【東西哲学界の雄が、全体主義から世界を救い出す!】
全体主義の渦に、再び世界は巻き込まれようとしているのではないか。
日独ともに哲学は、二〇世紀の全体主義に加担してしまったが、では次なる全体主義の台頭をいかに阻止すればよいのか。
その答えを出そうとしているのが、マルクス・ガブリエルだ。
彼の「新実在論」は、全体主義の礎を築いたドイツ哲学を克服するために打ち立てられたものだったのだ。
克服にむけてのヒントは東アジア哲学の中にあるという。
本書は、東西哲学の雄が対話を重ねて生み出した危機の時代のための「精神のワクチン」である。
「上から」の力によって、民主主義が攻撃されているわけではありません。
民主主義を破壊しているのは私たち自身なのです。
市民的服従が、あらたな全体主義の本質です。
――マルクス・ガブリエル
(出版社HPより)
はじめに |
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哲学の使命 中島 隆博 |
哲学でアクチュアルな問題に迫る |
ガブリエルさんのパッション――全体主義への批判 |
全体主義に代わる新しい連帯を |
精神の毒にワクチンを マルクス・ガブリエル |
全民衆の「パン・デミック」 |
二一世紀のイデオロギーの弱点 |
精神の毒にワクチンを |
自死的なグローバル化から抜け出し、新しい啓蒙を |
第一章 全体主義を解剖する |
哲学で全体主義絵お解剖する |
全体主義は公私の境界線を破壊する |
デジタル全体主義とテクノロジーの「超帝国」 |
独裁者なき全体主義 |
市民的服従による全体主義 |
民主主義の破壊者はデジタル・ユーザー |
シリコンバレーを解体するフランス革命を! |
サイバー空間は反民主的である |
アメリカから消えた中流階級 |
アルゴリズム支配と市民宗教 |
デジタル全体主義に対抗する |
規律と主体性という問題 |
第二章 ドイツ哲学と悪 |
悪とは何か |
カントの悪のパラドックス |
偽の普遍性と道徳的悪 |
普遍的な価値はヨーロッパのものか |
第三章 ドイツ哲学は全体主義を乗り越えたのか |
「普遍」という問題 |
ハーバーマスvs.フランクフルト学派 |
禁じられた博士論文 |
ハイデガーの「黒ノート」 |
戦後のハイデガー |
ハイデガーと京都学派 |
第四章 全体主義に対峙する新実在論 |
全体主義の静かな台頭 |
科学主義という新しい神話 |
全体主義はすべてを「一」へと取り込もうとする |
全体性に抵抗する新実在論 |
シェリングのつまずき |
「超限」とは何か |
物理学者との対話 |
仏と一角獣の新実在論 |
ギリシアの美しさがもたらす限界 |
自然法則は捨てねばならない |
宇宙の法則は構築的な神話 |
ガブリエルと自然科学者たち |
哲学は科学である |
スケールフリーの物理学と哲学 |
第五章 東アジア哲学に秘められたヒント |
王弼とシェリング――中国思想のなかの存在論 |
シェリングの「無底」と王弼の「無谷」 |
東洋哲学と物理学 |
無の形而上学 |
否定神学と王弼 |
「-ing」という動態的プロセス |
シェリングで考える偶然性 |
シェリングからデリダへ |
九鬼周造の偶然性 |
ユダヤ=キリスト教の伝統から自由になれるか |
自由意志とは何か |
趙汀陽の「天下」理論 |
東洋と西洋の出会い――概念の大きな循環 |
中心のある普遍性を疑う |
第六章 倫理的消費が資本主義を変える |
資本主義は差異とその消費から成り立っている |
「コトの資本主義」の限界 |
倫理的な消費を促す |
エネルゲイアとしての消費 |
弱い規範と「礼」 |
「人の資本主義」 |
第七章 新しい啓蒙に向かって |
全体主義と普遍 |
複合語の可能性 |
世界哲学と権力関係の中立化 |
「普遍化する」というプロセス |
人間という動物の普遍性 |
倫理を教育する |
ハーバーマスの限界 |
意見の相違が社会の接着剤 |
中立性のプラットフォームを |
グローバルな制度と「新しい啓蒙」 |
大学における官僚主義的な悪 |
「複合」のプロジェクトとしての大学 |
社会的想像と新実存主義 |
市民宗教の新しいモデル |
新しい世代へのメッセージ |
偶然に開かれた存在への変容 |
おわりに |
「一なる全体」に抗するために 中島 隆博 |
ガブリエルさんとの邂逅 |
根底にある全体主義批判 |
「一なる全体」を解きほぐす |
参考文献 |
マルクス・ガブリエル, 中島隆博 著
『全体主義の克服』
集英社新書, 256ページ, 2020年8月, ISBN: 978-4087211320