まず大黒俊二氏により、亀長洋子著『中世ジェノヴァ商人の〈家〉―アルベルゴ・
都市・商業活動―』(刀水書房、2001年)について書評がおこなわれ、本書のねらい、
人的結合としての「家」の探究、この「家」とかかわりをもつ商業・植民・公債など
中世ジェノヴァ史の一般的問題の分析、の三点にわたり紹介・論評がなされた。フィ
レンツェ中心の従来のイタリア家族史研究に対して一石を投じ、同時に曖昧なままに
用語だけが流通した「アルベルゴ」概念の批判的検討を実践した点など、本書の重要
な貢献が評価されたが、同時に叙述・概念の未整理など、一層の改善の余地も指摘さ
れた。討論でも以上の論点のほか、「ジェノヴァ型個人主義」と「ヴェネツィア型国
家主義」を対比する通説の妥当性など、より一般的問題も論じられた。
つぎに塩谷昌史氏の報告があり、それにつづく質疑応答では、綿織物業における技
術問題から技術伝播過程、さらに市場への適合性などをめぐり、以下のような質問が
出された。すなわちロシアの綿糸は何番手か、また綿花はどこから輸入していたか?
ロシアの綿布捺染はどのように始まったのか、そこには西ヨーロッパ・南アジア方面
から専門技術者・職人の導入がともなったか?英国製綿織物はライプツィッヒまでど
のようなルートで運ばれたか?ロシア製綿織物はアジアでどのような用途に使われた
のか?近年の経済史研究一般に関わる問題点のひとつは、いわゆる「マーケティング」
による市場拡張という説明が妥当する度合である。消費者の需要について詳細な情報
を収集し、市場に適した商品を供給する努力は、たとえば中世・近世の地中海貿易で
すでに広くみられる現象であり、19世紀の資本主義とともにはじまる新現象ではない。
生産者と消費者をむすぶ適合的関係の成立は、個々の企業家の努力をこえる文化史的
背景の同質性・異質性の度合に影響され、ロシアのような広大な帝国に分布する市場
を分析するには、この点の考察が不可欠になるだろう。
最後に四日市康博氏の報告があり、それをめぐる質疑応答では、専門外の研究者が
多いためもあり、基本的な事実確認や史料・文献情報にかかわる質問が大半だった。
その一端を紹介すれば、モンゴル時代の商人について、どんな参考文献があるか?―
イタリア商人に関してはPetechの研究が総括的、オルトクと呼ばれる特権御用商人に
ついては宇野伸浩、森安孝夫、T.Allsen、Endiott-Westなどの研究が現在も進行中、
J.Abu-Lughod, "Before European Hegemony"が参考文献の参照に便利。フランチェス
コ修道会の東方布教と商人の関係は?各地の商人たちの痕跡―元朝カーンの派遣使節
サヴィニョーネのアンダーロの「サヴィニョーネ」はジェノヴァの有力家名、北京に
もイタリア商人の碑文があり、カラコルム・バルハシ湖にアルメニア商人の墓碑あり。
モンゴルのハトン(妃后)とは、他の王族たちも含めた象徴的な呼称では?―そのと
おりだが、ただし実際にオルド(移動天幕・宮廷)の管理者だったのはハトン、など。
今回は他の複数の研究会と日程が重なり、そのため参加者数もやや少なかったが、
ロシア・モンゴルというユーラシア規模の国家を舞台とする広域経済を対象とする報
告があり、イスラーム研究者とヨーロッパ研究者の対話に格好の場が提供された。こ
のような対話の場を恒常的にあたえる数少ない会合として、国際商業史研究会の存在
理由を再確認させる機会になったと思われる。 (文責・深沢克己)
ユーラシア大陸規模の版図を有したモンゴル帝国治下には、多様な民族・宗教の国
際商人たちがいたが、そのなかにはフランク商人たちも含まれていた。フィレンツェ
・バルディ商会のペゴロッティによれば、モンゴルのいうフランクとは、「ルームの
地(ビザンツ領)から西の全ての国々のキリスト教徒」であるという。そこで本発表
では、彼らとモンゴル政権の関係を解明しようとした。利用した史料は、多様な言語
によるモンゴル西欧外交書簡、イタリア商人の公証人文書、『商売の手引』、旅行報
告などである。
まず、イル=ハン朝下のフランク商人の一例としてブスカレッロ、トンマーソの二
人を取りあげた。共に西欧派遣使節に任じられ、タブリーズ、カッファなどを拠点と
して商業活動をしていたジェノヴァ人である。また、両者はモンゴルの侍従親衛機構
ケシクに属し、イル=ハン個人と直接的な繋がりを持っていた。商人たちがモンゴル
政権下で活動基盤を築くには、モンゴル王族、アミール(重臣)、タジク官僚などの
庇護を受ける必要があり、とりわけ、イル=ハンの王族のオルド(宮廷)に出入りす
るのが早道である。実際、その経路で宰相になった商人も少なくない。フランク商人
の場合、キリスト教徒のハトン(后妃)のオルドと関係を結んだことが想定される。
実際、ローマ法王宮にはキリスト教徒のハトンの情報が子細に伝わっていた。
さらに、元朝下のフランク商人研究に関するトピックとして、『商売の手引』とし
てのマルコ=ポーロの史料性の見直し、フランチェスコ修道士の東方布教活動とジェ
ノヴァ、ヴェネツィア商人、アルメニア商人の関わりなどを提示し、今後の展望とし
て、モンゴル史、イスラーム、イラン史研究とイタリア史研究の各成果の結びつけ、
公証人文書の利用などを提言した。
(文責:深澤 克己)