書籍紹介

菅豊 著『鷹将軍と鶴の味噌汁――江戸の鳥の美食学』(講談社選書メチエ)

著者による紹介

 ほんの少し前まで、日本列島に住まう人びとは「鳥食の民」であった。
 こう表現すると、多くの日本人は驚くことでしょう。そして、いや「魚食の民」だ、とすぐさま反論されることでしょう。確かに、日本では魚を食べる文化が発展してきました。世界的にもその名が轟いている鮨や刺身を例に挙げるまでもなく、日本の料理「和食」食材のなかで魚が占める地位は、ほかの動物たちに比べてとても高いことは間違いありません。
  それではなぜ、日本の食文化を理解する上で欠かすことができない魚ではなく、鳥を食べる文化、とりわけ野鳥をめぐる食文化を本書の主題とするのでしょうか。それは野鳥が、食のみならず政治や経済、社会、儀礼などをめぐって、魚やほかの動物たちには見られないような、複雑で高度な文化の複合体を日本で形作っていたからです。実は野鳥は、日本文化そのものを理解する上で、欠かすことができない重要な動物だったのです。
 かつて上流階級において、野鳥たちは単なる食材ではなく権威を示す威信財であり、それを用いて階級社会の身分秩序を確認し、その結び付きを強めていたため、権力者たちは、野鳥を自ら狩るとともに、その獲物を積極的に食べ、そして人びとに分け与えていました。また、庶民たちも上流階級に負けず劣らず、野鳥を貪欲に食していました。
 本書では、いまでは不思議なくらいにすっかり忘れ去られてしまった日本の野鳥の食文化が、いまでは想像もできないくらいに大きな発展を遂げていた様相を、多彩な野鳥料理が食べられ、その味が庶民にまで届いた鳥食文化の爛熟期である江戸時代の「江戸」を中心に考察しました。さらに、私たちの先祖がかつて愛した野鳥の味を、いま私たちが忘却するに至った歴史、すなわち日本における野鳥をめぐる食文化の隆盛と衰退の歴史―鳥食の日本史―を辿りながら、野鳥をめぐる食文化の全体像を明らかにしました。
 料理をめぐる歴史や政治、社会や経済、そして文化の多局面を考究し、その全体像を考える総合的な学知を「美食学(ガストロノミー)」といいますが、本書はまさに日本の野鳥をめぐる「美食学(ガストロノミー)」を追究したものです。
 それは、一見して料理史の本なのですが、本当は、かつて隆盛した野鳥食が衰退した歴史から、近代日本の環境破壊や資源管理の不備をとらえ、今後の教訓を得ようとするものであります。野鳥食は生態系サービスのひとつであり、その衰退は、まさに生物多様性が揺るがされていることの証しです。この食文化が失われた悲劇シナリオを繰り返してはなりません。このあたりの意図が、この「美食学(ガストロノミー)」から多くの方々に伝わればと念願しております。

目次

序章 鳥の味にとりつかれた美食家たち
第一章 鳥料理の源流――京料理から江戸の料理へ
1 日本人はいつから鳥を食べていたのか?
第二章 江戸時代の鳥料理と庖丁人――鶴の味噌汁、白鳥のゆで鳥、鷺の串焼き
1 江戸の町から出てきた大量の鳥の骨
2 『料理物語』のレシピ
3 庖丁人――一流シェフの伝統と技術
第三章 大衆化する江戸の鳥料理――富商、貧乏武士、町人の味覚
1 鶏鍋、雁鍋、鴨鍋――中級・下級武士の食卓
2 料亭・名店の味――富裕層、文人墨客の贅沢
3 鴨南蛮と雀焼――庶民の素朴なファストフード
第四章 闇の鳥商売と取り締まり――せめぎあう幕府と密売人
1 「生類憐れみの令」による危機
2 アウトローたちの鳥商売の手口
3 鳥商売と大岡裁き
第五章 侠客の鳥商人 ――東国屋伊兵衛の武勇伝
1 日本橋・水鳥市場の男伊達
2 幕臣と侠客との親密な関係
第六章 将軍様の贈り物――王権の威光を支える鳥たち
1 鷹狩と贈答による秩序維持
2 「美物」の使い回し――中世の主従関係
3 「饗応料理」の鳥の意味
第七章 江戸に鳥を送る村――ある野鳥供給地の盛衰
1 手賀沼の水鳥猟
2 西洋的狩猟の浸食
3 カモが米に負けた
終章 野鳥の味を忘れた日本人

情報

菅豊
『鷹将軍と鶴の味噌汁――江戸の鳥の美食学』
講談社選書メチエ, 288ページ 2021年8月 ISBN: 978-4-06-524587-3

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