本書では、風紀を、ある社会においてなされるべきと期待される「当為の法則」の「総体」として定義しました。それは、法律や規律など文章化されたルールと、マナーや常識など書かれていない暗黙のルールの両方から成っています。
風紀を描き出すことは容易ではありません。文章化されたルールについていえば、その内容を的確に理解し表現するためには、それが生じた経緯や、ルールとして社会の中で機能している(機能していない)状況、さらにはルール上の変更を含めた文脈を把握しておく必要があるでしょう。暗黙のルールのうち、「マナー」や「常識」といわれるものは、どの範囲で通用するものなのかを常に問わなければなりません。そして最近、よく耳にするのが「空気」という表現です。これを論理の積み重ねによって説明することはほとんど不可能です。見えないもの、語り得ないものだからこそ「空気」と呼ばれるとさえ言われています。
このようなさまざまなルールからなる「風紀」と、〈聖なる規範〉と呼び変えうる「宗教」との関りに注目したのが本書です。各執筆者は、エジプトやイラン、ウズベキスタン、中国、フランス、ドイツ、サウジアラビア、アメリカ、日本、そして「イスラーム国」と呼ばれる異なる社会において、どのようなルールが、いかにしてつくられ、守られ、そして破られてきたのかを生き生きと描き出しています。
序 章 なぜ、いま宗教と風紀か(高尾賢一郎) |
第Ⅰ部 風紀の形成 |
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第一章 「イスラームのルール」はどうつくられるのか――ムスリム女性の装いをめぐる事例から(後藤絵美) |
第二章 「よいスカーフ」と「悪いスカーフ」の攻防とその境界――現代ウズベキスタンのヴェール論争(帯谷知可) |
第三章 アルコール排斥の多義性と風紀の形成――現代中国における回族の実践と国家による宗教管理(奈良雅史) |
第四章 伝統主義の撤退戦――近代ドイツのユダヤ教正統派による性道徳矯正の試み(丸山空大) |
【コラム1】 ブルキニ・ライシテ・イスラーム――フランスの公共空間における規範形成(山本繭子) |
【コラム2】 宗教と学校――日本の宗教系学校と宗教科を例に(シュルーター智子) |
【コラム3】 現代カイロのロマンチックラブ――恋愛、性、結婚の三位一体(鳥山純子) |
第Ⅱ部 風紀の維持 |
第五章 サウジアラビアにおける宗教警察の役割と変容――宗教による統治は何と対立するのか(高尾賢一郎) |
第六章 現代イランの学校教育における宗教実践――イラン革命後の変化と現在(森田豊子) |
第七章 暴力の組織化と風紀の維持――移民・難民・排外主義を事例として(上原 潔) |
第八章 パワースポット・ブームと風紀――誰が神社を語るのか(岡本亮輔) |
【コラム4】 日本の墓制と法規制(問芝志保) |
【コラム5】 竹富島のホテル開発と御嶽の保全(麻生美希) |
【コラム6】 法規範のやわらかな形成――近代エジプトのワクフ法制化から(竹村和朗) |
第Ⅲ部 風紀の紊乱 |
第九章 旧ソ連・ウズベキスタンにおける「婚外の性」とイスラーム――男が語るモラル(和㟢聖日) |
第一〇章 経堂教育と新式教育―― 二〇世紀初頭の北京ムスリムの教育改革をめぐる議論と実践(海野典子) |
第一一章 二〇世紀初頭ドイツの裸体文化とキリスト教――裸体は罪か?(小柳敦史) |
第一二章 飲酒、性交、殺人の仏教――近代日本の戒律論(碧海寿広) |
【コラム7】 社会のニーズに応じて様々に活用されるイランの一時婚制度(谷 憲一) |
【コラム8】 性と聖――宗教的意味づけのもとでの表裏一体(中西尋子) |
【コラム9】 ムスリムが賭け事にのめり込むこと(西川 慧) |
第Ⅳ部 風紀の再生 |
第一三章 「イスラーム国」の下での理想的生活(髙岡 豊) |
第一四章 サウジアラビアの社会変革とジェンダー秩序――国家と宗教、SNS公共圏(辻上奈美江) |
第一五章 現代アメリカにおけるユダヤ教の境界線――女性ラビをめぐって(石黑安里) |
【コラム10】 ムサル運動――東欧ユダヤ教における倫理復興運動(青木良華) |
【コラム11】 アメリカの禁酒運動とキリスト教(飯田陽子) |
【コラム12】 教皇フランシスコと性的マイノリティ(朝香知己) |
終 章 「宗教と風紀」の「と」が意味すること(後藤絵美 小柳敦史) |
高尾賢一郎,後藤絵美, 小柳敦史 編
『宗教と風紀——〈聖なる規範〉から読み解く現代』
岩波書店, 370ページ 2021年1月 ISBN: 978-4-00-061447-4