イスラーム地域研究5班

 

メフメト・ゲンチ先生 特別講演会「オスマン朝の改革期における国家と経済の諸関係に見られる継続と変化」

 

報告 三沢伸生(研究協力者)

7月5日(土)、東大文学部アネックスにおいて、トルコ共和国マルマラ大学文理学部史学科

講師であられるメフメト・ゲンチ先生の特別講演会が開催されました。ゲンチ先生は、オスマン朝社会経済史研究の第一人者である故オメル・ルトフィ・バルカン先生門下に属され、文書を駆使しての18〜19世紀のオスマン朝社会経済史研究を御専門とされ、現在トルコ内外の学界で最も注目されている研究者の御一人です。

当日は、先生とともに先生の御弟子さんで山形大学人文学部に3年間外国人研究者として招聘されているアフメト・ジハーン先生(イスタンブル大学経済学部専任講師)も来訪され、大学院生を中心に若手研究者が30名ほど集い、和やかな雰囲気の中で講演・質疑応答が展開されました。

講演はトルコ語で行なわれました。以下に先生の略歴・主要著作、および当日の講演の日本語の要約を付します。講演の内容については追ってトルコ語の全文を入力致す予定です。またゲンチ先生は、新プロの有意義性に賛同され、早速に外国人研究者登録して戴きましたことを付記しておきます。

報告の要約は次のとおりです。

要約:

オスマン朝の社会経済体制が、いつ頃「古典期(=前近代)」から「近現代」へと移行したかという時代区分設定については諸説が展開されている。しかし、この問題については国家と経済の諸関係の動向に着目して再検討する必要がある。古典期において、オスマン朝の社会経済体制は国家による「不干渉」と「干渉」という2つの矛盾した政策に左右されていた。この相反する政策は国家の経済政策に見られた3つの原則、「自給自足主義」「財政主義」「伝統主義」から導き出されるものであった。すなわち古典期においてオスマン朝は広大な版図内に産物を自給自足させることを最大の目標とし、また国庫の目減りを極力回避することを国是として、旧来の体制を維持することに努めてきた。それゆえ輸出入に関しても特異な政策が展開された。こうした原則は18世紀末まで継続され、19世紀に入って様々な改革が実施されるに至って、19世紀前半に「伝統主義」が消滅し、19世紀中頃までに「自由自足主義」が放棄され、1880年代になって「財政主義」が断念された。このように19世紀後半になって、ようやくオスマン朝の社会経済体制は「古典期」から「近現代」への移行の完成を見たのである。

略歴:

メフメト・ゲンチ(Mehmet GENC )

著作:

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5jimu@culture.ioc.u-tokyo.ac.jp