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平成17年度第1回定例研究会のご案内

日時 6月16日(木)午後2時から4時
場所 東京大学東洋文化研究所 大会議室 (3階)

報告者 池本幸生
司会者 高橋昭雄
討論者 山脇直司(東京大学・大学院総合文化研究科・教授)

タイトル 「日本における不平等論:ケイパビリティからの再検討」


要旨
日本における不平等論の批判的再検討:何を焦点変数とするか
東京大学 東洋文化研究所 池本幸生

はじめに
橘木が日本の所得格差が拡大してきたことを指摘して以来、日本の不平等論議は盛んである。しかし、その議論はうまくかみ合っていない。それは不平等の持つ多様性がこれらの議論ではきちんと認識されていないからである。
アマルティア・センの『不平等の再検討』(池本・佐藤・野上訳、岩波書店)によれば、平等志向はすべての思想が共通に持つ特性である。それはたとえ反平等主義者でも平等を求めているということであり、正確に言うならば、「所得の平等に反対し、自由の平等を求めている」ということである。このように、平等は「何の平等を求めているか」が重要な要素であり、それを「焦点変数」と言う。焦点変数が何かという議論をきちんとしない不平等論は混乱をもたらすだけであり、解決には近づけない。この観点から、日本の不平等の議論を批判的に検討しようというのが本報告の目的である。

一元的不平等論の問題点
橘木に典型的に見られるように、普通、不平等と言えば、所得分配の不平等を指す。人の効用が所得のみによって決まり、限界効用は低減し、人々は全く同じ効用関数を持っているとすれば、効用の総和を最大にするという古典的功利主義の条件を満たすのは、すべての人たちが同じ所得を得るときである。この意味で古典的功利主義は「平等主義的」である。(効用が個人間で比較できないとする立場は、ここまで主張することはできず、パレート最適の段階でとどまる。)
しかし、人の効用関数は人によって異なる。質素な生活を求める人(限界効用が急激に減少していく人)もいれば、限界効用は低減せず、むしろますます貪欲になっていく人もいる。このような多様性を無視して、すべての人に等しい所得を与えるという政策は人々の自由に反する。
この議論は、所得に限られるわけではなく、何を焦点変数にとっても、それが一元的である限り、成立するものである。例えば、職業を上中下に区分し、それらの間に上下関係をつけ、両者の間に格差があるという議論であり、それは、「下の職業はダメな職業」という偏見と結びつきやすい。例えば、正社員が上でパートは下とし、下はダメな人たち(例えば、高卒)で上は優秀(例えば、大卒)という議論に知らず知らずのうちに陥っている。もともと上も下もないところに、勝手に上下の境界を設けて、下の人に対して「努力してもしかたがない」という議論はどこかおかしい。それは、不平等を固定化させるための議論である。

多元的不平等論:ケイパビリティ・アプローチ
 何を焦点変数にとるにせよ、一元的なものを選んだのでは、人の自由を反映させることはできない。自由と両立する不平等論は多元的なものを焦点変数とすべきである。
 では、何に焦点を当てるべきか。それはアマルティア・センの意味でのケイパビリティ(潜在能力)である。ケイパビリティを構成する機能に焦点を当てることによって不平等は明らかになってくる。不平等は人々の不満の中に現れる。その不満を分析すれば、不平等は明らかにすることができる。働くという大事な機能は、中高年が職に居座ることによって若者からその機会を奪っているとすれば、そこに不満が表れる。何も10年に1回しか行われない調査の結果を待つことはないのである。
 平等は努力によって達成されるものである。戦前の日本は不平等な社会であった。平等になったのは戦後のことであり、戦後改革とその後の努力により、達成されたものである。「日本の平等神話」は、それを維持するために努力しなければ、簡単に崩壊してしまう、ということを現状は示している。

登録種別:研究会関連
登録日時:Tue May 24 09:49:12 2005
登録者 :研究協力係
掲載期間:20050524 - 20050616
当日期間:20050616 - 20050616