データベース『世界と日本』
日本政治・国際関係データベース
東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室

[文書名] 竹入義勝・周恩来会談における林彪問題についての周恩来発言

[場所] 北京
[年月日] 1972年7月29日
[出典] 
[備考] 情報公開法に基づいて読売新聞社が外務省に開示を求めて公開された文書。公開されたものは手書き。以下は漢字、ふりがなの用法、誤記と思われるものも含めてできるだけ忠実にテキスト化した。明らかな誤記と思われる部分は{ }に注記した。原文では周恩来の発言は○で示され、竹入義勝の発言は△で示されているが、「周」「竹入」とした。
[全文]

 (林彪問題等首相発言)

 時代の流れに叛いていく輩は当然いるでしよう。

 中国の場合は,人民戦争で勝利を勝ち取り農村から都会を包囲し23年ばかり社会主義の改革をやってきました。

 林彪のような副主席でありながら,毛主席に叛逆する者が出ました。

 歴史的には,井岡山時代から毛主席と一緒におりましたが,思想の面では毛主席と合わず,個人主義が強かったのです。最大の戦役である東北の戦役では,外国の人々に50万の大部隊を繊滅したのは林彪だとも思われています。彼は毛主席と一緒でした。彼は臆病で恐がっていました。毛主席は何度も何度も命令を出したのです。それからやっと動き出したのですが,延安から毛主席が直接指導してから一ヶ月余りで,繊滅できました。私たちの軍隊が鍛えられて,蒋介石の軍隊が弱っていることを認識できなかったのです。

 毛主席の戦略配置を破壊していました。毛主席は彼の意見を聞きませんでした。林彪は毛主席を暗殺しようとしたのです。

 中国の軍隊にしても,人民にしても,党にしても,勝利を勝ちとっていました。彼の陰謀であっても,彼が脱走しようとしたことは思い付きませんでした。彼を教育しようとしましたが,彼は不安になり蒙古に逃げました。9月13日の未明のことです。これは,アメリカの消息がいちばん早く,一番にキャッチしました,次が日本です,ソ連はダメでした。ソ連は始め判りませんでした。ソ連の顧問が現場にかけつけて見ても判りませんでした。蒙古の外交部は中国の大使を呼んで判りました,そして埋葬しました。後で外国のニュースが流れ,ソ連が疑いを持ち,埋葬を掘りかえして検査の上,林彪を確認しました。林彪はソ連に病気の治療に2度いっていたのです。

 ブレジネフが残念,残念,残念,残念,残念とくりかえしました。国内は何もありませんでした,キッシンジャーが来て話し合いました。蒋介石はもっと後で判りました。蒋介石の学生でもありましたから,蒋は大変なことだといいましたが,耳に入ったとしても,既に全部納まっていました。

 中国はいまや蒋介石時代の軍閥の時代とちがいます,すっかり変ってしまいました。閻錫山や馮玉祥等と抗日戦争前は軍閥との戦争は止まったことはありませんでした。それは党の命令で説得し得なかったので蒋介石の天下は穏やかではありませんでした。

 いちばん最初抗日戦争終了当時はアメリカの援助で威張っていました。五項目,四項目の綱領を出しました。毛主席は重慶会談を行ない,ヤルタ協定は蒋が承認し,条約を締びましたが,人心を失っていき500万の軍隊は3年余りで繊滅してしまいました。

 林彪の出来事が起きて,蒋介石は喜んだことでしよう。しかし,党内全体に公表し学習をしました,人民に公表し学習をしました。そして現在,外国の友人にも話せるようになりました。ブレジネフは残念がり,蒋介石は失望したでしょう。東条英機も初めは有頂天になっていましたが最後は失敗しましたね,苦難をもたらせられたのは,日本の人民であり,アジアの人民でありました。

 毛主席は南郷三郎さんにいいました,日本の軍国主義に感謝しているということを・・・・・・・・・・これは反面教師です。その第1は蒋介石であり,第2は日本の軍国主義であり,そして第3はアメリカの帝国主義です。

 これによって中国人民は自覚いたしました。明治維新の時代は,未だ支配階級がはびこっていました。

 農村蜂起はありましたが,いい指導者がなく南京を取りましたが北上はできませんでした。1851年〜1863年までの一時のことでした。

 英仏が中国に攻めてきて延命院が焼き払われ当時の皇帝は死んでしまいました。1861年のことです。その後,西太后が40年間支配いたしました。それが暗黒の時代であり,日本の明治維新の時代でした。1861年のことです。

 皆さん方は,明治維新のあと,軍国主義が抬頭し中国が弱まっていたので,日本の勝利がたやすくできました。1894年の中日戦争で勝利しました。

 その後1904年,ロシヤとやり,ロシヤはスエズ運河が通れず,アフリカの喜望峰を廻って遠廻りをしました。バルチック艦隊を破った東郷が軍神と呼ばれ,軍国主義崇拝思想が生まれ,それがため第2次世界大戦で失敗しました。中国人民は目覚めたし日本に教訓を学びました。平和五原則は,中国のみの有利だけでなく,世界の人民に貢献し得ると思います。

 社会党の成田さんに自衛のための努力について話しました。中曽根さんに話していいと思いますが民族の自衛の気概を持っていることはいいことです。

 こんどの田中内閣は四派の連合政府ですね,

 仲良くすることが必要です。野党は意見を出し間違ったら批判をするということですね。権力は向うが握っているのですから・・・・・・・正しい意見,積極的意見を出して田中首相にそれを受け入れさせることです。それを受入れれば前進です。

 人民の意見を促して政府に実行させることは,社会の改造に役立ちます。