イスラーム地域研究5班
研究会報告

b グループ「国際商業史研究会」第8回例会報告

日時:1999年11月6日(土) 13:30-17:30
場所:京都府立大学・文学部会議室
プログラム:
 報告事項の伝達と報告者以外の参加者による文献情報提供・回覧ののち、亀長洋子氏の報告「中世ジェノヴァ人の黒海進出に関する諸問題―研究動向と史料―」および谷澤毅氏の報告「近世初頭ライプツィヒの国際商業」がおこなわれ、つづいてジェノヴァ型海洋国家の特殊性や、ヨーロッパ年市史研究の成果の受容、統計資料の批判的解釈などの問題をめぐって活発な質疑応答がおこなわれた。今回の2報告はいずれもイスラーム世界と直接にかかわるものではないが、ジェノヴァ植民市の活動はオスマン帝国による黒海支配の先行段階を構成し、またライプツィヒ年市は中央・東ヨーロッパを経てオスマン帝国市場との連関をもっていた点で、イスラーム世界のいわば「周縁」における交易を研究する貴重な機会をあたえたと考えられる。

参加者数:
研究会会員19名、IAS登録メンバー1名。

亀長報告要旨:
 本報告では、研究動向と史料という観点から、ジェノヴァ人の黒海進出に関する諸問題を提示した。まずはじめに、報告者の研究経歴の中で本問題を考察するに至った経緯を、ジェノヴァ史の研究動向とからめて紹介した。次いで、ジェノヴァ人の黒海・地中海進出における三大拠点であるキオス、ペラ、カッファについて、その特徴を紹介し、さらに焦点を黒海に絞って、ジェノヴァ人進出地を黒海北部とクリミア半島、黒海南部、ドナウ川流域の三つの地域に大別してその特徴を紹介した。
 この前提にたって、19世紀後半から現在までに至る研究動向について論じた。古くよりこのテーマを扱う主導的研究者はフランス・ドイツ・ロシア・ルーマニア等の出身で国際性が高かった。ジェノヴァ人研究者はそれらの成果に関して必ずしも高い評価を与えていたわけではなかったが、徐々に両者の研究の方向性には、論文や本のスケールは異なっても、相互の共同研究も増え、大きな差はなくなりつつある。
 研究動向の内容については、史料批判能力の問題、史料の歴史的変遷、史料の有効性と利便性、都市国家ジェノヴァ史,またジェノヴァ人の歴史といった歴史叙述のなかでの黒海進出の語られ方、地中海史としての枠組み、東西文明の媒介地として、また諸民族が共存する多元的世界としての黒海周辺領域、黒海進出地にみられるジェノヴァ的要素、オスマン支配期をも視野に含めた地域の変容などといった観点を指摘した。

谷澤報告要旨:
ライプツィヒは、商業・経済史において大市の開催される都市としてその名を知られてきた。近世のドイツ商業、さらには東西貿易を中心とした内陸部ヨーロッパの国際商業を見ていくのであれば、ライプツィヒにおける大市を中心とした商業の実態を明らかにしていくことは不可欠の課題であろう。しかしながら、ライプツィヒの商業史を扱ったまとまった研究は、我が国ではまだ見当たらない。本報告では、このような我が国での研究状況を鑑み、これまでのドイツ本国における研究成果に依拠しながら、それらを整理する形で大市の発達とそこでの取引の内容を中心に16世紀ライプツィヒの商業について考察を行なった。
まず、大市を中心としたライプツィヒ商業史に関する基礎的な文献を古典的なものと最近のものに絞って紹介したのち、同市商業発展の経緯について、大市特許状の獲得を中心に、鉱工業の発展、移民の受け入れ、ハンザの衰退といった要因にも触れながら解説を加えた。続いて、大市での取引の内容を、大市への商品搬入の過程と大市で扱われた商品の内容の二つに絞って検討を加え、後者の検討からは、16世紀の前半から後半にかけて中心的な取引商品が鉱産物から繊維製品へ移ったことが推測されるとの指摘も行なった。最後にライプツィヒから伸びる通商網の広域性を明らかにすべく、まず西欧については、移住者の出身地の検討からニュルンベルクを中心とした高地ドイツ、また経済的にライン・低地地方との関係が強かったことを指摘し、続いて中欧・東欧については護衛の記録から、アイレンブルク(ライプツィヒ東部に近接した都市)を通過した車両を検討し、ライプツィヒが中欧・東欧において広域的な商業的結節点として機能していることを指摘した。本報告は、以上のような側面から近世初頭ライプツィヒの大市を中心とした商業を考察し、合わせてヨーロッパ国際商業において同市が持つ意義の一端を明らかにしようとするものであった。

(文責:深沢 克己)


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