2004年8月20日、1-11頁)。
(9)  「20世紀90年代中国法印象――以鎌倉会議為中心」(黄毅・黄震・帥天龍主編『渠水集 紀念饒鑫賢教授法学文集』北京大学出版社、2004年10月、317-327頁)。
(10)  「紛争と司法 現代中国」(山内進・加藤博・新田一郎編『暴力 比較文明史的考察』(東京大学出版会、2005年1月7日、143-163頁、第5章として。また文献解題274-275頁、座談会285-318頁)(本文中国語訳に144の2)。
(11)  「1990年代末以降の中国司法の人的力量の向上」(内藤光博・古川純 編『東北アジアの法と政治』専修大学出版局、専修大学社会科学研究所 社会科学研究叢書7,2005年4月30日、281-294頁、第14章として)。
(12)  Leagal Troubles and Their Resolution in China:the Interaction of Shuolizhe and Xinfuzhe,International Journal of Asian Studies, vol.3,part2,2006,pp.239-254,Cambridge University Press
(13)  「調停から見る中国近世・近代法史」(川口由彦編著『調停の近代』勁草書房、日本近代法史の探求1、2011年1月15日、239-273頁)。(書評:小柳春一郞『法制史研究』62,2013年3月30日、183-188頁)。
(14)  「コメント」(北海道大学グローバルCOEプログラム「多元分散型統御を目指す新世代法政策学」事務局『新世代法政策学研究』第14号、2012年2月15日、125-130頁。口頭報告11の活字化)。
(15)  「現代中国的糾紛与司法」(楊琴訳、中国政法大学法律史学研究院編『日本学者中国法論著選訳』(下冊)中国政法大学出版社、2012年7月、634-650頁。中国政法大学法律史学研究院学術系列“海外中国法研究訳叢”(叢書総主編、朱勇・張中秋・朱騰)。
(16)  「中国近代商事糾紛解決制度概観与今後之研究課題」(渠涛主編『中日民商法研究』(第11巻)(法律出版社、2012年8月、351-358頁)(報告12参照)。

別紙2

(1)  「法規彙編編輯出版管理規定について」、東方120号、2ー4頁、1991年3月5日。
(2)  「中華人民共和国における法源」(法制史研究40号(法制史学会)、77ー110頁、1991年3月30日)。
(3)  「中華人民共和国法制資料」(滋賀秀三編『中国法制史 基本資料の研究』東京大学出版会、861-888頁、1993年2月20日)。
(4)  「中華人民共和国における法源と法制資料に関する補論」(東京大学教養学部外国語科研究紀要41巻5号、19ー33頁、1994年3月25日)。
(5)  「中国の法制度を調べる」(佐藤誠編『地域調査法を学ぶ人のために』世界思想社、1996年8月20日、35ー49頁)。
(6)  「東京大学東洋文化研究所所蔵法制史関連資料紹介ーー大木文庫、仁井田文庫を中心に」(『法史学研究会会報』第7号、2002年9月30日、93-96頁)。
(7)  「中国法」(はじめに、Ⅰ中華人民共和国法(以下、中国法)の主要な特徴、Ⅱ中国法の調べ方、小結)(北村一郎編『アクセスガイド外国法』東京大学出版会、2004年6月17日、291ー320頁)。
(8)  「法があり、それが役に立っていると感じられるまでー中国における立法過程と所要時間」(『書斎の窓』592号、2010年3月1日、2-5頁、有斐閣)。
(9)  「中国法への誘い(1)ー日本語で学ぶ,中国語を学ぶ」(『法学教室』361号、2010年10月1日、68-70頁。「外国法紹介 中国法①」として)。
(10)  「中国法への誘い(2)ー中国とつきあう」(『法学教室』362号、2010年11月1日、53-55頁。「外国法紹介 中国法②」として)。
(11)  「中国法への誘い(3)ー中国と長くつきあう」(『法学教室』363号、2010年12月1日、39-41頁。「外国法紹介 中国法③」として)。

別紙3

●共著
(1)  共著(高見澤 磨、鈴木 賢)『叢書 中国的問題群3 中国にとって法とは何かー統治の道具から市民の権利へ』(岩波書店、2010年9月28日、ⅹⅷ+252頁。主担当:はじめに、第一章~第四章)。

 

●論文等
(2)  「研究動向 中国近代法史研究」東京大学東洋文化研究所・東洋学文献センター報、センター通信No.38,1998年3月27日、14-15頁。
(3)  「「近代経験」と体制転換」(『社会体制と法』第2号、2001年6月1日、54-62頁)。
(4)  「近現代の法意識」(溝口雄三、丸山松幸、池田知久編『中国思想文化事典』東京大学出版会2001年7月5日、244-245頁。石川英昭主担当の「法」の小項目として)。
(5)  「中国近代法史と都市景観の変容についてーー監獄制度からの初歩的考察ーー」(『平成11年度ー13年度科学研究費補助金・基盤(C)(2)研究成果報告書(課題番号:11694036)「20世紀前半華北地域の都市近代化にたいする日本の影響」成果報告書』、発行者渡辺惇(駒沢大学文学部)、2002年3月15日、61-68頁)。
(6)  「中国近代法制史与都市景観的変革 対監獄制度的初歩考察」(天津社会科学院歴史研究所・天津市城市科学研究会編『城市史研究』第21輯(特刊)20世紀華北城市近代化、天津社会科学院出版社、2002年3月、245-254頁)。
(7)  「律令制の終わり方」(池田温編『日中律令制の諸相』東方書店、2002年 3月31日、485ー505頁)。
(7の2)  7の中国語訳版。張生・張代恩訳「試論中国近代法史時代区分」(張生主編『中国法律近代化論集』中国政法大学出版社、2002年7月、18-35頁)。
(8)  「天津二題『天津図書館蔵顧維鈞西文図書分類目録』紹介と天津監獄移転」(東方書店『東方』255号、2002年5月5日、9ー12頁)。
(9)  「体制転換過程(または移行経済)における「近代経験」論的研究の到達点」(「社会体制と法」と法研究会『社会体制と法』第6号、2005年6月3日、33-35頁)。
(10)  「中国「法」の展開」(『ジュリスト』1297号(2005年9月15日号、76-78頁。「特集2 契約観・訴訟観・法意識の国際比較 21世紀の日本・法曹教育の基礎を作るために(2005年日本私法学会シンポジウム資料、中国人・韓国人の法意識と訴訟観)。
(11)  「法の移植と時間」(今井弘道編『発展する東アジアと法学の課題』(成文堂、2008年2月10日、93-98頁)。
(12)  「研究動向 中国近代法史研究」(東京大学東洋文化研究所『アジア学の明日にむけて』2008年3月28日、281-286頁。(2)を再録し、また、2007年9月20日付け補記を加えたもの)。
(13)  「中国近代における法整備と法典編纂」(『CALE NEWS 名古屋大学法政国際教育協力研究センターニューズレター』No.26、2008年5月30日、3頁)。
(14)  「「新」発見の「故我妻榮氏寄贈」資料」(清末・中華民国期土地文書)簡介」(孝忠延夫・鈴木賢編『北東アジアにおける法治の現状と課題 鈴木敬夫先生古稀記念』(成文堂、アジア法叢書28,2008年11月17日、93-116頁)。
(15)  「中国近代における法整備と法典編纂」(名古屋大学大学院法学研究科、名古屋大学法政国際教育協力研究センター『文部科学省「世界を対象としたニーズ対応型地域研究推進事業・文部科学省「大学院教育改革支援プログラム」・名古屋大学総長裁量経費 2007年度「法整備支援戦略の研究」全体会議報告諸』2009年3月、35-42頁)。
(16)  「姜曄編著『旅順日俄監獄掲秘』(大連出版社、帝国主義侵略大連史叢書、2004年4月)及び旅順日俄監獄について」(『東洋法制史研究会通信』17号、7-8頁。2009年8月18日)。
(17)  「近代法制の形成過程」(飯島渉・久保亨・村田雄二郎編『グローバル化と中国』(『シリーズ20世紀中国史』東京大学出版会の第3巻)第4章、81-99頁、2009年9月10日)。
(18)  「日本民法家我妻榮対中華民国民法典的注解」(中国政法大学羅馬法与意大利法研究中心・教育部法制史研究重点基地ー中国政法大学法律研究院・意大利和中国“羅馬法背景下的中国法典化与法学人才培養研究中心・中国政法大学出版社 主?『第四届 羅馬法、中国法与民法法典化国際研討会 論文集 (下)651-656頁、2009年10月。10月24,25日シンポジウムにおいて招待報告。25日)。
(19)  (別紙1論文等13と重複)「調停から見る中国近世・近代法史」(川口由彦編著『調停の近代』勁草書房、日本近代法史の探求1、2011年1月15日、239-273頁)。(書評:小柳春一郞『法制史研究』62,2013年3月30日、183-188頁)。
(20)  (別紙1論文等16と重複)「中国近代商事糾紛解決制度概観与今後之研究課題」(渠涛主編『中日民商法研究』(第11巻)(法律出版社、2012年8月、351-358頁)(報告12参照)。
(21)  「辛亥革命から中国法史100年を考える」(日本現代中国学会『研究年報 現代中国』第86号、2012年9月30日、57-66頁)。

 

●翻訳
(1)  楊兆龍「憲政の道(抄)」(野村浩一・近藤邦康・砂山幸雄責任編集『新編 原点中国近代思想史 第6巻 救国と民主ー抗日戦争から第二次大戦へ』(岩波書店、2011年3月29日、348-356頁。原題は「憲政之道」。348頁に「解題」)。
(2)  陳盛清「戦後の婚姻問題(抄)」(野村浩一・近藤邦康・砂山幸雄責任編集『新編 原点中国近代思想史 第6巻 救国と民主ー抗日戦争から第二次大戦へ』(岩波書店、2011年3月29日、406-412頁。原題は「戦後婚姻問題」。406頁に「解題」)。

 

別紙4

●共著
(1)  共著(木間正道・鈴木賢)『現代中国法入門』(有斐閣、外国法入門双書、1998年12月25日)序・凡例・目次・著者紹介12頁、310頁(主担当部分:第1章「現代中国法の前史」、第6章「刑事法」)(書評:片岡直樹、ジュリスト書評、ジュリストNo.1151、1999年3月1日、141頁。王晨「日本における現代中国法研究の到達点」東方書店『東方』221号、1999年7月5日、28-31頁)。
(1-2)  第2版、2000年9月20日。序・凡例・目次・著者紹介14頁、322頁。第2版第2刷、2001年10月30日。(書評:土岐茂、「社会体制と法」研究会『社会体制と法』第3号、2002年5月31日97-102頁)。
(1-3)  第3版、2003年3月25日。序・凡例・目次・著者紹介14頁、343頁。(書評:大江泰一郎、『比較法研究』65号(2003)、2004年3月31日、243-249頁)。第3版第2刷、2004年7月10日。訂正部分は、「投げ込み」に(7月末しめきり)。『現代中国法入門[第3版]補遺投げ込み(2004年9月))。第3版第3刷、2005年3月30日。補遺は2004年9月と同じものを投げ込み。
(1-4)  第4版、2006年10月30日。序・凡例・目次・著者紹介16頁、354頁。第4版第2刷、2008年2月20日、追加部分は、「補遺」投げ込みに(2008年1月末しめきり)。第4版3刷、2008年12月15日、上記追補付き。
(1-5)  第5版、2009年10月1日。序・凡例・目次・著者紹介16頁、390頁。
(1-6)  第6版、2012年10月25日。序・目次・凡例・著者紹介16頁、416頁。

 

●論文等
(1)  「台湾鳳山張氏文書」(濱下武志・久保亨・上田信他編、東洋学文献センター叢刊第48輯『東洋文化研究所所蔵中国土地文書目録・解説(下)』東京大学東洋文化研究所附属東洋学文献センター刊行委員会、23ー40頁、245ー248頁、1986年12月10日)。
(2)  (別紙1論文等1と重複)「罪観念と制裁 中国におけるもめごとと裁きとから」(岩波書店、シリーズ世界史への問い、第5巻『規範と統合』、301ー328頁、1990年6月5日)。
(3)  「中国人にとっての法」(曽士才・西澤治彦・瀬川昌久『アジア読本 中国』河出書房新社、1995年4月25日、96ー101頁)。
(4)  「中国法の研究教育を」、朝日新聞、中国・台湾とどう付き合うか、1997年3月31日(月)4面。
(5)  「中国法近況ー『現代中国法入門』その後」(有斐閣『書斎の窓』No.482,1999年3月1日、19-23頁)。
(6)  「中国法は役に立つのか」(東京大学東洋文化研究所編『アジアを知れば世界が見える』(小学館2001年12月10日、278-286頁)。
(7)  「中華人民共和国刑法における美:量刑のものさし」(『東洋文化研究所 超域連携研究プログラム「アジアの『美』の構築」Annual Report BI 』vol.4、2010年3月31日、46-57頁)。

 

 


大木 康 教授 (2014.3.13付)


研究履歴と今後10年の研究計画

 本 文 

研究履歴と今後10年の研究計画

東アジア第二研究部門 大木 康

【研究履歴】

  本来、教授昇進後の研究に限って述べるべきであろうが、それ以前からの流れがあるので、この機会に、出発点に立ち戻って振り返ってみることにしたい。
  これまで何をやってきたか。大まかな言い方をすれば、文学を中心とする中国明清時代の社会・文化史、より具体的にいえば、中国明清時代における通俗文藝と知識人の問題とでもいうことになろうか。「通俗文藝」が先に来るか、「知識人」が先に来るかは、その時々の興味の持ち方によって変化している。

  そして、上記のテーマについて、駒場の時代に馮夢龍「三言」と出会って以来、1981年に提出した学部の卒業論文「馮夢龍研究序説」、1983年の修士論文「馮夢龍とその『三言』についての研究」、また1998年の博士論文「馮夢龍『山歌』の研究」と、一貫して短篇白話小説集「三言」の編者として知られる馮夢龍(1574~1646)という蘇州の文人を中心に検討してきたことになる。学部卒業論文の「はじめに」には、

  馮夢龍の業績は、小説のみにとどまるものでなく、経学・戯曲等、きわめて広範囲にわたっている。小論の目的は、この広範囲にわたる彼の業績を、彼を取り巻く歴史、及び彼の生涯のすべての営為という座標軸の上に位置づけんとするにある。そして、それは私のより大きな関心―明代精神史への、一つの布石となるものである。

  と記してある。これは、馮夢龍といえば、「通俗文学の旗手」であるとして、もっぱら小説、戯曲、歌謡など通俗文学の面ばかりが強調されていた先行研究への不満であり、いわばその「全体像」を求めようとする試みであった。

  かくして、馮夢龍という人物を私の中国文学研究、明清研究の中核に据えてきたわけであるが、馮夢龍を研究することには、もちろんその人物、作品そのものが魅力的であるということ以外に、大きく言って二つのメリットがあると考えた。一つは、馮夢龍の活動がきわめて広範囲にわたっており、馮夢龍を出発点として、明末のさまざまな事象をうかがうことができる点、例えば、馮夢龍は多くの書物の編集出版に関与していたが、そこから明末当時の出版状況全体を考える必要が生じるといったことである。二つ目は、中国文学史全体を見渡した時、明末文学の特徴の一つは、この時代に『三国志演義』『水滸伝』『金瓶梅』あるいは「三言」「二拍」などの白話小説、通俗小説が、大量に世に出たことであろう。こうした文学現象がどうして起こったのか。この問題を考えるためには、さまざまな糸口があるが、その背景の一つとして、当時の知識人が、それまで蔑視されてきた通俗文学に積極的に関わりはじめたことが挙げられる。当時の白話小説の述作にはどのような知識人が関与していたのかが知りたいわけであるが、残念ながら、小説に関わった知識人については、ほとんど資料がないのが実情であった(例えば、『金瓶梅』の作者、蘭陵笑笑生という人物については、結局のところ、そのペンネームしか知られていない)。そうした中で、馮夢龍は、通俗文藝に関わった知識人のなかで、その生涯を比較的詳しく知りうる文人なのである。馮夢龍を研究することは、なぜ明末の時代に通俗文学作品が数多くあらわれたかを知るための重要な手がかりとなるであろう。そのような理由から、私は、馮夢龍という人物を、明清研究の「基地」、「根拠地」として研究を進めてきたのであった。そして、大まかにいって、

(A)通俗文藝の社会的背景
(B)馮夢龍・小説
(C)小説・小説史・藝能・文学史一般
(D)馮夢龍・山歌俗曲
(E)科挙
(F)出版
(G)妓女
(H)冒襄
(I)文人
(J)その他
(K)翻訳

といったテーマについて著書・論文を書いてきた。以下にその概要を記す。

  私の明清小説研究は、その担い手をさぐるところからはじまっている。従来、文言で記される伝統的な詩文に対して、白話(口語、俗語)で記される白話小説は、とりわけ人民文学史観の盛んであった時代にあって、人民的、民衆的なものと考えられてきた。もともと寄席の講談から発展した白話小説は、その内容については、たしかに民衆的ということが可能である。だが、少なくとも明末に完成した長篇作品の成立には、知識人が関与していた。この知識人の関与という点が、小説研究における私の立ち位置である。この系列の仕事では、知識人の関与の仕方をも含めて、当時において通俗小説、藝能などが行われた社会的な構造を、社会層、都市・農村などを軸として追究した。(A)

  知識人の通俗文藝に対する積極的関与というところから二つの問題が生まれる。すなわち、(1)当時の知識人はなぜ民衆的な作品を取り上げたのか。(2)知識人の関与によって、白話小説にどのような変化が生ずることになったのか、という問題である。
  (1)の問題は、民間歌謡集『山歌』の研究へとつながっていく問題であるが、短篇白話小説集「三言」についていえば、馮夢龍「三言」諸篇に一貫しているのは、登場人物の行動が「真情」から出ているという点であり、この点が、明代の文学者にかねてよりあった「真詩は民間に在り」という見方とつながっていることを明らかにした。(2)については、「三言」序に見られる民衆教化の思想、また作品に見られる勧善懲悪的な物語は、明末という社会秩序の変動期にあって、社会の上層部に位置する士人としての危機意識のあらわれという見方を提示した。
  論文「『古今小説』巻一「蒋興哥重会珍珠衫」について」においては、具体的な一篇の作品を題材に、上記二つの方向をうかがうことができることを示した。(B)

  上記のような見方をもとに、中国小説史、藝能史、また明清文学史について記した論考が(C)の系列である。

  私の馮夢龍研究の一つの中核をなすのが、学位論文でもある『山歌』研究である。『山歌』は、蘇州の方言で記された民間歌謡集であり、内容もまたほとんどすべてが赤裸々な愛情歌謡であって、俗の俗なるものである。馮夢龍はなぜこのような歌謡集を編纂したのか。この問題は、明代通俗文藝の隆盛の根本問題に触れるテーマである。『馮夢龍『山歌』の研究:中国明代の通俗歌謡』では、400首近くにのぼる山歌の訳注を作成した。文言でもなく、白話でもなく、蘇州方言で書かれた『山歌』の読解には、少なからぬ年月と工夫を要した。論考篇では、400首の山歌を、農村の歌、都市の歌、妓楼の歌、文人の擬作などその歌われた場によって整理を加え、馮夢龍が、「仮」なる伝統詩文と対立する「真」なる山歌を集めたという意図をえぐり出した。それは明末通俗文藝全体の発展の動機ともなりうるものであった。『山歌』については、その英語版も出た。(D)
  1970年1月の日付を持つ、『宋代詞集』(平凡社中国古典文学大系20)「あとがき」で、編者の倉石武四郎先生は、次のように書いておられた。

  最後の民歌は、まだ学界でもその研究がすすんでいないため、一時は放棄するほかはないとまで考えましたが、「近代歌謡集」などと歌ったてまえ、いまさらひっこみもつかず、さいわい鄭振鐸先生の『中国俗文学史』に「明代的民歌」という章があって、おもしろい歌があげてありますので、その中の短くてわかりやすいのを若干須田先生に訳していただき、わたくしがある程度、筆を入れました。実は、鄭先生がその短い歌のあとに、主として馮夢竜の『山歌』から採られた蘇州語の長篇民歌がならんでおり、とてもおもしろそうなので、できたら、その中から、たとい一首なりと訳しておきたいとおもい、その方面の手くばりもしてみたのですが、今のところ、まだそれを訳しおおせる自信がなく、ついにあきらめました。

  この『山歌』を全部訳したというわけである。

  馮夢龍から出発したテーマ研究に、科挙の研究、出版文化の研究、妓女の研究などがある。馮夢龍は、歴とした知識人ではあるが、その父の名も知られず、幼年時代についての資料は必ずしも豊富ではない。その欠を埋めようとしてはじめたのが科挙研究である。馮夢龍も、当時の少年青年の常として、科挙を目指して勉強していたからである。ここから、「明清時代の科挙と文学−八股文をめぐって」の論文が生まれ、また科挙制度の初期にあって、大きな位置を占めた中唐の韓愈を軸として、膨大な落第生を生み出す科挙の制度にあって、落第生を物理的精神的にどのような支えがあって、この制度が維持されたのかを論じた『不平の中国文学史』が生まれた。この系列については、『原文で楽しむ 中国明清文人の小品世界』の中の諸篇、また昨年大東文化大学で行った講演、またアメリカでの学会での発表論文(未発表)などになっている。(E)

  馮夢龍は、数多くの書物を編纂出版し、当時の出版業の申し子ともいえる存在であった。中国において、印刷術は、唐代にはじまり、宋代には普及したが、とりわけ数量の点において、明末は一つの画期であった。白話小説の誕生も、当時の出版の隆盛が背景になければありえない事象であった。この明末江南の出版について明らかにしたのが、1991年の「明末江南における出版文化の研究」であり、その後もこの系列の著書、論文は多数ある。統計を取ったわけではないが、被引用件数が最も多いのが、この系列の論文であろうと思う。二つの著書の韓国語版が刊行され、現在中国語版の翻訳が進行中である。海外の学会などで、コメンテーターとしての参加を求められるのも、概してこの系列の研究についてである。(F)

  馮夢龍の小説には妓女が主人公となるものがあり、また本人自身南京や蘇州の色町に出入りし、南京秦淮の妓女番付である『金陵百媚』を編纂している。明末の南京を中心とする妓楼の文化もまた、明末清初を考える時の重要な要素の一つである。かくして、南京の色町秦淮についてまとめたのが、『中国遊里空間−明清秦淮妓女の世界』であり、これについては、中国語版も刊行されている。出版文化研究とともに、海外での引用が多いのがこの系列である。(G)

  妓女研究にあたって、明末清初の妓女の生活の状況を知るために読み始めたのが、冒襄の『影梅庵憶語』であった。これは、もと南京秦淮の妓女であり、後に冒襄の妾となった董小宛が若死にした後、冒襄がその思い出を縷々綴った回想録であり、当時の妓女の生活を知る恰好の資料である。やがて、『影梅庵憶語』、そしてそれを書いた冒襄という人物そのものにがぜん関心がわきおこった。馮夢龍はたしかに通俗文藝に関わった人物としては、資料が比較的多く残っているのだが、残念ながらその詩文集が失われてしまった。当時の文人の生活をうかがうには、詩文集はきわめて重要な資料だからである。ところが冒襄には、詩文集のほか、生涯にわたってその師友とやりとりした詩文を集めた『同人集』があり、その作詩作文の状況を手に取るようにうかがうことができる。かくして、冒襄をめぐる論文と著書『冒襄と『影梅庵憶語』の研究』が生まれた。冒襄については、きわめて豊富な材料があり、テーマはいくらでも発見される。本が出た後も、二篇の論文ができ、それら二篇も含んで、中国語版『冒襄与影梅庵憶語』が刊行された。(H)

  これまでの研究は、通俗文藝と知識人ということであったが、最近どちらかといえば、通俗文藝より知識人の方向に走っているのであるが、いわゆる文人についての系列が(I)である。『原文で楽しむ 中国明清文人の小品世界』という本は、明清の文人が書いた文章を取り上げ、その訳注と解説を加えたものであるが、実は私自身、このような仕事が好きで、これまで出た本の中でも好きなものの一つである。明清の文人ということでいえば、こういった材料には事欠かない。
  最後に(J)と(K)。書物誕生の『『史記』と『漢書』 中国文化のバロメーター』は、古典学の再構築という大型の科研費に加わっていたその結果である。刊行されるやすぐに韓国語版が出た。


【今後10年の研究計画】

  これからも、以上の各系列の研究を続けていかなければならないと思っている。具体的には、まずはこれまで馮夢龍について、講談社メチエの単行本はあるが、『山歌』研究が単行本になったばかりで、本としてはまとめていない。これまで馮夢龍について書いたものがたまってきたので、『馮夢龍研究』という書名での本をまとめたいと考え、その作業をはじめている。
  その他、(I)の文人研究の系列では、明清文人の随筆(筆記)に強い興味を抱いている。なかでも周亮工『書影』、猪人穫『堅瓠集』などを読み込んでおり、文人たちの幅広い知識と関心の世界を追う作業を続けている。
  また、これからやらなければならないと思っているのは、中国文学という外国文学を勉強している日本人として、中国の文学作品を日本語に移しかえ紹介することである。少なくとも馮夢龍「三言」の選訳はしたいと思っている。

 


業績評価

 本 文 

大木康教授の業績評価

評価委員会は、2013年12月12 日に開催した自己点検・評価セミナーでの大木教授の報告を受けて、教授昇進(2003年4月)後の主要活動を検討した結果、大木教授が研究、教育、所内・学内における各種活動の各分野において東洋文化研究所の教授としてふさわしい業績を挙げており、今後も十分な活躍が期待できることを確認した。以下にその概要を記す。

1.研究活動の評価
  教授昇進後の約10年間に、著書(翻訳、被翻訳を含む)14点(うち中国語2点、英語1点、韓国語2点)、論文31点(うち中国語11点、英語2点、韓国語1点)という数多くの研究業績を公刊している。とくに主要な研究課題である中国明清時代における通俗文藝と知識人の問題に関して、『馮夢龍『山歌』の研究:中国明代の通俗歌謡』(2003年)に続き、『冒襄と『影梅庵憶語』の研究』(2010年)を公刊したほか、文学史や出版文化史、妓女研究など多彩なテーマについて次々に成果を発表し、外国語にも相当数翻訳されているのも高く評価に値する。口頭での研究発表も国内30回、海外68回(うち招待36回)を数え、また台湾中央研究院中国文哲研究所訪問学人(2004年)・台湾国立中央大学中文系客員教授(2006年)・香港嶺南大学中文系客員教授(2011年)など在外研究や研究成果の対外発信に積極的に努めてきた。学会活動としては、国内で日本中国学会(評議員)・東方学会(学術委員)・中国社会文化学会(理事長)などで指導的役割を果たすほか、海外でも台湾国立清華大学中国文学系『清華中文学報』編輯顧問・台湾国立中正大学中国文学系『中正漢学研究』編審諮詢顧問・香港城市大学中文及歴史学系諮詢委員を務めている。なお教授昇進後の外部資金獲得額は、科研費基盤研究(A)「アジア古籍電子図書館の構築の研究」(2004~07年度)4758万円など総額8073万円(2015年度までの予定額を含む)に達している。

2.教育活動の評価
  大木教授は、大学院・人文社会系研究科(中国語中国文学特殊研究)で大学院生の指導に当たるほか、文学部(中国語学中国文学特殊講義)でも講義科目を担当している。教授昇進後、指導を受けた大学院生は、修士課程17名、博士課程15名であり、博士学位取得者は7名である。また研究所の訪問研究員受け入れも24名を数えるなど、学内の教育および海外からの若手研究者の指導に積極的な努力を払ってきた。

3.所内、学内各種委員会などにおける活動
  大木教授は、教授就任後、所内・学内の活動においても、大きな功績を挙げている。学内活動では、2003年度に総長補佐、2005年度に広報委員長、2009年度に図書行政商議会委員を務めた。また所内では2009・2010年度の2年間にわたって副所長として研究所運営に貢献をした。2012年度からは所長として研究所の発展に尽力している。

以上


<参考資料:大木康教授の主要研究業績>*太字は著書

(A)通俗文藝の社会的背景

「明末における白話小説の作者と読者について-磯部彰氏の所説に寄せて-」『明代史研究』 第12号 明代史研究会 (1984)、1-15(吴悦摘译“关于明末白话小说的作者和读者”,《明清小说研究》1988年第5期,199-211)
「芸能史からみた中国都市と農村の交流-一つの試論-」 『東洋文化』 第69号 東京大学東洋文化研究所 (1989)、215-237
「中国小説史の一構想―陳平原氏の『中国小説叙事模式的転変』に寄せて―」 『竹田晃先生退官記念 東アジア文化論叢』 汲古書院 (1991)、439-451
「俗文学からみた中国の都市と農村・中央と地方」 『現代中国』 第66号 現代中国学会 (1992)、20-28(「從俗文學看明清的城市與鄉村、中央與地方」 『成大歷史學報』 第36号 (2009)、1-16. (中国語))
「庶民文化」 森正夫 野口鐵郎 濱島敦俊 岸本美緒 佐竹靖彦 編 『中国史学の基本問題4 明清時代の基本問題』 汲古書院、1997、557-580
「通俗文芸と知識人−中国文学の表と裏」 神奈川大学中国語学科創設十周年記念論集; 新シノロジー・文学篇 『中国通俗文芸への視座』 東方書店、1998、27-51
「晩明俗文学興盛的精神背景」 『世変与維新』 中央研究院中国文哲研究所、2001、103-125. (中国語)
「馮夢龍の文藝活動と明末蘇州の都市・農村」 『中国近世文芸論 農村祭祀から都市芸能へ』 東洋文庫、2009、213-243

(B)馮夢龍・小説

「馮夢龍「三言」の編纂意図−特に勧善懲悪の意義をめぐって」 『東方学』 第69号 東方学会 (1985)、105-118
「馮夢龍「三言」の編纂意図について(続)―“真情”より見た一側面―」 『伊藤漱平教授退官記念中国学論集』 汲古書院 (1986)、627-647
「『古今小説』巻一「蒋興哥重会珍珠衫」について」 『和田博徳教授古稀記念 明清時代の法と社会』 汲古書院、1993、685-709
『明末のはぐれ知識人−馮夢龍と蘇州文化』 講談社、1995
「情欲與教化—以《古今小説》卷一為材料」 王璦玲 編 『明清文學與思想中之主體意識與社會』 中央研究院中国文哲研究所、2004、185-212. (中国語)
「馮夢龍「三言」から上田秋成『雨月物語』へ 語り物と読み物をめぐって」 『文学』 第10巻 第1号 (2009)、150-162

(C)小説・小説史・藝能・文学史

「中国民間の語りもの『紅娘子』について」 『伝承文学研究』 第35号 (1989)、57-69
「安順地戯調査報告」 田仲一成 編 『東亞農村祭祀戯劇比較研究』 東京大學東洋文化研究所、1992、39-65. (中国語)
大木康 藤井省三 『新しい中国文学史』 ミネルヴァ書房、1997
「厳嵩父子とその周辺−王世貞、『金瓶梅』その他−」 『東洋史研究』 第55巻 第4号 政経書院 (1997)、41-67
「戦う美少女 ニエ・シァオチエン」 『シアター・オリンピックス手帖 別冊 劇場文化』 財団法人 静岡県舞台芸術センター (1999)、228-237
「明清の恋愛―宮女や貴族女性の場合―」 『紫禁城の女性たち』 西日本新聞社、1999、69-72
「5 中国儺戯と日本芸能 日中比較演劇の方法をめぐって」 松岡心平 編 『鬼と芸能』 森話社、2000、169-192
『中国近世小説への招待: 才子と佳人と豪傑と』 NHKライブラリー 第134巻 NHK出版、2001
『中国明清時代の文学』 放送大学教材 67599-1-0111 放送大学教育振興会、2001
「明清文学における道教・神仙思想に関する覚え書き」 『筑波中国文化論叢』 第23号 筑波大学中国文学研究室 (2004)、55-85
『笑林 笑賛 笑府他 歴代笑話』 中国古典小説選 第12巻 明治書院、2008
『明清文学の人々 職業別文学誌』 中国学藝叢書 創文社、2008
「厳嵩・王世貞・『金瓶梅』」 『中正大学中文学術年刊』 2009年第2期(総第14期) (2009)、1-16. (中国語)
「中国演劇における鍾馗-古典から現代まで-」 『観世』 平成23年5月号 (2011)、28-34

(D)馮夢龍・山歌俗曲

「馮夢龍『山歌』の研究」 『東洋文化研究所紀要』 第105巻 (1988)、57-241
「俗曲集『掛枝児』について―馮夢龍『山歌』の研究・補説」 『東洋文化研究所紀要』 第107冊 東京大学東洋文化研究所 (1988)、89-118
「馮夢龍「叙山歌」考―詩経学と民間歌謡―」 『東洋文化』 第71号 東京大学東洋文化研究所 (1990)、121-145
「江南歌謡与日本」 王勇 編 『中国江南:尋繹日本文化的源流』 当代中国出版社、1996. (中国語)
「Women in Feng Menglong's Mountain Songs」 E. Widmer Kang-i Sun Chang 編 『Writing Women in Late Imperial China』 Stanford University Press、1997. (英語)
『馮夢龍『山歌』の研究: 中国明代の通俗歌謡』 勁草書房、2003
「談談俗曲〈西江月〉」 何永康 陳書錄 編 『首屆明代文學國際研討會論文集』 南京師範大學出版社、2004. (中国語)
「中国明清の歌謡」 『國學院雑誌』 第110巻 第11号 (2009)、408-420
OKI, Yasushi and Paolo Santangelo. Shan'ge, the 'Mountain Songs'. Leiden, Boston: Brill, 2011

(E)科挙

「明清時代の科挙と文学−八股文をめぐって」 『中国−社会と文化』 第7号 東大中国学会 (1992)、83-96
『不平の中国文学史』 筑摩書房、1997
「明清の科挙と八股文をめぐって 鶴成久章氏の報告に寄せて」 『中国 社会と文化』 第22号 (2007)、79-84

(F)出版

「山人陳継儒とその出版活動」 明代史研究会 明代史論叢編集委員会 編 『明代史論叢: 山根幸夫教授退休記念』 汲古書院、1990、1233-1252
『明末江南における出版文化の研究』 『広島大学文学部紀要』 第50巻 第1号 広島大学文学部 (1991)、176頁
「『儒林外史』における都市知識人の生活と出版」 『東洋文化』 第72号 東京大学東洋文化研究所 (1992)、37-59
「陳継儒与馮夢龍−明末出版文化史小考」 『中国学報』 第35号 (1995). (中国語)
「中国:明末の出版事情」 『江戸文学』 第18号 ぺりかん社 (1997)、160-165
「明清両代における鈔本」 『明代史研究会創立三十五年記念論集』 汲古書院、2003、537-557
『明末江南の出版文化』 研文選書 第92巻 研文出版、2004
「抄本在明清兩代」 東華大學中文系 編 『文學研究的新進路−傳播與接受』 洪葉文化事業有限公司、2004、465-480. (中国語)
「江戸と明の小説と図像をめぐって」 『東洋文化』 第85号 東京大学東洋文化研究所 (2005)、79-100
「明清における書籍の流通の問題」 『中国古籍文化研究』 第5号 中国古籍文化研究所 (2007)、31-37
「《儒林外史》中的出版與士人」 徐志平 編 『傳播與交融 中國小說戲曲國際學術研討會論文集』 里仁出版社、2006、27-49. (中国語)
『明末江南の出版文化』盧京姫 訳 ソミョン出版、2007. (韓国語)
『中国明末のメディア革命』 世界史の鏡 刀水書房、2009
"Foundations of Literacy in Premodern China: A New Study of Book Culture in the Qing and Republican Periods."International Journal of Asian Studies 6, no. 1 (2009): 103-111
「作者の肖像——東アジア図書史の一断面(韓国語)」 『大東文化研究』 第68号 (2009)、113-138. (韓国語)
「明末“画本”的興盛与市場」 『浙江大学学報 人文社会科学版』 第40巻 2010年第1期 (2010)、45-53. (中国語)
『중국명말의미디어혁명 -서민이책을읽다-(中国明末のメディア革命 -庶民が本を読む-)』 高仁徳 訳 延世大学校 大学出版文化院、2013. (韓国語)

(G)妓女

「馮夢龍と妓女」 『広島大学文学部紀要』 第48巻 広島大学文学部 (1989)、71-91
『中国遊里空間−明清秦淮妓女の世界』 青土社、2001
「清代女流詩人と柳如是-澄懐堂美術館蔵『顧媚画柳如是書合璧冊』に寄せて」 『澄懐』 第3号 澄懐堂美術館 (2002)、7-18
「日本文學中的南京秦淮」 章陪恆 梅新林 編 『中國文學古今演變研究論集』 上海古籍出版社、2002. (中国語)
「中国明末の妓女と文学」 『江戸文学』 第33巻 (2005)、114-118
「清代女詩人與柳如是 ―介紹日本澄懐堂美術館蔵《顧媚畫柳如是書合璧冊》」 鄭毓瑜 編 『中國文學研究的新趨向:自然、審美與比較研究』 國立臺灣大學出版中心、2005、29-46. (中国語)
『風月秦淮 中国遊里空間』 辛如意 訳 聯経出版事業公司、2007. (中国語)
「馮夢龍『山歌』と妓女 (万葉古代学研究所第3回主宰共同研究報告)」 『万葉古代学研究所年報』 第9号 奈良県万葉文化振興財団万葉古代学研究所 (2011)、79-86

(H)冒襄

「冒襄『影梅庵憶語』訳注(一)」 『東洋文化研究所紀要』 第136号 日光書院 (1998)、49-88
「冒襄『影梅庵憶語』訳注(三)」 『東洋文化研究所紀要』 第138号 日光書院 (1999)、67-108
「冒襄『影梅庵憶語』訳注(二)」 『東洋文化研究所紀要』 第137号 日光書院 (1999)、79-109
「黄牡丹詩会-明末清初江南文人点描」 『東方学』 第99号 東方学会 (2000)、33-46
「宣炉因縁−方拱乾と冒襄−」 『日本中国学会報』 第55巻 日本中国学会 (2003)、166-180
「Mao Xiang and Yu Huai: Early Qing Romanting yimin」 Wilt L.Idema Wai-yee Li E. Widmer 編 Harvard East Asian monographs 第250巻 『Trauma and Transcendence in Early Qing Literature』 Harvard University Asia Center、2006. (英語)
「順治十四年的南京秦淮−明朝的恢復与記憶」 『南華文学学報 文学新鑰』 第10期 (2009)、1-26. (中国語)
『冒襄と『影梅庵憶語』の研究』 東京大学東洋文化研究所報告 汲古書院、2010
「冒襄における杜詩」 『東洋文化研究所紀要』 第158冊 (2010)、1-34
「彭剣南の戯曲『影梅庵』『香畹楼』とその時代」 『東洋文化研究所紀要』 第161冊 東京大学東洋文化研究所 (2012)、1-85
「關於彭劍南的戲曲《影梅庵》與《香畹樓》」 王次澄‧齊茂吉主編『融通與新變 世變下的中國知識分子與文化』華藝學術出版,2013,387-414(中国語)
『冒襄与影梅庵憶語』 里仁書局、2013

(I)文人

「宝の山を前にして−筆記小説を読む贅沢」 松浦寿輝 編 『文学のすすめ』 筑摩書房、1996
「進士及第まで―あるエリートの場合― (特集 科挙官僚(エリート)への道・その栄光と挫折)」 『月刊しにか』 第10巻 第10号 大修館書店 (1999)、24-31
「蔣士銓筆下的湯顯祖與江南文人──讀《臨川夢》」 華瑋 編 『湯顯祖與牡丹亭』 中央研究院中国文哲研究所、2005. (中国語)
「中国明清文人たちの楽園 江南の園林をめぐって」 『アジア遊学 楽園-東と西』 第82巻 (2005)
『原文で楽しむ 中国明清文人の小品世界』 あじあ楽学選書 第1巻 中国書店、2006

(J)その他

「中国古典散歩(1)人気者の太公望」 『文人の眼』 第1号 里文出版 (2002)、99-101
「中国古典散歩(2)苦労人孔子」 『文人の眼』 第2号 里文出版 (2002)、99-101
「中国古典散歩(3)芳蘭の気節--屈原」 『文人の眼』 第3号 里文出版 (2002)、99-101
「中国古典散歩(4)始皇帝・項羽・劉邦」 『文人の眼』 第4号 里文出版 (2002)、99-101
「中国古典散歩(5)漢王朝の光と影」 『文人の眼』 第5号 里文出版 (2002)、101-103
「中国古典散歩(6)『三国志』の女性読者」 『文人の眼』 第6号 里文出版 (2002)、99-101
「中国古典散歩(7)文人たちの夢--陶淵明」 『文人の眼』 第7・8号 里文出版 (2003)、67-69
『『史記』と『漢書』 中国文化のバロメーター』 書物誕生 岩波書店、2008
『史記と漢書』 書物誕生 天地人、2010. (韓国語)
『現代語訳 史記』 ちくま新書 筑摩書房、2011.

(K)翻訳

彭見明 『山の郵便配達』 大木康 訳 集英社、2001
彭見明 『山の郵便配達』 大木康 訳 集英社文庫 集英社、2007