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東文研セミナー「民族文化映像研究所と姫田忠義の世界—歴史実践のなかのヴィジュアリティ—」のお知らせ

開催情報

日時:2016年12月11日(日)10:00(開場)〜

会場:上智大学四谷キャンパス 4号館573室

コーディネーター、司会・趣旨説明、ディスカッサント:菅豊(東京大学)、北條勝貴(上智大学)
ディスカッサント:姫田蘭(民族文化映像研究所・理事)

スケジュール

10:30〜 「奥会津の木地師」上映会(1976年/55分/民映研自主制作、 福島県南会津郡田島町針生)

11:30〜 解説 小原信之(民族文化映像研究所・代表理事)

13:30〜
 ○菅豊:趣旨説明「民族文化記録映画製作の歴史実践としての意味」
 ○小原信之:「民族文化映像研究所の活動を振り返る。そしていまに繋ぐ」
 ○今井友樹(民族文化映像研究所・理事):「姫田忠義の活動を振り返る。そしていまに繋ぐ」
 ○北條勝貴:コメント「映像制作/経験としての歴史実践」

討論
 ○姫田蘭:ディスカッサント

趣旨

 パブリックな場に開かれた歴史は、それを考え、学び、描く行為を「歴史家(歴史学者)」の独占から解き放ち、もっと多様な主体へと開こうとしてる。またそれは、歴史を考え、学び、描く形式を「文献(文字)」の偏重から解き放ち、もっと多様なメディアへと開こうとしている。そこでは、歴史学者のみならず、アカデミックとは無関係な職業や、立場性をもちながら歴史を描く人びともまた「歴史家」と見なされる。さらに文字的(literal)な媒体のみならず、口頭的(oral)な媒体、映像的(visual)な媒体、物体的(material)媒体も、総じて歴史を伝えるものとして重視される。今回の研究会では、このような「開かれた歴史」観に基づきながら、ヴィジュアルなイメージと映画という言説を通しての歴史の表象、すなわち「歴史映写(Historiophoty)」(White 1988)という歴史実践を検討してみたい。
 これまでの歴史学では、虚構性や脚色性が自明の歴史的な劇映画を読み込むことに果敢に挑戦してきた。しかし民俗学では、まずは逆に事実性や記録性を標榜するドキュメンタリー映画を、逆説的に読み込むことが取り組みやすいであろう。周知の通り、民俗学では1930年代の渋沢敬三、宮本馨太郎らの映像記録に端を発し、その後、産・学・官・民、営利・非営利を問わず多様なアクターが映像制作に参画し、多くの作品を遺してきた。それらの作品はとくに企図しなくとも、社会に存在する他の莫大な一般映像とともに、過去を伝える史料として転生し、後世の人びとによって鑑賞され、解釈され、利用される運命にある。
 1970年代、姫田忠義とその仲間たちは、「日本の基層文化を映像で記録・研究することを目指して出発した民間の研究所」である民族文化映像研究所(通称・民映研)を起ち上げた。そして、その半世紀近い活動で119本もの映画作品を制作した。その活動はアカデミック民俗学と幾許かの縁があったものの、根本ではそこから独立した異質の文化と歴史の表象であった。
 その映像は、撮影された時代から大きくうつろった現代において、まさに史料と化している。ただし、その映像は単なる過去の「事実」を、現在に伝えるだけではない。この映像を見る「いまに生きる人びと」は、数十年前に撮られた映像から、「過去の生活の豊かさ」や「人びとの生きる力」などの現在を対照する価値を感じとっている。そして新しい文脈に過去を位置づけ直しながら、過去へ共感を抱きつつある。その映像は、いまを生きる人びとの見知らぬ過去と、現在、そしてこれからの未来を繋いでいく。
 本研究会では、民映研に関わってきた映像制作者たちを「歴史家」と見なし、またその映像制作活動を「歴史実践」として捉え直してみる。そして民映研に参画した映像制作者=歴史家たちとの対話を通じて、その歴史映写実践の契機や目的、映像的歴史叙述の諸技法、さらに映像の自己・他者、現代社会への影響などについて明らかにし、20世紀に日本で勃興した歴史実践としての民俗記録映像制作の意義について考える。(文責:菅豊)。

主催:パブリック・ヒストリー研究会(科研「パブリック・ヒストリー構築のための歴史実践に関する基礎的研究」(研究代表者:菅豊)グループ)、東京大学東洋文化研究所班研究「東アジアにおける「民俗学」の方法的課題」研究会(主任:菅豊)、現代民俗学会

後援:上智大学研究機構

協力:民族文化映像研究所

担当:菅

 



登録種別:研究会関連
登録日時:Wed Oct 19 18:23:09 2016
登録者 :菅・川野・藤岡
掲載期間:20161019 - 20161211
当日期間:20161211 - 20161211