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東文研セミナー「「科学的なもの」を民俗学する――「荒野」を「沃野」に変えていくために(2018年度現代民俗学会年次大会)」開催のお知らせ

日 時: 2018年5月26日(土)11:30~(11:00開場)

場 所: 東京大学東洋文化研究所 大会議室

スケジュール
(1)個人研究発表 11:30~12:00
11:30~ 第一報告
岡田航(東京大学)
「郊外における民俗行事の方向性の多様化と担い手の論理―八王子市堀之内の道祖神祭りを例として」
(2)会員総会 12:00~12:45
(3)シンポジウム 13:30~17:00「科学的なもの」を民俗学する――「荒野」を「沃野」に変えていくために

発表者/シンポジウム登壇者
飯倉義之(國學院大學)「ニセ科学を民話として読む」
廣田龍平(東洋大学 非常勤講師)「科学の「進歩」と迷信、そして近代性の揺れ動く関係性」

コーディネーター:廣田龍平


シンポジウム趣旨:
 本研究会では「科学的なもの」――自然や物理それ自体を取り扱うと見なされる、西洋近代由来の権威的体系――に着目し、それを取り上げることが民俗学の何を明らかにし、この学問に何をもたらし得るのかを考えてみたい。
 従来、「科学的なもの」が日本民俗学において明確な対象として主題化されたことは、ほとんどなかったのではないだろうか。もちろん、民俗誌的な記述のなかに、種々の科学技術や科学知識などが散見されることは事実である。そうした事例――携帯端末、インターネット、GPS、防災実践など――は現在に近づくほど増えてきている。しかしながら、それらを敢えて「科学」という概念によって剔抉し、人々にとっての意味を民俗学的な立場から分析したものはほとんど見当たらない。加えて、一つのジャンルとして取り上げられたことも少なかった。たとえば『日本民俗学』誌の「研究動向」号が「科学」を特集したことはない。こうした状況は、文化人類学者の近藤祉秋が「科学技術の民俗学」を「この学問的な荒野」と呼んでいることからもうかがえよう(「現代の民俗学」『Lexicon現代人類学』以文社、2018年)。
 近藤はまた、なぜ日本民俗学が「科学的なもの」を取り上げてこなかったのか、についても示唆を与えている。すなわち「ロマン主義的な系譜を有する」民俗学にとって、「科学技術は土着の知識や実践を破壊する悪者であったと言っても過言ではないだろう」(同)。本研究会コーディネーターの廣田龍平もまた、民俗知識研究においては近代的・科学的ではないものが「俗信」としてカテゴリー化され、民俗学がそれらのみを研究するよう自らを方向付けてきたことを指摘したことがある(「俗信、科学知識、そして俗説」『日本民俗学』287、2016年)。だが、こうした「民俗」と「科学」の意識的・無意識的な二項対立化は、人々の生き方の総体を取り上げるべき民俗学にあって、大きな欠落を生じさせるものであった。
 この点は、隣接分野である人類学や社会学、歴史学などにおいて「科学的なもの」を対象としたサブジャンルが一定の影響力を有していることと対比させて考えるならば、なおさら看過することのできない問題と言えよう。たとえばB・ラトゥールの議論にみられるように、現在、「科学的なもの」は近代それ自体を問い直す根底的な契機となっており、それならば民俗や民俗学と近代という問題系もまた、「科学的なもの」を取り上げずに済まされるものではないと推測できるのである。
 以上の現況を踏まえたうえでの本研究会の第一の目的は、日本民俗学が「科学的なもの」を明確な対象としてこなかったことを、それ自体で批判するのではなく、なぜ扱ってこなかったのか、そのような姿勢がどのように民俗学および民俗(研究対象)の概念を支えてきたのかを問うことにある。これは日本民俗学それ自体に内在する問題であると同時に、私たちが「研究対象」としてきた人々の生活それ自体の変化に関わる問題でもあるだろう。
 第二の目的は、「科学的なもの」抜きで構築されてきた民俗学および「民俗」概念が、科学技術、科学知識、科学的思考、科学的コミュニケーションなどの対象領域を導入することにより、どのように変容していくのか、そしてどのように新たな対象を取り入れ、新たな方法論や理論、議論を展望することができるのかを明らかにすることにある。この段階では、国外の民俗学における科学研究や科学人類学、科学社会学などもまた、参照され、比較され、対比されるべきものとして立ち現れてくるだろう。本研究会は、民俗学を開いていくプロセスとしての「科学的なもの」の意義についても問うものである。
 本研究会では、膨大な「科学的なもの」の領域のうち、とくに「科学知識」に焦点を当てる。まず廣田が、昭和20年代の「迷信撲滅」運動における「科学的なもの」の境界の揺らぎと民俗学とのかかわりを通して、「権威的」ではない、日常的な場において「科学的なもの」を捉える可能性を論じる。次いで飯倉義之氏は、いわゆる「ニセ科学」がどのようにして浸透していったのかを見ていくことにより、人々の科学受容のプロセス=「常識的言説」が成立していったことについて検討する。
(文責:廣田龍平)

主催:パブリック・ヒストリー研究会(科研「パブリック・ヒストリー構築のための歴史実践に関する基礎的研究」(研究代表者:菅豊)グループ)、現代民俗学会、東京大学東洋文化研究所班研究「東アジアにおける「民俗学」の方法的課題」研究会(主任:菅豊)

担当:菅



登録種別:研究会関連
登録日時:WedMay1617:04:172018
登録者 :菅・川野・藤岡
掲載期間:20180516 - 20180526
当日期間:20180526 - 20180526